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一人の住人がつくりあげた全国でも希有な紫陽花が彩る青色の世界と気仙沼市最古の寺社を歩く|赤坂公衆園、金仙山 圓光 寶鏡寺

空と森がまざり合った世界が広がっていた。目を疑うような光景とは、まさにこのことかもしれない。


一人の手で創り上げた”全国でも稀少”な1万株の紫陽花が群衆する赤坂公衆園

赤坂公衆園

咲き乱れる紫陽花に覆われた斜面は、まるでそこに空が広がっているかのように鮮やかな碧色に埋め尽くされていた。赤坂公衆園。ここに住む一人の住人が20年以上もの歳月をかけて創り出した奇跡のような場所である。

鮮やかな花々が目を楽しませる場所というと、今や自治体や地域住民といった団体が創り上げた公園が主である。しかし赤坂公衆園は、記事にある通り、土地の所有者である藤田氏が自身一人を中心に創り上げた場所だ。

1万株もの紫陽花が密に群衆する赤坂公衆園が創られるきっかけとなったのは、土地の所有者である藤田氏が40代の頃に遡ると言う。当時、PTA会長を務めていた藤田氏は、近隣に公園がない状況を好ましく思っていなかった。

公園がないために、親子が憩える場所がないのである。中山間地となっている一帯は、当時木々が群れる林や田畑ばかりだったのだろう。藤田氏は、いつかこの地に憩える場所を創りたい。そう思ったそうである。

そして60歳を迎えた藤田氏は行動に出る。所有地の林を伐採すること6年、紫陽花を植えること15年、紫陽花を手入れすること5年。現在の見事なまでに紫陽花が咲き誇る赤坂公衆園を創り上げたのだ。

この日、赤坂公衆園を訪れると駐車場で来訪者の車を誘導しようと汗を流す藤田氏の姿があった。また、赤坂公衆園を訪れる年齢も性別も国籍も異なる多くの人々の姿もあった。

40代のとき想い描いた親子の憩える場所を一人で創り上げた藤田氏には敬意だけではなく、人間の大きな可能性のようなものを感じずにいられない。この全国でも希有な世界が末永く続く事を願ってやまない。

赤坂公衆園の様子①
赤坂公衆園の様子②
赤坂公衆園の様子③
赤坂公衆園の様子④
赤坂公衆園の様子⑤※遠景

神秘的な新緑と紫陽花の織りなす静寂を感じられる気仙沼市最古のお寺|金仙山 圓光 寶鏡寺(ほうきょうじ)


赤坂公衆園で紫陽花を堪能した後、ふと金仙山 圓光 寶鏡寺を思い出し、訪れることにした。お参りである。

金仙山 圓光 寶鏡寺は、先日のぬま大学で資料に掲載されており、遠からず『また行きたい』と思っていた。

『また行きたい』と言ったのは、3年前くらいに一度訪れているためである。当時も初夏の頃だった。

金仙山 圓光 寶鏡寺①

金仙山 圓光 寶鏡寺を訪れるならば初夏〜夏が良いと筆者は考えている。話によると桜の咲く春も良いらしい。訪れたことがないので、ぜひ訪れたい。なぜ初夏〜夏が良いと思うのか。理由としては、新緑と静寂の取り合わせが神秘的だからである。

金仙山 圓光 寶鏡寺②

気仙沼市最古の寺社と言われるだけあって、門に古めかしさの中に重々しさが感じられる。その門の奥に見える荘厳な緑の神秘的な美しさがたまらなく心に何か訴えかけてくるようである。

金仙山 圓光 寶鏡寺③

門をくぐった先に見える新緑と木漏れ日の道。現実離れしたこの神秘的な光景が、筆者はたまらなく好きである。俗世と切り離されたかのような静寂と神秘的な新緑色の木漏れ日が生み出す世界は、そうそう見られるものではない。

金仙山 圓光 寶鏡寺④

新緑のカーテンを抜けた先に聳え立つ大きな門は圧巻である。その存在感たるや。これほどの建築物を気仙沼市で見られるのかと驚きに飲まれてしまう。門をくぐった先には、やはり静寂に包まれた世界が広がっている。

金仙山 圓光 寶鏡寺⑤
金仙山 圓光 寶鏡寺⑥
金仙山 圓光 寶鏡寺⑦
金仙山 圓光 寶鏡寺⑧

金仙山 圓光 寶鏡寺も美しい紫陽花の姿が見られる。観光地とは異なる場所であるが、心を落ち着けたいときに訪れたくなる素晴らしい場所だと心から感じる。


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