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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2024年7月の記事一覧

兎がほざく1213

兎がほざく1213

誰もが自分より大きな力に翻弄されます。
自然や属する集団の力の前で内心の反発を抑えて従います。

そのとき人は密かに内心の支えを自分の言葉の正しさに求めるかもしれません。

逆に大きな力の前で言葉に失望するかもしれません。

大きな力の前だからこそ言葉に力がある、と信じたいです。

兎がほざく1211

兎がほざく1211

書かれた言葉を読んで、この言葉はぼくに向けられたものだ、と思うとき。

関係妄想かもしれないけれど、そう信じられるとき。

その言葉は何千年も前のものかもしれないし、タイムラインに今しがた投稿されたものかもしれません。

その言葉は人を縛るのではなく人を活かします。

兎がほざく1212

兎がほざく1212

勇気には進む勇気と退く勇気とがあります。

結果を引き受けるという決断です。

蛮勇とはその決断を欠いていて、期待どおりにならない可能性に目をつぶります。

勇気とはその決断さえあれば豪傑でなくても誰もが出せます。

そして勇気のない愛はないのです。

兎がほざく1210

兎がほざく1210

先日朗読を録音して気づきました。
録音の環境はだいじです。

雑音の少ないこと。
小鳥のさえずりぐらいはいいでしょう。

一人きりで大きな声の出せること。
この条件がむずかしいです。

時間を気にせず作業を落ち着いてできること。

川岸でやっと場所が見つかりました。

兎がほざく1209

兎がほざく1209

星が朝の太陽の光の中に消えてゆくように。

ぼくにもそういう時が必ず訪れます。

たぶんその寸前までじたばたとなにかしら求め続けるでしょう。

それを無駄なことだと言って今のうちからやめなくてもいいと思います。

いずれ朝の光の中でやめざるを得ないのですから。

兎がほざく1208

兎がほざく1208

うそは自立できないので支えるために次のうそを呼びます。

次のうそはさらに次のうそを呼びます。

それでうそが増殖してゆきます。

ある日うその連鎖がもたなくなって誰の目にもうそとわかります。

うそは百回繰り返せば本当になるといいますがそんなに繰り返せはしないのです。

兎がほざく1207

兎がほざく1207

自分とはなにか?

いろいろな説を聴いたり、繰り返し考えたり期待したり。

でもそれでわからなくなったので一度身体に戻ってみたくなりました。

身体は自分の全時間の起こる場所です。
しかも世界のうちで自分に最も近い場所です。

唯一の自分の出発点かつ終点です。

兎がほざく1206

兎がほざく1206

なにかになる。
たとえば歌手になる。

なるために誰もが一生懸命です。

ところがいくらなりたくてもぜったいなれない人が必ず一人います。

それは自分。

自分は自分だから今さら自分になれないのです。

自分になる努力も演技もいらないのです。
なんだかうれしくなります。

兎がほざく1205

兎がほざく1205

いろいろな型や手本を習うのはあたかも自分というテレビのチャンネルが増えることです。

一人の人にはたくさんのキャラクターが同居します。

ある日それらのチャンネルを少数にしぼりメインを一つとサブをいくつかにするとどうでしょう?

発信力が濃くなって強まるかもしれません。

兎がほざく1204

兎がほざく1204

世の中にはたくさんお手本があって学ぶにはきりがないほど。

人はお手本を真似して成長します。

次から次にお手本の海に溺れれば自分は受け身でいられて、ある意味ラクです。

でもその海から自分を一度救い出すのがいいと思います。

これはというお手本の数点が海のお土産です。

兎がほざく1203

兎がほざく1203

稽古とは師匠の身体のリズムを間近で体感して身につけることでしょう。
マニュアルだけではリズムの体感は難しいです。

芸術の実演や展示もリズムを体感できます。

文の場合は読み上げる音声や呼吸でリズムを感じます。

それが文のテキスタイルと言われるものだ思います。

兎がほざく1202

兎がほざく1202

身読の話の続きです。

読む方が身読ならば書く方も身書です。

歌うように、書道のように?
それらに限らず身体のリズムで書くことでしょう。

世界が身体ならば、身体の真ん中が発信して身体の周縁に伝えるはず。

世界が身体として振動するように書いたものがきっと名作です。

兎がほざく1201

兎がほざく1201

身体で読むという意味の身読という言葉があります。

世界は心の中のものという唯心論。
世界はすべて言葉という唯言論。
それらにならえば身読は唯身論でしょう。

身体は自分の一生の時間の場でありしぬまで止まらない動きです。
声も唇の動きも。

働きかつ語り続けます。

兎がほざく1200

兎がほざく1200

映画はデジタル化の中でなんとか居場所を維持しています。

シネコンはモールと共存することで娯楽の場所として定着しています。

単立の映画館は厳しいようです。

さて書店がシネコンと互角に戦うにはモールと共存することが必要なのでしょうか?

本の将来に関わります。