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ASDは真面目なのか?

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ASDとはいわゆる「自閉症」「自閉症スペクトラム」「アスペルガー症候群」などと呼ばれる概念です。
理解している人はだれ一人としていないです。

ASDの人の性格として「マジメ」という表現がよくなされますが、そんなわけはありません。

発達障害というものは脳機能が低下している状態で、程度の差はあれ単なる病気であることは明白です。

「糖尿病の人は優しい」とか「ガン患者はストイック」とか言われても「え?」ってなるでしょう。

それと同じことに思えます。

当たり前ですが、真面目かどうかなんてその人の性格次第です。
健常者だろうと、障害者だろうと変わりません。

発達障害者のイメージを守るためそのような言説が流行り、それによって一部の当事者が、期待値を勝手に上げられたり、「ASDって真面目だから」みたいな無責任な言動に苛立ったり、そこかしこでケンカが起きています。

当事者(特に子ども)の自己肯定感を守る目的でそういった内容を発信をされている方には大変失礼な言い方ですが、はっきり言って不毛の極みと思っています。

ASDが真面目に見える理由

とはいえ、事実にまったくそぐわない事は広めようと思っても広まりません。

なので、なぜ彼らが「マジメ」と評されるのか? 自身の体験を交えて解説したいと思います。

コミュニケーションの苦手さ

これは職場などでよくみられるケースです。

言葉遣いや相手への気遣いというのは、丁寧すぎても雑すぎてもダメです。

が、ASDの人が苦手とすることは、集中の細かい転換、つまりマルチタスクです。

コミュニケーションとはマルチタスクの塊です。

相手の言葉の内容に注意するのか、
表情や声の調子に注意を向けるのか、
返答を考えるのか、

そういうものをコンマ秒単位で切り替え認知しないと、その場に適した応対をすることはできません。

苦手ゆえに、成功の記憶が積み重なり学習していく、ということ自体が難しくなります。

そうやって社会に出て責任を負うことになると、成功体験の少なさから「一番無難」な対応、つまり最も丁寧な対応を心がけるという癖がついていきます。

また、コミュニケーションにおける失敗体験の積み重ねからトラウマが蓄積しコミュニケーション自体が恐怖となるケースもたくさんあります。

また、言葉だけではありません。
相手への気遣いとしての行動、自分に割り当てられた職責を完璧に全うすること。

「ほどほど」ができない理由は成功体験の少なさからです。

そうやってなるべく他人と摩擦しない方法をとっていくうちに「真面目な人」と言われるようになります。

ですが、その「マジメ」をホメ言葉として感じている人は少ないんじゃないでしょうか?

真面目という言葉にはもちろんネガティブな面もあります。それは「つまらない人」ということです。

コミュ力の弱さから、相手との緊張関係を崩し距離を縮めることができない人が、現代においては「マジメ」と評される傾向にあると思います。

非ASDの人がASDについて知識を得ようとして、「ASDは真面目」という法則に出会い、「あーなるほど」と納得したとしても、その納得はポジティブな側面に対してではないでしょう。

プライベートならなおさらです。

過集中するから

仕事でも趣味でも一つの事にひたすら打ち込む人が世の中では「真面目な人」ということになっています。

ASD傾向のある人はそんな評価を受けたことが多いのではないでしょうか?

しかし舞台裏(脳内)にあるのは、いったん始めたタスクを停止することに対する面倒くささ、億劫さです。

その時、ちょっと健常者には想像できないレベルの強烈なストレスを感じています。作業を続けることではなく、止めることに対してです。

これはデスクワーカーや机に向かう系の趣味を持つ人に多い傾向です。
疲れたから休む、というのは当たり前ですが、ASDは作業を止めても休めないのです。

デスクから離れてコーヒーでも飲んで一服しよう、というのが休憩ですが、その間、頭の中にあるのはさっきまで作業していた内容です。それが頭から離れないまま作業自体は止める、これがものすごくストレスなんですね。

これも上で解説した「集中力の転換」の苦手さに由来します。
ASDの人は何か一点に集中を絞っている状態以外はストレスなのです。

結果として仕事を終えるまでいくらでも残業をする、細部にこだわり続けるということになります。

集中(しているように見える)状態が長時間続くとそれは「過集中」と呼ばれます。

発達障害者に対する様々な風評(?)に「天才」とか「アーティスト肌」といったものがありますが、脳機能にとくだん問題ない人から見ればこれはまさしく天才やアーティストのような活動なのです。

が、その時の当人の脳の状態は上で述べたとおりです。

集中状態はビタミンB群を短時間に大量消費します。
ビタミンBは摂取後にすぐ吸収され、ホルモン生産にすぐ使用され、すぐ排出されます。

人間の集中力はもって90分みたいなことが言われていますが、おおむね正しいと思います。

ですが人は、脳が疲れていればいるほどストレスのかかる行動は避けるようにできています。
また、疲れていればいるほど、疲れている自分に気づきづらくなります。

結果としてASDの人は「集中」がやめられない状態にハマります。
始めの1~2時間はいいとして、その後のパフォーマンスは下がり続けていきます。

これが過集中状態の正体です。

そのような人が周りにいたら、出した結果に注目することで区別できます。

パフォーマンスが下がってきても気づかない/やめられないタイプは、ひとつの作業に人の5倍くらいの時間を費やすことができますが、それで上げられる成果は人の3倍くらいだと思います。

数字はただの主観ですが、そういう状況の人がいたら脳内では以上に述べたようなことが起こっています。

ASDの「真面目」は危険な状態

発達障害と薬物中毒の関係

そして、過集中状態にADHD的なドーパミンの不安定が加わるとどうなるか?

集中時のパフォーマンスが下がりにくくなります。

ふだん不足気味のドーパミンが一気にドバっと放出されるからですね。
つまり過集中が限りなく本物の集中状態に近づいたまま持続します。

「それって最高の状態じゃない?」

と思うかもしれませんが、これは切れたとたんに気力がものすごく低下します。ただ大量のドーパミンを前借りしているだけだからです。

僕もこの経験はよくありました。
一時的に生産性は上がるのですが、揺り戻しがひどく、重篤なうつ状態に陥ることもあります。
このタイミングで、尽きたドーパミンを無理やり補おうと自傷行為を行う人は大量にいると思います。

これって何かに似ていませんか?

覚せい剤中毒です。

ある種の薬物中毒はこの状態の極限です。
自分の体験ではありませんが、何か単純なことをくりかえすだけでも無限に楽しい。セックスならなおさら楽しい。時間がものすごい速さですぎる。が、それが終わると極端な無気力、うつ状態に入る。

学習を司る脳の「報酬系」というシステムは快感をしっかり記憶していますので、それが忘れられず中毒になります。

発達障害のみならず依存症の人の脳内では、程度の差はあれどこれに近いことが起こっていると思います。

終わりに

これは当事者の方に言いたいのですが、「真面目な人」というのは真面目にやるべきこととそうでない事をはっきり区別している人です。

個人の割けるリソースには限界があるから当然です。

その意味で自分が真面目に行うべきことを自分の意思で決めて制御を試みてください。

僕の場合は自分の脳機能の改善治療に最優先で注力しています。

そして、外野から「真面目ですね」と言われたとき、それはネガティブな意味合いを含むことも多いことを認識し、しっかりと相手を観察してください。

難しいかもしれませんが、職場でもプライベートでも、処世術が人生を分けることは身にしみていると思うので、自分には不可能と思い込むことなく、少しずつ成長していきましょう。


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