年金1級からの社会復帰③直径1mmの突破口
前章の続きです。
マインドフルネスに出会った
「誰もわかってくれない」
「誰も助けてくれない」
「救われない」
うつのどん底で、僕は自分の非力さに考えをめぐらせていました。
…焦り、自己否定感、希死念慮、精神的な苦痛がこらえられなくなった時、出会ったのが「マインドフルネス」でした。
マインドフルネスは、精神の安定と集中力をつける訓練法です。
ヨガや禅の世界で行われ、近年その効果に科学的根拠が認められたものです。
現代では万人向けのメソッドになっているので、宗教っぽい感じは特にありません。
Googleの社員は勤務時間中にマインドフルネスを行い、それにより業務効率が格段にアップしたとか。
スマホアプリもたくさんあります。
…具体的な訓練法に入る前に、少し寄り道をします。
生死を分けたのは、超無気力だった自分が、そのようなモノを試してみようと思えたことです。
今思えば生育環境というか、両親の影響でした。
幼いころから荒れていた我が家のモットーは「教養・芸術・自由」でした。
母親は若いころに世界中を放浪したり、かと思えば僕が中学生の時、突然大学院に入学し、数年後には博士課程を取り、そのまま非常勤講師として雇われました。
つまり、他人の評価に捉われない自由さ(を利用し他人の気を引く)を信奉していました。
皮肉めいた言い方ですが、結局のところ我が家は他人より秀でることを糧に生きてきた強烈な自我の家庭です。
いい大学は出たもののその先はパッとしなかった両親がとった方法は、人と違う事をして目立つことでした。
とはいえ、そのような家庭(特に母親)の影響を受けたおかげで、
「マインドフルネス」や「瞑想」といった怪しい言葉と、
「東洋思想ベースのストレスマネジメント」というややうさん臭い煽りに、「やってやろうじゃないの」という気になれたのでした。
きっかけは、YouTubeでたまたま見たNHKのアーカイブでした。
番組の中で流れていたのは、5~6種類の音が同時に流れる音源でした。
などだったと思います。
まず、目をつむって体を楽にします。
音の中から一種類を選んで、5分間その音だけ聴き続けるという訓練でした。
それを何度かくりかえしたら、今度は一定時間おきに聞く音をチェンジする、という事をやっていきます。
30秒経ったなと思ったら、雑踏の音 → 時計の音、みたいに集中する対象を変えていきます。
以上のようなやり方が紹介されていたので、とりあえず番組のガイダンスに従い一周試してみました。
「部屋が汚すぎて」ショックを受けた
目を開けた時、僕は今でも忘れられないショックを受けました。
格安シェアハウスの部屋がものすごく汚く思えたのです。
僕は昔から部屋の片づけができず、自室は常に服やごみが散乱し、床が見えませんでしたが、それを特に気にすることもありませんでした。
しかし、たった一度マインドフルネス瞑想(?)を試し目を開けた瞬間、
「うわっ、汚ねぇ!」
と驚いてしまいました。
そして突発的に部屋の片づけを始めました。
布団からめったに起き上がらず、トイレ以外に部屋から出ることもなかったのですが、部屋の汚さが嫌でたまらなくり、即立ち上がりました。
これはびっくりするくらいの進歩でした。
目の前の現実を認知できた
部屋が散らかったら片づける、という「当たり前」ができない人はたくさんいます。
その原因のひとつは感覚が鈍っていて「汚いからイヤ」という気持ちが認識できないことにあります。
うつ状態というのは万事そういうことです。
感情が鈍って「楽しい、気持ちいい、幸せ」が認識(想像)できなくなり、何をする気力もなくなります。
少しマシな状態でもセックスや過食といった本能的な快楽くらいしか楽しめなくなり、それに依存していきます。
自傷行為というものもそこから来ています。
とにかく刺激が欲しい。
痛みと、傷を見た人の反応を想像することで興奮するのです。
( ↓ は依存全般についての解説です。)
自己流訓練を開発した
目の前の現実を認知したことにより、ぼんやりとした頭が少し冴えてきました。
マインドフルネスは確かに効果がある。
だが、継続しないとすぐにまた最悪のコンディションに戻ってしまうのは明らかだ、と思いました。
昔から自分は何をしても長続きしなかった。
どうやったらこれが楽しい習慣になるだろう、と考えました。
思いついたのが、好きな音楽を使うことでした。
すぐさま、Apple Musicで約一時間のプレイリストを作りました。
当時は邦ロックを聴いていたので、同時に聴こえる音はボーカル、ギター、ベース、ドラム、とシンプルです。
目をつむって、一曲ごとに特定の楽器の音に集中し続ける訓練を毎日やりました。
訓練といっても、それはうつのどん底にいた自分にとって、気持ちいい時間でした。
(やり方のヒントは ↓ を読んでください。)
これが非常に上手くいき、習慣化ができました。
毎日続けていたら、先に挙げた問いについても結論が出ました。
「この苦しみは誰のせいか?」
↓
「誰のせいでも状況は変わらない」
つまり、そんなことを考える価値がない、と気づきました。
そこから僕は現実だけに集中し始めました。
少しずつ行動力を取り戻すたび、他人を恨む気持ちは不思議と減っていきました。
そしてまた、一日一時間を一か月くり返したあたりで、次の転機が訪れました。
次章に続きます。
以上です。
頂いたお金は新しい治療法の実験費用として記事で還元させていただいております。 昔の自分のようにお金がない人が多いと思いますので、無理はしなくて結構です。