質問020:試合になると力が出せない。緊張だけが原因ではないとも感じている
回答
▶力を出し切れない自分に集中
前提として多かれ少なかれ、誰であっても公的な試合になると、普段の実力を満足に発揮するのは難しくなります。
その上で「いつもどおりに打てない!」と焦ってしまうと、ますます実力を出しにくくなります。
そういう場合は、格下にも負けてしまうことも多々あります。
というのも、そういう場合は「力を出せない自分」に集中してしまうからです。
テニスで集中しなければならないのは、「ボール」。
ボールへの集中力を上げることが、普段どおりにプレーするポイントになります。
▶ボールか、ボール以外か
当たり前のように思われるかもしれませんが、やはり試合という独特の雰囲気に身を置くと、ボール以外に気を奪われます。
それは、「ショットの成否や勝ち負けの結果」だったり、「私たちの不安を煽る最大級の要因である人目」だったり、そしてご自身のように「練習どおりに打てないのはなぜ? という思い」だったり。
「ボールか、ボール以外か?」
そういうボール以外の雑念が、打球タイミングを狂わせてミスを生む原因になります。
▶「見えにくい」ものを見ようとすると、素晴らしい集中力が発揮される
ボールの回転や毛羽が目に見えるくらいボールに集中するというのが、特効薬(そういう見えにくいものを見ようとしていると、素晴らしい集中力が発揮されます)。
それが証拠に今、ディスプレーから目を一旦離して、たとえば壁紙を見る。
全体ではなく、模様の1点、さらに1点の中にある1点、さらにその「角」などの細かな1点を見ようとすると、ほかの考え事はできなくなるはずです。
▶試合になるとイメージが「変わる」
それからもう1点、これはほとんどの人に信じてもらえないのですけれども、試合になると「イメージが変わる」のです。
「ポイントを取りたい」「ミスしたくない」などの思いが一層強まった挙げ句、自分でもなかなか気づきにくいのですけれども、現実的な動き方やポジションすら、練習とは違っていたりするのです。
▶イメージがズレると、もうまともに返せない
自分では、普段どおりのプレーをしている「つもり」。
だけど練習どおりの実力が試合になると途端に発揮できなくなるというならば、それは間違いなく、ズレたイメージの動き方やポジションでプレーした結果。
そうなるともう、1球すら、まともに返らなくなります。
練習では、あんなに楽に返せていたというのに……。
▶全力を出し尽くせないテニスゆえの「歯がゆさ」
また仰せのとおり、力を出し切る以前に、全然力を出せないうちに、あっという間に試合終了してしまうのです。
テニスは時間制限がないスポーツだから、試合はいつまでも続けられますが、時間制限がないからこそ、あっという間にも終わるのです。
こんな「歯がゆさ」ったら、ありません。
徒競争で最下位だったとしても、本人としては一応、全力を出し切ったつもり。
だけどテニスの場合はその全力すら出せずに終わるから、己の無力感、不全感を突きつけられるのです。
▶なぜかボールを「追えなくなる」不思議?
野球でもサッカーでもバスケでも、全力でボールを追うことはできるでしょう。
だけどテニスの場合は、現実に対するイメージのズレがあると、追えるボールすら、追えなくなるのです。
なぜか?
失点したあとに、「あのボールは追いかけたら、捕れていたかもしれない」と振り返ることはないでしょうか?
いえ、たとえ捕れなかったとしても「追うことくらいはできたはず」と顧みるも、追わなかったボールも含まれると思います。
頭ではそのような思いがあったとしても、現実に対するイメージのズレがあると、体は、「追わない」のではなく「追えない」からです。
だけどこれは先述したように、「ほとんどの人に信じてもらえない」話です。
▶ボールを「追わない」のではない。「追えない」のだ!
ミスの原因が「現実に対するイメージのズレ」にあるといっても、まったく信じてもらえません。
なぜなら大抵の人は、ミスしたシーンを端から見て、「ヒザを曲げていなかった」「軸が傾いていた」「振り切っていなかった」「ラケットの振りすぎだ」などと、フォームについての指摘に終始するばかりだからです。
ボールを追わないのも傍目に映る「横着」などではなく、現実に対するイメージのズレがあると、「追えない」のです。
▶同じ1時間でも「まだ」と「もう」
またこういうと、「練習と試合によって、コロコロとテニスのイメージが変わるはずがない!」と反論する人がいます。
でも、忙しい時と暇な時とでは、時間の経ち方について、その感じ方が変わるでしょう?
あるいは楽しい時とつらい時とでは、同じ1時間であっても、アッという間だったり、なかなか終わらなかったり、しませんか?
時間に関して保有しているイメージが、状況によってコロコロと変わる証左です。
▶イメージによって「現実的な言動」が変わる
ここで大切なポイントは、それがいいか悪いかは別にして、イメージの変化によって、現実的な言動が具体的に変わるということです。
同じ1時間であっても、テニス観戦だったらあっという間で手に汗握るけれど、退屈な授業だったらなかなか終わらず、アクビも出ます。
私は無駄な会議になると、眠くなって仕方がありません。
便意を催したときのトイレの待ち時間といったら、たった1分間でも。
いえ、これ以上は言いますまい……。
▶イメージにより広がる「格差」
イメージの違いによって、現実的な言動が具体的に変わる。
「イメージがすべて」といったのは、アンドレ・アガシでした。
ですから、「豊かなイメージ」を持っている人は、現実的に豊かになるし、貧しいイメージを持ってる人は、現実的に貧しくなります。
「豊かなイメージ」を持っている人は、「その程度のギャラ」だと断ったり、ほかの人を紹介したりできるのに、「貧しいイメージ」を持っている人は、「喜んで!」と言って引き受け、疲弊したりする。
そういうイメージに基づく日々の言動の、一つひとつの積み重ねにより「チリツモ」で、どんどん「格差」が広がっていくのです。
テニスで言えば、試合という独特の雰囲気に身を置きながらも実力を発揮し、どんどん強くなっていくプレーヤーと、それが叶わず涙し、試合に出るのもためらいがちになるなるプレーヤーとの「格差」です。
▶「万有引力の法則」に匹敵する以上の発見『テニス・ベースメソッド』
それ(イメージの違い)が、公的な試合と、普段の練習との違いとなって、同じように現れています。
ほとんどの人が信じませんけれども、アイザック・ニュートンは落ちるりんごを見て「万有引力の法則」を発見したと伝えられますが、テニスプレーヤーにとってはそれに匹敵する以上の大発見が、『テニス・ベースメソッド』。
なぜ匹敵する「以上」なのかといえば、万有引力の法則は恐らく知らなくても平気で生きていけますが、テニスプレーヤーにとってイメージのズレがあると、絶望的に苦しむ「生きづらさ」を抱えるからです。
▶買うか買わないかを決めるのも「意思」ではなく「イメージ」
自分に肯定的なイメージがあると、現実としての人生が、具体的に決まったり変わったりする。
ですから「イメージがすべて」なのですね。
心理学では、自分に対する肯定的なイメージを「自己肯定感」と名づけました。
購入するかどうかの具体的な行動も、ご自身が保有するイメージにより決まります。
▶自己肯定感が低いと「自分なんて」と思ってしまう
何も『テニス・ベースメソッド』のような手引き書ばかりではありません。
値段が高くても心身にとって良いと思える食材を買うか、心身に良くないと分かった上で安い食材に甘んじるかなども、いいか悪いかは別にして、イメージが司っています。
そして「自分なんてこの程度の人間だから、安くていいや」となる感じ方が、自己肯定感をくじくのです。
▶お金の向こう側に人がいる
最後に、「無料とは思えない」とご指摘をいただきました。
今はいくつかの記事を有料化しています。
「お金のむこうに人がいる」
その「思い」は、こちらをご参照いただけますと幸いです。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
https://note.com/tenniszero
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こちらまで
tenniszero.note@gmail.com