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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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#神

神らしいふるまいとは何か

神らしいふるまいとは何か

私は毎年、心静めるために、一年を通して読む黙想の本を置いている。二三年同じ本を使うと、次は別の本にする。今年は何年ぶりかに『み言葉の放つ光に生かされ』という本を用いている。加藤常昭先生が2000年に著わしている。
 
一昨日は、ローマ書4;24-25から、引かれていた。
 
わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に

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親と神

親と神

若い時代は、理性よりも感情が精神を司る、というような説明の仕方をしている人がいた。言い切ってしまうのは極論のような気もするが、言おうとしていることが伝わってこないわけではない。親の視野とは違い、自分から見える景色の中で、自分の思いや願いを正当化するために、理屈を用いるということは、確かにある。もちろん、若くなくてもあるが、若い頃の自分を思うと、そうしたことが顕著であったことは省みるものである。
 

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神の存在について

神の存在について

ある論文集的雑誌で、教育関係の発言があった。現場の理不尽さを訴えるような部分があった。その中で、ふと心に留まった言葉があった。そのおよその内容を伝える。
 
マスクをつける子どもたちについて:マスクは、見えないウイルスの存在の証しである。
 
マスクをつけろとと行政や教育の親方は言っていた。今度は、外せとは言わない。外すかどうかは自己責任だ、というのである。現場の教師はどう指導しろというのだろう。

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神よ、どうして

神よ、どうして

2022年の冬至は12月22日である。今日からは、昼の時間がひたすら長くなっていく。「冬来たりなば春遠からじ」という言葉があり、苦しい情況の中でも、人はなんとか希望を見出そうとする。だが、一旦始まった戦争は、終えるのが困難だと言われるとおり、ウクライナの戦火は収まらない。報道を聞くばかりの私たちが忘れている間も、逃げ惑い、大切なものを失い、また命を落とす人々がいるのが現実である。
 
神よ、どうし

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正解は定められない中で

正解は定められない中で

物事には、よい面もあるが、悪い面もある。それが人間世界での法則だとしよう。では、もしもすべてにわたりよいというものがあったとしたら、どうだろうか。あるいは、人間はそういうものを望むのではないだろうか。
 
そこに、神についての、ひとつの規定が見えてくる。すべてにわたりよいもの、それが神だ、と。
 
そんな馬鹿な。この世の中を見たまえ。なにもかもよいなどということがありうるだろうか。ヴォルテールの『

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たとえ知り尽くせなくても

たとえ知り尽くせなくても

ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読書中である。まだこの本全体をどうなどと言うことはできない。ただ、前半のほうで、「私的」と「公的」の概念について詳しく紹介されているところで、教えられるものがあった。
 
と言っても、たんに私が無知だっただけなのだろうとは思うが、はっとしたのだ。その議論を全部ご紹介するつもりはないことをご了承願うが、いわゆる「プライバシー」なる語の原義が「うばわれたもの」から来

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コロナ禍を乗りこえる心

コロナ禍を乗りこえる心

コロナ禍の中で、聖書は何を叫ぼうとしているだろうか。そんなことを考える。聖書の中にも疫病は幾度か登場する。新旧約全体で66節に登場するが、エレミヤ書とエゼキエル書に多く目立ち、それはむしろこれから悪をなすと疫病で死ぬ、というような呪いめいた言い方のようである。しかし旧約の書のあちこちに出てくる単語であるから、古来人類を悩ませるもの、好ましからざるものとして、人間がしかも太刀打ちできないものとして捉

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ごめんなさい

ごめんなさい

とりあえず謝る。日本人はすぐにそうするが、こういうのを西洋でやると負けだ、などという俗説がある。しばしば聞くのは、決してそんなことはない、という声である。ジェントルパーソンは、礼儀正しいのがあたりまえであるのだとか。いや、これは無責任な、また聞き。
 
クリスチャンは、要するに、神さまに「ごめんなさい」を言った人、というのが子どもたちに対して話すときの基本ではないだろうか。これを大人がすっかり忘れ

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