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虚無

僕が通っているUCLでは虚無主義者は少ない。厭世主義者も滅多に見ない。日本には割といると思うが、当然、意識が高い人間しか入らないような大学だから、その数は僅かなのである。周りには努力する者ばかりで努力を拒むものを迫害するかのように、夢を持たない者や自堕落な者を無視とまではいかないものの、冷遇する。確かに、意識が高くないものや努力を怠る人間が周りにいると、和を乱したり、他人の士気を下げてしまうかもしれない。しかしながら、虚無主義者たちは全て、無駄だと思っている反面、ほとんど害を人に与えない。だから、実際、虚無主義者たちや厭世主義者たちを嫌うのは、努力する者たちの己の理想像に適さないからである。すなわち、彼らのエゴである。己の正義感のために、自分とは反対の意識を持った人たちを赤狩りのように排除していく。目の前から頑張らない奴や意識が高くない奴を消して、同じ意識の者だけで道を開拓しようとする。これは大きい問題である。しかも虚無主義者たちだって、遠征主義者たちだって、努力をしないわけではないし、勉強しようとする意志がないわけでもない。ただ、他のことをしたかったり、もっと彼らにとって大事なことがあるだけだ。僕ははっきり言って、どんなことにも、できるはずがいことも努力しようとして、何かを成し遂げたかのような威を借りる者を悲観的な目でしか見れない。なぜなら、彼らは成し遂げる前に、満足し、形だけの努力で自分たちを見誤るからである。僕は努力する人が嫌いなわけではさらさらない。ただ努力する人が努力をしない人を馬鹿にする構図に不快感を覚える。話をまとめると、あくまでもUCLだが、一部の努力する界隈は虚無の意を持つ者や悲観主義者を完全に下に見ている。努力界隈が彼らを見下す理由は努力をしていないと踏んでいるからである。だが実際は違う。虚無主義者や厭世主義者は形の努力をしないし、他人に承認欲求の努力を開示しない。だから必要な努力、最低限の努力に関しては惜しむことをしない。ただ、彼の興味関心が別にあると、勉学以外での努力をする。それは当然、偏った一部の努力界隈には無論見えない。私はこの構図を世界政治に置き換えた時に合点がいく。国民は誰1人、ついてきていない。政府は暴走している。自分たちは何かをした、解決した、環境や社会をよくしたと勘違いしている。だからこそ、努力をしない国民や地方人を下に見る。虚無や悲観に陥るのは生まれてきた環境や暮らしてきた社会の影響も大きい。最初から希望を持って、生まれてきて、まっすぐな人生を歩んできた良い大学の坊っちゃん大学生たちには理解されない悩みなのであろう(僕も恵まれているし、それには感謝しかないが)。ただ、今の政治や社会を牛耳っている者は、もちろん、こういった意識の高い、良い大学で努力を成した、坊ちゃんたちなのである。

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