おとなの大学生にこそ必要なもの
わたしは通信制大学で文芸の勉強をしている「おとなの大学生」です。先日、学芸員資格過程(※1)の3日間の実習授業があり、「おとなの大学生にこそ必要なもの」にやっと気が付きました。(いまさら)
おとなの大学生にこそ必要なもの、それは、間違いなく、「ご学友」だったのです。
おとなの大学生にこそ「学友」が必要
いや学友って、4月から入学しておいていまさら? という方もいらっしゃるでしょう。そうなんですよ。2月にして初めて連絡先を交換する「学友」に出会えたのです。(おそっ)
そう、わたしは決して社交的な人間ではありません。しかし、そのことにちっとも気がついていませんでした。小説を書くまでは。
大学の小説の合評で、「この主人公は内向的な性格だと思うんですけど」と言われ、わたしは驚いてしまいました。自分自身をモデルにした主人公が「内向的」と言われたことに。えっ、わたしって、内向的だったのか、と。
わたしは仕事でひとと接することも多いし、人脈やチームワークも大切に思っているし、接客も得意です。だからまあそこそこ社交性はあるんじゃないかと思っていたのです。でもそれって、「仕事」という意識がはたらいていただけなのかもしれないなあと。たしかに仲のよい数人の友人と過ごす以外は、基本的にはひとりが大好きです。(ストレングス・ファインダーでは「内省」がいちばん強く出ました)
どうりでふたりも子どもを育てておきながら、ママ友がひとりもいないはずですよね。まあ全然平気でしたけどね。
そんな「内向的」なわたしに、今回の3日間の事前実習授業で、はじめて「学友」ができることになったのです。それはほんとうに、エポックメイキングな出来事でした。
オンライン授業でもひとの性質は見える
学芸員実習の初日は、終日オンライン講義でした。zoomの音声は基本オフ。質問や意見はできるだけチャットで、ビデオはオンでもオフでもよいが、反応が見たいのでできればオンにしてほしい。でも強制ではないので、基本自由。という授業です。
こういう時、みなさんはビデオのオン、オフどちらにしますか?
わたしは、基本オンにしています。だって、真っ暗な画面にむかって講義するのって講師の方もやりにくいんじゃないかなと思うんです。知人が専門学校で講師をしていたことがあって、オンライン授業をするわけですが、やっぱり反応がわからないとむなしくなると言っていました。せっかくなら講師の方にもノリノリになってもらって、いい授業を聞きたいのでカメラはぜったいにオンです。
画面には自分の顔も映ることになるので、うわーほうれい線ヤバいとか、寝ちゃいそうとか、部屋汚いとかいろいろありますが、それも含めて「緊張感を保つ」という意味もあります。
でもどっちでもいいとなると、オフにするひとは多いです。大学生の息子もぜったいオフにすると言っていました。比較的若いひとの方がオフにする傾向があるのかな? 若い人たちにはほうれい線がないんだからオンにしたらいいのにね。
今回のオンライン講義も、オフにするひとオンにするひとさまざまです。そして積極的に発言するひとや毎回リアクションするひともいて、オンライン授業であってもおのずと個性が出てきます。わたしは(内向的だけど)できるだけリアクションする派です。毎回アホみたいな質問してますが、わからないままにしておいたら損するのは自分です。せっかくお金はらって大学にいるのだからアグレッシブにいかないともったいないじゃない?
そのオンライン授業の中で、ひときわ存在感を放つ学生さんがいました。それがのちのキーパーソンとなる「とりで先生」(仮名)です。
先生じゃないのに先生と呼ばれる「とりで先生」
「とりで先生」は、先生ではなく、芸術学コースの学生さんです。わたしは男性の年齢があまりよくわからないのですが、年の頃はばっくり30代なかば〜40代でしょうか。
「とりで先生」は、オンラインの背景がすでに先生でした。だってびっしりと本が並んだ本棚の前にいらっしゃるのですから。そして、かなりアグレッシブに発言されていました。音声が途切れたり、ファイル共有ができていない時など、すぐにリアクションされます。ははあ、このひとがこの集団の流れをつくるひとだな。とわたしは理解しました。
3日目の実習で奈良に行くことになるのですが、移動のときに「とりで先生」は若い学生さんからリアルに「先生」と呼ばれていました。赤いクリップボードを手に他の学生さんを引率する「とりで先生」は、どこからどう見ても「先生」でした。
聞くところによると、ゆくゆくは「先生業」も視野に入れているとのこと。現在は会社員として製薬会社にお勤めですが、「薬学」と「経営学」と「アート」の研究をし、先生になることを目指されているのだとか。その夢、もうすでに叶ってそう。
コミュ力がハンパない「ナナコ社長」
学芸員実習の二日目は、京都キャンパスでの対面授業でした。講義と、学内館の見学、そしてグループワークです。
グループワークでは、5〜6人程度のグループに別れて与えられた課題をこなします。ここで同じグループになって、気さくに話しかけてくださったのが芸術学コースの「ナナコ社長」(仮名)でした。どうやら同じ芸術学コースということで、昨日の「とりで先生」ともお友達のようでした。
ナナコ社長はとてもサバサバした感じの、とても話しやすい女性です。チームを円滑に運営するムードメーカータイプ。とにかくコミュニケーション能力がすごい。娘や息子だったらきっと「コミュ力、エグい」と言ったことでしょう。聞けばなんと、岐阜から来られた女性経営者さんでした。あの親しみやすさでやり手の女社長さんだなんてすごすぎ。
ナナコ社長と仲良くなれたのは、この時のグループワークがきっかけでした。ある課題についてチームで解決策を考え、それをとなりチームにプレゼンする、というグループワークです。ナナコ社長のコミュニケーション能力のおかげもあり、グループ内は活発な意見交換でおおいに盛り上がりました。そして、その解決策をとなりチームにプレゼンすることになります。
プレゼンのときにわたしたちは、問題を解決するキーワードのひとつに「推し」(※2)ということばを使いました。これはなにも唐突な意見ではなく、前日の講義の内容を踏まえたものであり、「ファン心理」「愛と情熱」「双方向コミュニケーション」「アダプト制度」(※3)などの意味をも含めた言葉としてあえて使ったものです。もちろん、「ファン心理」「双方向コミュニケーション」という言葉でも説明しました。「アダプト制度」の内容もナナコ社長が説明してくれました。
ところがそれが、何ひとつ伝わっていなかったのです。
最後に説明を受けた他チームの代表者が、わたしたちのプレゼンに対する評価を発表してもらう段になりました。わたしより年上の中高年の女性が発表してくださったのですが、彼女の発表には「推し」どころか、「双方向コミュニケーション」も「愛と情熱」も「ファン心理」も出てきません。グループではあんなに盛り上がっていたのに、それがまったく反映されておらず、とてもつまらないものに聞こえてきます。一番大切な「推し」の部分を、微妙に避けて説明されているからです。
発表を聞きながら、わたしとナナコ社長は「えっ?」と顔を見合わせました。一番大事なことが伝わっていない? とモヤモヤしたのです。
そして「ありきたりだと思いました」と言われてしまいます。もう、モヤモヤMAXです。
そして思わずわたしは手をあげていました。
「すいません、わたしたちの言いたいことが伝わっていなかったようなので説明させてください。わたしたちは「推し」について説明したのですが…」
するとそのチームの男性が、あわてて双方向コミュニケーションやアダプト制度について補足説明してくださり、やっとわたしたちの意見が伝わりました。どうやらその中高年の女性は「推し」の意味がわからなくて避けて説明していたそうです。
いや「推し」はすでに辞書にも掲載されてるし、小説『推し、燃ゆ』で、芥川賞受賞作品のタイトルやテーマにもなっている。それにもし知らなかったとしても、そのときに聞いてくれたらいいのに…。
まあでも、誰もがわかるように説明できなかったのはわたしの力不足でした。ことばでいろんな人にわかってもらうのは本当にむずかしい。まだまだ修行が足りんな、と反省したのでした。でもなんかスッキリしない。
そんなモヤモヤおさまらぬわたしに、ナナコさんはこう声をかけてくれました。
「言ってくれてよかった。報われたわ。あのままだったら私も、うかばれなかった」
そして、連絡先を交換しようと言ってくれました。わたしにやっと、大学で友達ができた瞬間でした。
ちなみに今回のプレゼンでは、アダプト制度を、「担当制」「自分ごと化」のような意味合いのことばとして使っています。
静かなる計画性「文人かつし」さん
翌日の最終日3日目は、奈良での実習授業です。ふたつの博物館(博物館相当施設も含む)を見学調査します。
ひとつ目の博物館の見学をした後、各自で次の館の最寄駅へ移動します。途中、どこかでお昼をとるような計画になっていました。見知らぬ土地で乗り換えをともなう移動と昼食。これは誰かといっしょに行動したほうが良さそうです。
わたしはすぐにナナコさんに「お昼ごいっしょさせてください」と声をかけました。ナナコさんは、「もちろん」と言っていっしょにいた芸術学コースの仲間を紹介してくれました。
それが前述の「とりで先生」と、もうひとり、「文人かつし」さん(仮名)です。
かつしさんは、東京からこられた芸術学コースの男性です。普段は会社員で、46歳とおっしゃっていました。将来的には中国の文人(※4)のような暮らしがしたいそうなのでわたしは心の中で「文人かつし」と名前をつけました。
以前の芸術学コースのスクーリングで、かつしさんの後ろの席に座ったナナコさん、かつしさんがノートにしっかりと履修計画をまとめられていたのを見て、これは協力しあおうとナナコさんから声をかけたのだそうなのです。
そっか、そうやってみんなで助け合うものなんだ。
芸術学コースでは、独自のグループラインをつくって交流されているようでした。それも「とりで先生」が声を掛け合って、連絡先を交換しあったそうです。すごい。「とりで先生」は最初の二ヶ月くらいひとりでスクーリングを受けていて、モチベーションが下がってきたので、学友に声をかけたのだとか。そうか、わたしに足りないのは学友だったんだ!
つまり、中国の水墨画に描かれているような、自然のなかで学問や芸術や書画を極めた文化人のことですね。かつしさんの穏やかな風貌にピッタリです。
そうか、わたしに足りないのは学友だったんだ!
お昼は駅前でとりました。わたしたちはうどんを食べなら、勉強ついて情報を交換しあいます。わたしが論述で悩んでいること、学芸員課程のレポートに2回も不合格になってしまったことも打ち明けました。(さすがにそんな人はひとりもいませんでした)
するとナナコさんが、「いっしょに助け合いましょう!」と言ってくださったのです。うう。わたしに足りないのは学友だったのかもしれない。(いや、普通に論述能力も足りてないんだけど)
まさかうどん食べながら「結局行き着く所はプラトンなんだよね」「アリストテレスもですよね」「万能ですからね〜」などという知的な会話をする日がわたしに来るだなんて!
レポートの結果を見せ合うって、どういうこと?
電車移動の途中、大学からメールが届きました。まさかのこのタイミングで、全員にレポートの結果が届いたのです。すると文人かつしさんもとりで先生も、即座にみんなそれぞれの結果を見ています。
わたしはけっこう結果がこわいし、ひとりでこっそり見たい派なんだけどな、と思いつつ見てみました。いちおう4科目全てレポートはパスしていました。まだテストは残っていますが、ひとまず、ほっ。
すると驚いたことに、かつしさんととりで先生がそれぞれの点数をその場で見せ合い、内容も改善点もシェアされています。
「えっ、そんなことまで共有されてるんですか?」
とびっくりしたのです。みんなの学習のために、共有しているのだとか。ひえ〜!わたしもおふたりの論文を見せてもらいましたが、へ〜、論文ってこうやって書くんだ!と発見がいっぱいありました。(いまさらですが)
さっそく、わたしもグループラインに入れてもらえることになりました。いや本当に、勉強になることばっかりです。やっぱり学友やまわりの人って大事なんですね。
まとめとおまけ
ということで、まとめると、
おとなの大学生に必要なものは「学友」である。
ということです。いまさらだけど、気づけてよかった。これから大学生活を送られるおとなのみなさん、学友は大事です! ぜひ参考になさってくださいね。
おまけ
今回の移動中に読んだ本は、実習先の奈良と大学のある京都北白川にちなんで、森見登美彦の『熱帯』でした。
本に夢中になりすぎて、荷物を座席に残したまま電車を降りかけました。しかも2回も。
あきらめかけていた学芸員課程、ちょっと希望が見えてきました。もうちょっと、がんばってみます。
ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!