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むしろ「わからない」を楽しむくらいのつもりでギリシャ哲学。

苦戦していた試験がやっと終わりました。

わたしが通っている通信制大学のWEB試験です。取り組んでいたのは西洋(欧州)の文化についての科目です。ギリシャの神話と哲学、そして聖書について。

ほんとうにギリシャ哲学には苦戦しました。いくら学んでもどうにも腑に落ちないのです。どうにかレポートを出し終え、試験の準備をしなければいけなかったのですが、理解が進まず難航しました。

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WEB試験について

まずその科目のレポートを書き、そのレポートが合格したらオンラインで受験できるようになります。試験にはあらかじめお題が5つ与えられていて、そのなかからひとつだけが出題されます。例えばお題は、「〇〇について論述できるようにしておいてください」や、「〇〇について〇〇字程度で書けるように準備しておいてください」というようなものです。

試験の制限時間は1時間。お題を見てから考えたのではとても時間が足りないので、ある程度の準備は必要になってきます。これがまあ大変です。5つのうちのどれが出題されても1時間で回答できるように準備しなくていけないのですから。

ギリシャ哲学がわからない

ギリシャの神話と哲学に関しては、大学に入ってからさまざまな科目を通してずっと勉強してきた気がします。文学を勉強しても、芸術史や西洋芸術を勉強しても、近代哲学を勉強しても、「ギリシャ」はずっとついてまわります。なぜなら、ギリシャの神話と哲学は西洋文化の基盤となっているからです。

たとえばホメロスの叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』は、ギリシャ文学で現存する最古の作品と言われています。たしかにその後、時代を超えて文学作品だけでなく演劇、絵画などさまざまな芸術作品の原案となっています。学んでいくと、へえ、この元ネタもオデュッセイアだったのかーと、いろんな発見があります。だけど、とにかく出てくるひとはみんな死んじゃうし、復讐はとことんえげつない。(※個人の感想です)

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ただ、ギリシャ神話は「物語」として読めてしまう部分があります。そしてギリシャ神話特有の、神々の世界と現実の世界が混在している感じなどは、出雲の文化圏で育ったわたしにとってはなじみの深い感覚です。しかし「ギリシャ哲学」はそうはいきません。まったくなじめない…。

わたしはこの「ギリシャ哲学」にたいへん苦戦していました。学んでも学んでも、ちっとも腑に落ちないのです。なんとなくわかったかも。と思っても、「わかったような気になってんじゃねーよ」ということに出会ってしまったり、なんかつかめたような気がする、となってもまた、あれ、なんでそんな気がしたんだっけ? となるんです。

あまりにもわからなさすぎて論述試験の準備が進まず、ハッと気がつくと裏返したテキストの表紙に、ギリシャの哲人たちを描いてしまっていました。

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こ、これじゃあ持ち歩けないわ。と、表紙をまたそっと裏返すわたし…。

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何をやってるんだ。

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そうそう、アリストテレスだけがやけに力入っているように見えるのは、きっとアリストテレスだけが服を着ているからです。服の絵を描くのは好きなんです。(本業にするくらいには)

ギリシャの哲学者たち

ここでギリシャの哲学者たちをざっと解説します。テキストから引用してもいいのですが、『聖書を読んだら哲学がわかった』(MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)、日本実業出版社、2021年)の解説が、思わず声を出して笑っちゃうほど面白かったのでそこから引用します。

ソクラテス:アテナイ(今のアテネ)の街にちょっと変わったおじさんが出没するようになりました。そのおじさんは街ゆく人に声をかけては「君は何を知っているのか教えてくれ」と尋ねて長話しをしては「君は何かを知っていると言っていたが、実のところ何も知らないじゃないか。とはいえ私も、何も知らないのだが。しかし何も知らないということを知っている分だけ、私の方が真理に近いな。あっはっは」とか、ちょっと何を言っているのかわからないことを言うので、街のみんなに煙たがられていました。そのおじさんの名前がソクラテス。 『聖書を読んだら哲学がわかった』(MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)、日本実業出版社、2021年)

このおじさんが、ソクラテス。人びととの対話を行う中で、「自分の無知を自覚することが人間の賢さである」という「無知の知」にいきついた人物です。

次にソクラテスの弟子であったプラトンです。

プラトン:プラトンの思想を端的に表現すると「二元論」ということになります。プラトンはたとえば「人間」を、「精神」と「肉体」の二つの要素から成立していると考え、精神をその本質だと考えました。そして人間だけでなく、あらゆるものに「目に見える部分」と「目に見えない本質」があると考えました。この「目に見えない本質」を「イデア」と呼び、そのイデアが存在する世界を「イデア界」と呼びました。 『聖書を読んだら哲学がわかった』(MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)、日本実業出版社、2021年)

この「イデア界」こそが、わたしにとってもっとも腑に落ちない部分でした。そりゃあ精神や理性は大事だけど、肉体や感覚だって大切なことじゃない?

最後にアリストテレスです。もともとはプラトンの弟子ですね。

アリストテレス:アリストテレスは人類史上最強の「知の巨人」です。アリストテレスはプラトンのように「肉体が悪で、精神が善だ」という二元論はとりませんでした。その代わりに「中庸」を人間のあるべき姿だとしました。簡単にいえば「何事もほどほどがいい」ということです。(中略)とにかく「あらゆる学問の土台をつくった人」だと覚えていただければ良いかと思います。 『聖書を読んだら哲学がわかった』(MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)、日本実業出版社、2021年)

ふむ。現代人にとってはプラトンよりはアリストテレスのほうがわかりやすいのかもしれません。だけどわたしにはなんとなくまだしっくりきていないというか。それにアリストテレスは哲学だけじゃなくて、科学、自然、天体、動物、政治、詩までいろんな学問の礎を築いたとんでもなく偉い人なので、「ほどほど」といっても、きっとすごいんだと思います。なんかすごすぎて書いてあることがちっともわからない。

賢い人がよく使うよね、「形而上的に言うと」みたいなこと。あの言葉も、アリストテレスからきているのだけど、わたしには一生使えるような気がしない。(←使ってみたかったんかい)

けいじじょう[形而上]:(哲)精神や本体など、形がなく通常の事物や現象のような感覚的経験を越えたもの。 (出典:三省堂辞林21)
けいじじょうがく[形而上学] :存在者を存在者たらしめている超越的な原理を研究対象とする学問。第一哲学。 (出典:三省堂辞林21)

辞書を引いてさらにわからなくなるパターン。

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(わたしの心の声):だいたい、なんでそんなにみんなソクラテスをありがたがってんのさ。人の揚げ足取ってるだけのただのめんどくさいおじさんじゃん。プラトンにしたってさ、イデア界ってなんなのよ。現実の(肉体の)世界はまやかしであって、存在の実体は目には見えないイデア界にあるって言われたって、自分の肉体で子どもを産んで母乳で育てたわたしからしたら、そんなのちゃんちゃらおかしいんですけどー。

ああ、つい心の声が出てしまいました。ごめんなさい。それもこれも、あまりのわからなさのせいなのです。

「ニーチェが中二病みたいで好き」?

そこで、哲学がわからなさすぎて試験の準備が滞っている、ということを家庭内学友である息子(19歳・現役大学生)に相談してみました。

わたし:「かくかくしかじかで、いまひとつギリシャ哲学が理解できないんだよね、とくにプラトン。どうも納得がいかないというか」

息子:「でもそれは、その時代(まだいろんなことが明らかにされていない時代)にはそう考えとったんやな、くらいに俺は思っとったで」

わたし:「それはそれで、って切り離して考えられたってこと?」

息子:「そう、勉強として客観的にな。でも俺は哲学おもしろかったけどな。小さい頃とかそんなこと考えとったもん。なんで命ってあるんやろうとか、ほんまは自分は存在してなくて、誰かの想像の世界のことなんちゃうか、とか」

わたし:「え、それ小さい頃わたしも考えてた! それが哲学ってこと? 」

息子:「そうちゃう? 」

そうわたしも昔、宇宙の果てはどうなっているんだろう、とか、この世は幻なのかもしれないと考えて眠れなくなるような子どもでした。まさかそれが哲学だったとは!

息子:「それに、ニーチェとかおもろいやん。神は死んだ。とか中二病みたいで。俺はけっこう好きやで」

ほほう、ニーチェが中二病みたいで好きとな。

そういえば昔わたしには、「ニーチェ」とかのこむつかしそうなことを考えている男子を好きになってしまう、という傾向がありました。「中原中也」の詩を読んでる、とかいう男子がクラスにいたらぜったい好きになってた。そして学生の頃は友人に「売れない文学青年とか芸術家を影で支える妻になる」とよく言っていたものです。(ところがいまはむしろその逆になっているので人生とは不思議なものですね)

そうか、これは好き嫌いとか、子どものころみたいな感覚で哲学を学んでみるのもおもしろいのかも。と思えるようになりました。そんな感じでもう一度テキストを読んでみたら、何度も読んだテキストのはずなのに、「あ、ここはなんかちょっと響くかも」という一節を発見したのです。

おお〜、これか。

その一節はまた違う時に読んだらちっとも響かないかもしれないし、別の箇所がしみたりするかもしれない。逆にまた別のところがわからなくなったりするかもしれない。それが「哲学」の面白さなのかなあ。「わからないわからない」って言ってるのが案外楽しいのかもね。

試験を受けたら

そんなこともあって、どうにかこうにか試験の準備を進めることができました。5つのお題のうち、3つはちゃんと書いて準備し、ひとつは「ほどほどに」準備。そうして最後のひとつが一番苦戦したお題。一番時間をかけたけど、最終的にはきちんと言葉でまとめきれないまま、〆切時間も迫っていたので、えいやっと試験を受けました。

そうしたら…。

よりによって、一番まとまっていなかった問題が出るよね〜。ほんとうにわたしはツイてないです。

まあでもなんとか、制限時間の1時間でまとめあげて、提出しました。結果はわからないけど、やれるだけのことはやりきりました。


試験は終わったけど、彼らにはまたきっと、そう遠くないうちに出会うような気がしています。

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そのときは、おてやわらかに。



参考文献

・岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』岩波書店、2003年

・中村亮二『西洋の芸術史 文学上演篇1 神々の世界から市民社会の幕開けまで』幻冬舎、2014年

・鷲田清一・長江朗『てつがくこじんじゅぎょう <殺し文句>から入る哲学入門』バジリコ、2008年

・MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)『聖書を読んだら哲学がわかった』日本実業出版社、2021年


↓そうそう、この本、おもしろかったです。「宗教」がからんでくると躊躇してしまう人もいるかもしれませんが、哲学に「自分ならではの切り口」を探すためのよい本のひとつだとわたしは感じました。何より、おもしろくって笑ってしまいました。まさか哲学の本で声を出して笑うとは思いもしませんでした。


(わからないわからないと言いながら、結局ギリシャ哲学について4700字以上も書いてしまった)



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