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【おみくじは大吉が出るまで引かないと、本当の望みは叶わない】 ~書店員のエッセイと本紹介~小手鞠るい『私たちの望むものは』

見上げた白い空は冬の色。部屋で最大限に温めた身体が、徐々に外気に染まっていく。どことなくだらりとした雰囲気漂う坂道は、妙な寂しさと高揚感に包まれている。
道中、横になって広がる五人家族を早足で追い越した。なにも邪魔だったからではない。むしろ彼らの方が正月らしさという意味では正しい。向かう先はきっと同じ。思いはきっと違うけれど。

境内へ足を踏み入れると多くの人がいた。と言っても明治神宮のようなすし詰め状態ではない。細い参道にずらりと行列ができているくらいだ。待ち時間は十分もないだろう。小さい女の子の手を引いた父親と、赤ちゃんを胸に抱いた母親の後ろに私は並ぶ。
「ねー、なにをおねがいすればいいの。」
「なんでもいいんだよ。」
父親はぴょんぴょんはねる女の子の頭に手を添えて言った。女の子はそれを振り払うと「なんでもいいー」と嬉しそうに一回転した。
「じゃあ楽しい学校をおねがいするー。ぜんぶたのしくなるように。」
なんて邪心のない目なのだ。
穢れのない純粋な願いはきっと神様に届くだろう。私はポケットに手を突っ込み、己の願いの価値を探す。じゃかじゃかとぶつかり合うそれらの意味はいつまで経っても見いだせない。
赤ちゃんは母親の胸ですうすう眠っていた。女の子が回っていることも、父親が少し切なそうにしていることも、母親が微笑んでいることも、その後ろで私が小銭を探していることも、何ひとつ赤ちゃんは知らない。正月の穏やかな空気さえ、彼(彼女かも)にはまだ大きな影響がない。

私と同年代くらいのカップルが後ろに並んだ。ぴったりと身を寄せ合って、クールなテンションで会話をしている。居心地が悪くなった私は社務所の巫女さんへ意識を向けた。
クリーム色のカーディガンを羽織った彼女たちはやはり今年も可愛い。どこから募集しているのか知らないけども、なんとも御利益がありそうなバイトだなと思う。巫女さんからおみくじを渡されるだけでも吉凶関係なく縁起が良さそうだ。
中学生がおみくじを見せあってわいわいと盛り上がっている。若い光景にほっこりしながら私は周囲を見わたす。百円だからか、結構な割合の人々がおみくじを引いているようだった。一喜一憂が飛び交う境内は、地元っぽいほのかな賑やかさで彩られている。

待合室のベンチに腰掛け、おみくじを睨みつける中年男性の姿が目に入った。紙の端と端をぎゅっと持って、寒そうに身体を縮ませている。良かったのか悪かったのか、眉間に刻まれたしわからは判別できない。あまりの真剣な表情に思わず目を留めてしまったが、男性は私の視線に気付く様子がなかった。まるで数ミリずつおみくじに吸い込まれていくかのように、彼はじっと紙に向き合っていた。

『大吉が出るまで引けばいい』
幼少期に言われた父の言葉が頭の中を舞う。あれからだっただろうか、私がおみくじを引かなくなったのは。たった一枚の紙切れに今年を決められることなどない。そんなことわかっているのに、心はどうしても動揺してしまう。
父は、小吉を引いてふてくされていた私に千円札を握らせてくれた。小吉、吉、大吉。三回目でやっと納得の結果になったのだが、私の顔に笑みは浮かばなかった。
『なんかうれしくない』
『あ、そう』
父はからっと笑い、一発で引き当てた自分の大吉を財布にしまった。
薄れた渇望感と現実が崩れる音が重なる。望むものってこんなものなのだったのか。私は二枚のおみくじを捨て、大吉と印刷された紙を折って雑な結び目を作った。

参拝を終えた家族たちが社務所へ向かっていく。「おみくじおみくじ」と歌う女の子の背中がぴかぴかと光った。私は一歩前に進み、握っていた五十四円を賽銭箱へ入れ、すばやく頭を下げた。

——私の望むものは。
いや、そもそもこういうときって何も望んではいけないんだっけ。

後ろで待っているカップルの気配を気にしながら、私は手を合わせて強く目を閉じる。

~本紹介~

【恋愛小説が嫌いな人ほど、恋愛への欲望が深い】

小手鞠るい 著『私たちの望むものは』

あらすじ:叔母の千波瑠が亡くなった。甥である主人公は、彼女が生前暮らしていたNYのアパートへ遺品整理に向かう。
かつて仄かな恋心を抱いていた彼であったが、そこで見つけた彼女の日記には、禁じ手の恋の記憶が残されていた…。
自由気ままに生きていた千波瑠が本気で捧げた恋とは。


恋愛小説が嫌いという人に限って、恋愛への欲望が実は深い。
という一文に、「確かに」と深い嘆息を漏らした。
身が焦がれるほど熱く、そのまま灰になってもいい。そのような恋をもう一度出来るチャンスは、今後私にもあるだろうか。


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