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2020年11月の記事一覧
「伝わった」を目にした瞬間
昨日あった小さなお話。
「おもしろ」センサーが付いている次男は、おもしろそうなことをしているとサッとやってきて、スッと横取りしていく。
愛嬌があるからなんとなく許せてしまうのだけれど、今日はモヤっとしたから言ってみた。
「横から急に入ってきてさ、楽しいところ持っていくのってどうなの?せめてやる前に聞いてくれない?」
次男は「ふぅ〜ん」と興味のない顔をしている。
それならばと例えてみることにし
温泉と人のちからで心の芯まで温まる
2日間の休暇をもらった。
「さて、何をしましょうか?」
東京で会ってみたい女性がいるのだけれど、こんな状況だしあきらめることにした。
暖炉の前でパチパチという薪の燃える音を聴きながらの瞑想
森の中での川の流れる音、人間以外の生き物の存在を感じながらの瞑想
生のハーブを使ったハーバルサウナ
彩豊かなマクロビ食
心休まる宿泊棟
そんな恋しい養生園は冬季休園に入っていて仕方がないねとあきらめた。
忘れてしまっても身体が覚えていること
昨日はふと、自分の足はどこまで上るのだろうとそんな疑問が頭に浮かんだ。
リビングで足の蹴り上げ動作をしていていると、「おもしろそうだ」と子どもたちも混ざってきて、「誰がいちばん足が上がるのか選手権」が急遽ひらかれることになった 笑
運動が苦手な長男が意外にものびやかに足が上がっていて、普段から動くことが大好きな次男は力に頼ってなんともかたい動きで、身体がくの字に曲がっていた。
「よーし、やるぞ
「勉強」という言葉に対する違和感はどこからくるのだろう?
わたしの望むことなんとなく昔から「勉強」という言葉が嫌いだ。
一方通行で孤独なイメージがある。
対して「学び」という言葉には勝手にワクワクしてしまう。
その違いがどうしても気になった。
「勉強」と「学び」の違い
私自身は、「勉強」と「学び」との違いは、<出会いと対話>の有無にあると考えています。「勉強」が何ものとも出会わず何ものとも対話しないで遂行されるのに対して、「学び」はモノや人や事柄と出
人の向き合い方からわかること
今日は息子の野球の試合だった。
観察しているとその人が誠実かどうかがよく分かる。
どのように人と向き合っているのかを見ていると、信頼関係が結べる人なのかどうかがわかってくる。
7時半に集合し、終わったのは11時半だった。
わたしにとっては、初めて最初から最後まで見ていることができた日でもある。
(よくがんばりました!自分 笑)
息子の入っているチームは田舎なため寄せ集めの連合チーム。
だから、
立ち姿は自分の心の表れである
自分に気づくこと武道を習う前までは
猫背で下を向いて歩きがちだった。
稽古では視線が下がっていることを
よく注意された。
向かい合う相手の背後まで
自分の手元に集中せずに
一つの場所に気をとられずに
全体を見るようにと。
目線を下げるのをやめて
少しずつ姿勢も良くなってきた。
すると腹が据わるようになり
おどおどした気持ちがいつの間にか
遠い存在になっていることに気がついた。
気持ちが落ち着き
ゴールは必要なんだろうか?
ある山に登ったとき、下調べがあまくて目指している山にたどり着くには何度も登って降りてを繰り返さなくてはならなかった。
笹藪ばかりのその山は見通しも悪くひと気も少なかったから、どこからか「ガサガサッ」と音がするたびに息を殺して様子をうかがった。
「今度こそ山頂か?」と期待を膨らませるも、またけもの道のような登山道が続いている。
期待と落胆の繰り返し。
それでも期待することをやめられない。
それが自分
「考える」について。自分の理想の「考える」とは?
『バカバカしいかもしれないけれど今やりたいことはなんだろう?』
しいたけさんの記事を読んで考えてみた。
気心知れた仲間で、海に向かって「くそったれー!!」と叫ぶ会をしたいと思った。
友人たちや自分の状況を俯瞰してみてみると仕事や家族などの役割を担うことが中心になって、動きが限定的になってしまっている。
それをハンマーでぶち壊して、たとえ一時的でも自分本来に帰る時間を共有したい。
近くに海が
私と呪いについて 〜役割という呪い〜
今回の話は人を呪うなどといったものではなく、自分で自分を呪っていること、無意識に「そうしなければならない」と思い込んでいることについて考えてみようと思う。
わたしが「そうしなければならない」にがんじがらめになってしまうとき、それは自分だけの役割を担っているときだと思う
子供としての役割それは家族の関係を良くするための潤滑油のような役割だ。
本音を言わない個人主義的な家族の中で、気持ちの交換がし
太極拳は生き方そのもの? 〜習い始めて思ったこと〜
太極拳の稽古初日は
足の運びと体重移動が独特で
ちんぷんかんぷんだったと言えるかもしれない。
合気道の癖が出てしまって、つま先を無意識に開いてしまうし、気を抜くと重心をのせている場所がずれてしまう。
ゆっくりで止まらずに流れていく動きだからこそ、誤魔化しが効かないそんな難しさを感じた。
今日やったことは
全体で準備体操として
「練功18法健操」
(日本のラジオ体操みたいなもの)
それから、個
味の好み…それを求めている理由はなんだろう?
一時期、毎日のようにチャイを手作りして飲んでいた。
カルダモン、クミン、生姜を少しだけすりおろして入れる…シナモンたっぷりのチャイ。
それがだんだんとスティックタイプのミルクティーに代わった。砂糖入りだと甘すぎるからと、ノンシュガーのミルクティーに小さじ1ほど砂糖を入れて飲んでいた。
自分ではミルクティーがすごく好きだと思っていて、毎日1、2杯飲んでいた。
でも、飲んだ後の後味が、口に残る感じ
リラックスのために岩盤浴へ。何もしない時間だからこそ気づくこと。
元気が出ない日も音楽を聴くと、むくむくと元気がわいてくる。
でも、音楽さえも受けつけない時がある。
頭の中がせわしなくて静寂を求めているのを感じる。
無意識化でもたくさんの情報が入ってくる。
波を乗りこなすどころか、波にのまれている。
脳の疲れは、肉体的な疲れとはまた別な感じがする。
体を休めたからと言って、脳まで休めているとは限らない。
少し前に、友だちがとある岩盤浴のお店を
熱く勧めていたこ
子どもであれど、ひとりの人としてまっすぐ向き合っていきたい
11月3日のお話です。
次男のお話その日は9時から12時まで長男の少年野球の練習があって、車で送りがてらコンビニに寄った。
好きなお菓子を1つ買うことになって、長男はパパッとポテトチップスを手にしたのだけれど、珍しく次男がなかなか決まらない。
集合時間も迫っていたから次男を急かすも、それでも決まらない。
長男を送り届けた帰りにもう一度寄るか、少し考えたけれど、とりあえず「グミにしたら?」と言って
何を学ぶかより、どう学ぶのか?本質的なこと
少し前から太極拳に興味があった。
でも、どんな方が教えているのか調べても見えてこなくて、なんとなく腰が重くなっていた。
「やっぱり見学してみないと結論もでないし、何も始まらない!」
夕方、急にそんなふうに思い立って、メールで見学したい旨を伝えてみた。
するとベッドに放置していたスマホに着信があって、あわてて折り返しの電話をかけた。
電話の相手は60代後半の女性で、快活な喋り方をする方だった。