見出し画像

太極拳は生き方そのもの? 〜習い始めて思ったこと〜

太極拳の稽古初日は
足の運びと体重移動が独特で
ちんぷんかんぷんだったと言えるかもしれない。

合気道の癖が出てしまって、つま先を無意識に開いてしまうし、気を抜くと重心をのせている場所がずれてしまう。
ゆっくりで止まらずに流れていく動きだからこそ、誤魔化しが効かないそんな難しさを感じた。

今日やったことは
全体で準備体操として
「練功18法健操」
(日本のラジオ体操みたいなもの)

それから、個別指導で
「起勢(チーシー)」
「倒巻肱(タオジェンゴン)」
「野馬分髪(イェマーフェンゾン)」
3種の動きをした。

画像1

【陰陽という考え方】
 太極拳は,世界はすべて「陰」と「陽」の2つの要素からできており,それがバランスよく組み合わされているという前提(陰陽学)に立っています。「陰」も「陽」もどちらも必要だと捉えているのです。また,「陰」の中にも「陽」があり,「陽」の中にも「陰」があるとも考えます。それを端的に表したのが太極図です。
 そしてそれは,太極拳の実技の中にも具現化されています。例えば,体を開いたなら次には合わせます。「開合」(カイホウ)と呼ばれます。2つの手は,決して止まることはありません。向かい合い,近づき,離れ,円を描きながら動き続けます。

正直、今日の稽古では何も覚えられていない。

練功18法健操をしているとき、動きが一際目を惹く人がいて、立ち振る舞いが堂々としているのに嫌味のない素敵な人だなと思っていた。
後半、その方が率先して教えてくれて、太極拳では胸を張らないという説明のときに、「胸は張らずに奥にしまっておいて、肩の皮を張る感じで」と表現していて、そのおかげで途端にイメージしやすくなった。

覚えるのが苦手だと伝えたときには、「忘れてもいいのよ!楽しくやりましょ♪」と声をかけてもらって気が楽になった。

波長が合いそうな人が居るのがわかって、楽しみながらやっていけそうでほっとしている。


どうやらここではわたしが最年少のようだ。
(39歳なのに 笑)
おまけに40代、50代が居ないそうで、だからだろうか…ただ存在しているだけで褒めの言葉がふってくる。
「覚えが早いわ」とか「若いと動きが違うね」とか。

子どもたちと一緒に山登りをするときと同じだなと思った。
山に子どもが居るだけで、すれ違う大人から「えらいね!」「元気だね!」と褒めの言葉が降ってくる。

存在しているだけで「いいね」と言われることは元気につながるけれど、それは外の世界のこと。
外の世界に依存していると、自分自身が一喜一憂する状態になってしまう。
結局は自分自身(身体と心)をどれだけ整えられるかなんだと思う。

今はスイッチのオンオフみたいに、自分の中の陰陽は分かれてしまっているけれど、太極拳を通じて自分の中の陰と陽がどちらかに偏りすぎることなく、留まることなくなく、緩やかにつないでいけたらいいなと思っている。

合気道を習っていたときに先生が「日常に活かしてこその合気道」だと言っていた。
そのおかげで何か学ぶときには、「これを自分にどう活かすのか」に気が向くようになった。

太極拳を何年かやったら合気道をまたはじめてみるのもいいかもしれない。
合気道の稽古のときはブレがちだった自分の軸が、太極拳の稽古で整いそうな気がしている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?