身体性と人間性。SF小説「プロトコル・オブ・ヒューマニティ」が私たちに問うこと
事故で右足を失い、義足をつけたダンサー・護堂恒明。彼は、AI搭載の義足を使って人間とロボットの境界を探求していきます。その過程で、彼は身体性、介護、そして人間性について、思いもよらないことを学ぶことになります。
本作のユニークな点は、SFでありながら、身体性や介護といった身近なテーマを扱っていることです。恒明は、義足をつけたことで、自分の身体と向き合う。そして、ロボットとコンテンポラリーダンスを踊るという前人未到に挑戦します。
一方、ダンスの大先輩である父親が認知症となり、介護をすることで、父親との対話という難題に向き合います。これらの経験を通して、恒明は、人間はいかにして他者と理解しあえるのか、人間であることの意味とは何かを問うのです。
コンテンポラリーダンスは、複数のダンサーが即興で関係性を表現することで観客を魅了します。時に相手に身を委ねるといったこともあります。ロボットも、恒明との距離と速度を測定しAIが計算することで、人間のダンサーのように動くことができます。しかし、その動きでは芸術性を引き出すことは難しい。
介護とは、介護される人のために、自分の身体や時間を捧げること。肉体的にも精神的にも大変なことです。しかし、介護を通して、私たちは人間が互いにどのように支え合うのかを学ぶことができます。
ロボットにしても、認知症の父親にしても、お互いに感情と思考を理解し合うことで、新たな高みへと翔ぶことができます。
「プロトコル・オブ・ヒューマニティ」は、SFでありながら、私たちの日常を照らし出す物語です。ロボットや父親と対峙する描写は非常にリアルでなまなましい。他者と理解しあい、高みに翔ぶにはどうすればいいか、恒明のダンスの中に解を見出したい。
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