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【ブレネー・ブラウン博士】エンパシーとシンパシーの決定的違いとは?コンパッションとは?

この記事をご覧いただき、ありがとうございます。
🌈はろ/Halo🍀です。

今回の記事は、他のブログ記事 Enjoy, Explore, Discover, Newsympathy, empathy, compassionの違いをネイティブの感覚で解説!や、世界有数の辞書企業メリアム・ウェブスター(Marriam Webster)サイトの「What's the difference between 'sympathy' and 'empathy'? -Though the words appear in similar contexts, they have different meanings」を参照し、

一見似たような言葉ですが、以前から日本語でも知られている「同情・共感(シンパシー/Sympathy)」と、近年、大ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディ みかこ (著))で注目された「エンパシー」「共感力(意見の異なる相手を理解する知的能力)(エンパシー/Empathy)」との違いについて書いてみたいと思います。

どちらも"共感"を扱う語彙であり、同じような文脈で登場する言葉でありながら、その意味は異なります。
興味深いのは、ウェブスター辞書のサイトではシンパシーの場合は、他人の感情を共有し共感する一方で、エンパシーの場合は、他人の感情を理解するが、必ずしも共有しない場合にも使われます、と書かれている点です。

シンパシーは、他の人の感情を共感・共有し、同情し憐れむ行為に至る感情を意味する一方、エンパシーは、他の人の感情を共感し、理解する力、その感情移入、理解する能力そのものを言うようです。

The difference in meaning is usually explained with some variation of the following: sympathy is when you share the feelings of another; empathy is when you understand the feelings of another but do not necessarily share them.
一般的に、「シンパシー」は他人の感情を共有する場合、「エンパシー」は他人の感情を理解するが、必ずしも共有しない場合にも使われます。

The nouns share a common root: the Greek noun pathos, meaning "feelings, emotion, or passion." Pathos itself refers to the evocation of pity or compassion in a work of art or literature.

これらの名詞双方とも、「感情、情動、情熱」を意味するギリシャ語の名詞pathos(パトス)を共通の語源としています。pathos(パトス)自体で、芸術作品や文学作品において、同情や哀れみを呼び起こすことを意味します。

What's the difference between 'sympathy' and 'empathy'? -Though the words appear in similar contexts, they have different meanings  - Marriam Webster

では、次に、勇気・心の弱さ・恥・共感などについて研究を行っており、執筆した書籍はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに何度も登場しているヒューストン大学ソーシャルワーク大学院の研究者、ブレネー・ブラウン(Brené Brown、1965年11月18日 - )博士の講演会から、その意味の違いをもう少し深く探っていけたらと思います。博士のエンパシー、シンパシーの定義は、ウェブスター辞典の解釈とは、少し違った角度から考察されています。

世界的な講演TEDにも何度も講演しているブレネー・ブラウン博士による、2010年の「傷つく心の力(The Power of Vulnerability)」は再生数がトップファイブに入っている講演であり、博士は、長年、人間の「心の傷つきやすすさ(もろさ)」に関する継続的な研究を通して、何百人もの人々にインタビューした「その結果、私たち人間というのは、失望を、冷笑主義(シニシズム)の盾によっていわば防衛し、喜びを麻痺させて、恥をかくことから身を守り、愛する意志すらも封印して、哀しみを回避しようとしていることがわかりました」と解説しています。

(下記、TED動画には日本語のスクリプトも表記されています)



エンパシーとシンパシーの違いとは?

この2つは同じ意味で使われることが多いのですが、まったく異なる結果をもたらす決定的な違いがあるのです。ブレネー・ブラウン博士は、「エンパシーはつながりを促進し、シンパシーはつながりを断絶させる」と述べています。「原則としてエンパシーもシンパシーも感情ですが、エンパシーとは、他人の感情を経験し、相手が感じていることを本当に感じるという感情的な要素が必要です。一方、シンパシーは、他人の苦しみを理解することです。より認知的な性質が強く、一定の距離を保つことができます。」

この陽気なRSAアニメは、共感に関するブレネー・ブラウン博士のTED講演からのクリップをナレーションに、その違いを見事に浮き彫りにしています。誰かの痛みや苦しみを和らげる最善の方法とは何でしょうか?ブレネー・ブラウン博士は、私たちは自分自身の弱さに触れる勇気がなければ、真の共感的なつながりを作り出すことはできない、と私たちに気づかせてくれています。エンパシーとシンパシーの違いについて、この動画を通じてより理解を深め、共感力を高めるための実践的なヒントを得られることでしょう。(YouTube チャンネル Diana Simon Psihoterapeutより)

オリジナル動画:Brené Brown on Empathy vs Sympathy
YouTube チャンネル 
Diana Simon Psihoterapeut
【オリジナル動画(英語音声)で聴きたい方はこちらの「オリジナル動画」からどうぞ】

では、エンパシーとは何なのでしょうか?シンパシーとは決定的にどう違うのでしょうか?

エンパシーは、つながりを強くし、シンパシーは、つながりを断ち切ってしまいます。

エンパシーは非常に興味深いテーマであり、看護学者・健康保健学博士であるテレサ・ワイズマン(Teresa Wiseman)は、共感力が関係する、非常に多様な職業を研究し、エンパシー(共感力)に関係する4つの資質を導き出しました。
1つ、パースペクティブ・テイキング、相手の視点に立つ能力、または相手の視点をその人の真実として認めることのできる能力。
2つ目、ジャッジ・裁かないこと。これは、簡単ではありませんね、私も含めて大勢の人が気づかずにジャッジすることに夢中になっていることがあります。
3つ目、感情や他の人々を認め、それを伝えることができること。
4つ目、誰かに寄り添って感情を共感することができ、人々と気持ちを通わせることができること。

私にとっては、エンパシーの共感というのは、誰かがその人にとっての神聖な空間とも言える、深い穴の中にいるときに、その人が、底の方から叫んで、「もう抜けられない、暗い、もう限界だ!」と言っているような状態を思い浮かべます。
その時、エンパシーからであれば、私たちはその状況を見て、自分達が降りていって「ねえ、こんな風に底にいるのがどんな感じかわかるよ、君は一人じゃないからね」と言います。一方、シンパシーの場合は、穴の上の方から覗いて「ああ、よくない状況だね......いや......サンドイッチが欲しいかな?」というイメージです。

エンパシーとは、それ自体が「もろさ・脆弱性」から来る選択です。脆弱な選択と言っていいかもしません。なぜかというと、そうしたあなたとつながるためには、私の中にある、そういった気持ちを知っている何かと繋がることになるからです。

エンパシーに基づいた共感的な反応というのは、「少なくとも・・・(は、ある)」という反応から、始まることはほとんどありません。

ですが、私は気がつくとそうしてしまっています。
私達は気がつくと、いつもそうしてしまっています。
※Silverline.....それは正式な動詞ではないと思うのですが、比喩として使わせてください。Silverlineしてしまいます。
(※Silverlineとは、どんな暗い雲でも、その周りには銀色の影があるということ。どんなに悪い状況でも、きっと良くなるという希望があると伝えることの比喩で、ここではエンパシーではなく、シンパシーの例として挙げられています)
「私は流産してしまったのです」と誰かに告白されたら、
「"少なくとも"妊娠はできることがわかったのよね、 結婚生活は破綻しそうけれど」
「"少なくとも"あなたは結婚できているものね」

「ジョンは学校を追い出されてしまったのよ」と告白されたら、
「”少なくとも”サラっていうAクラスのお子さんがいるじゃない」

(そんな思いから声をかけていませんか)

何か困難について話題にあがる時、私たちはついやってしまいがちなのが、その物事を改善しようとしてしまうのです。
でも、もしも、私が何か私の抱えている困難や悩みについて誰かに話したとしたら、むしろ「今は何を言っていいかわからない。でも、そうやって話してくれてくれたことが嬉しいよ」と言ってもらいものです。

なぜなら、こういう場合、物事を改善しようとする反応をしたからといって、何かが良くなることはほとんどなくて、状況が良くなるのに必要なことは、つながっていく、繋がりを感じることだからなのです。

ブレネー・ブラウン博士にとってコンパンションとは?


ブレネー・ブラウン博士は、別の動画で、コンパッション(慈愛・思いやり)についても、エンパシーは、コンパッションを生かすためのスキルセットであり、コンパッションもエンパシーにも自分自身からバウンダリー(心の境界線)を持つこと、繋がりの中にあり、思いやりのある人間であり続けるために自尊心の重要性についても、述べています(字幕はすでに翻訳されているので、ここには一部引用します)。


この13年間、私が研究のためにインタビューしてきた中で気づいたのは、最もコンパッション・思いやりを持っている人ほど、最もバウンダリー(心の境界線)を設定しているということです。私が、ここで言うバウンダリーの定義は、何が自分にとってOKで何がNGなのかであり、私たちと言うのは、自分から境界線を設定せず、人々に境界線を設定させてしまうことがほとんどです。その結果、私たちはただ憤慨し、憎しみを抱くだけになってしまうことが多いのです。ただ、愛情深く、寛大でありたいだけであっても。
(中略)
私は誰かにエンパシーを実践する時、その人の闇を全部引き受けていたら、
燃え尽き症候群につながってしまうと思いがちですが、エンパシーというのは、そうではなく、文字通り、誰かと「共に感じる」ことなのです。それは、私の中のある場所に(勇気をもって)触れることによって、あなたがいた場所、あなたのいる場所を理解することができて、だから私はその人を見て、私もそうだ(そこに行ったことがある)と共感することができるのです。
(中略)
寛大さというのは、バウンダリー(心の境界線)なしには存在し得ません。
が、私たちはバウンダリー(心の境界線)を設けることに抵抗があります。
なぜなら、私たちは、人がどう思うかを気にしてしまい、誰かを失望させたくない、どこかでみんなに好かれたいと思っているからです。
自分からバウンダリー(心の境界線)を決めるのは簡単ではありません。
でも、境界線は自己愛の鍵だと思います。
自己愛と、他人を愛する優しさの鍵だと思います。
愛を持って他人と接すること。
それには、バウンダリー(心の境界線)がなければそれを維持することができないと思います。
(中略)
エンパシー、バウンダリー(心の境界線)がないのは、エンパシーではありません。
バウンダリー(心の境界線)がないコンパッション(思いやり)は、コンパッション(思いやり)にはなりません。
バウンダリー(心の境界線)がない心の傷つきやすさというのは、真の心の傷つきやすさには触れることができません。
ここに大きな隔たりがあることがわかります。
バウンダリー(心の境界線)というのは非常に重要であって、それは偽りの壁ではなく、分離や分裂でもありません。これは自分にとってOKで、これはダメなんだ。それは尊敬の念、自尊心なのです。

Brene Brown on Compassion





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