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短歌・詩・俳句

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短歌・詩・猫を中心とした川柳などを掲載しています。
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#俳句

休日

休日

周りの田んぼに水が入り、田植えがもうすぐ始まろうとしています。

桜が終えてほぼ半月になりますが、サクラの語源は「サ」がサツキ・サオトメ・サノボリなどと同じように「田の神」を、「クラ」は古語では「座」の意味を表しているので、「サクラ」は「田の神の御座所」であるという説があります。
桜が咲くと人々は田植えの準備をする時期が来たことを知り、田の神が農事にいそしむ人々の姿を桜の木に腰掛けてにこやかに眺め

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大仏のうたた寝

大仏のうたた寝

今日は遠足で鎌倉に行きました。
遠足?って感じでしょうか。
遠足の引率と言っても生徒は班別の自由行動なので教員もほとんど自由散策。

長谷寺と北鎌倉で生徒を分散してバスから降ろし、北鎌倉からのスタート。
浄智寺から山道に入り、源氏山公園、銭洗弁財天、鎌倉大仏まで歩き、もう一足、由比ヶ浜に出て海を見ながら近くのローソンで買ったおにぎりを食べ、帰りの集合場所の八幡宮に向かいながら、ちょっと阿仏尼のお墓

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栗ご飯

栗ご飯

哀しみは透明なビンに詰められて駄菓子屋に並んでいるマーブルチョコ

透明なビンにこっそり溜めてきた哀しみがもうあふれてしまう

まるで思春期の中高校生が歌うような感傷的な歌かもしれません。
でも、61歳になっても、精神は18歳?。成長しません。

それでも、日々はそんな感傷に浸れるほどの余裕もなく、怒涛のように過ぎていきます。
そんな自分にちょっとご褒美。

がんばって今日生きました栗ご飯

秋ですね

秋ですね

柿の木に柿の実がなり秋来る

ばかみたいに単純な句ですが、先週の台風で延期された試合がこの三日間で行われ、何とか終わりホッとした~という感じで呟いてみました。

夕方、一時間くらい陽があったので、慌てて家の周りの「秋」を集めてみました。noteも自転車操業です。

蕎麦の花 シルバーウィーク終はりけり

栗むいてやっとこさっとこ栗ご飯

猫の見る秋の田んぼの稲孫かな

一瞬何だかわからないけど う

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床屋

床屋

自分が30歳を過ぎ、40歳を越えた時にも、それは確かに一つの衝撃でありながら、どこかに「こんなもんか」という思いが胸の中には同居していたのだが、息子が中学生になった時、自分がその親であるという事実には何故か大いなる衝撃を感じたりした。

中学生の親と言えば、それはもう筋金入りのオジサンであり、その僕の中にあるイメージと自分の像とが、僕の頭の中で全く一致しなかった。「十分、オジサン化している」とカミ

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空を飛ぶ土竜

空を飛ぶ土竜

ふはふはと空飛ぶ土竜の夢や春

「春眠暁を覚えず」と言いますが、寄る年波で、いくら遅く寝ても4時とか5時に目が覚めてしまい、「暁を覚えず」という状態がむしろ恋しいくらいに思われる今日この頃です。

その代わり、昼間は夢心地。例えば、土竜が空をふわふわ飛んでいる夢を見ているような現実感のなさ・・。

実は、「土竜」は小学校2年生以来の僕のあだ名で、そんな綽名がついた理由もわからないまま「もぐちゃん」

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雨

雨の降る日は
さびしくて
あなたに会ひに
ゆけません

雨は嫌ひでないけれど
あなたに会ひに
ゆけません

雨がやんだら
大好きな
あなたに会ひに
ゆきませう

いくつもいくつも
水たまり
とびこえとびこえ
ゆきませう

わたしはあなが
好きですが
うまくあなたに
言へません

とってもとっても
好きですが
うまくあなたに
言へません

雨はまだまだ

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新春のご挨拶

新春のご挨拶

あけましておめでとうございます

暮れから正月にかけていい天気が続きましたね。元日の朝の富士山を撮ってみました。

正月と言っても老齢の身には何もなく、歌番組を観ても聞いたことのある曲はなく、チャンネルをひねれば登場するお笑い芸人さんたちの声は、耳が衰えて、もはやその早口についていけません。
暮れにお昼からまとめて再放送されていた「ハコヅメ たたかう交番女子」の再放送の永野芽郁と戸田恵梨香のやり

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立冬

立冬

ぬくぬくと猫ひざにゐて白秋忌

寒くなりました。
今日はちょっと小休止させてください。

この写真は今年の富士山の初冠雪。
生きているといろいろなことに出くわすもので「初冠雪(9月7日)取り消し問題」とかありましたね。これは「本当の初冠雪(9月26日)」の方。下の方に少し白く見えるのは蕎麦の花です。

これはちょっと前、白秋忌(11月2日)の頃。
蕎麦の白い花が消えて実がついているのがお分かりにな

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風の時間を生きる

風の時間を生きる

輪郭は次第しだいに奪われて いつか私は芒であった

人はみな風の時間を生きるゆゑ 秋の野にふと置かれた芒

秋の夕日の中で、自分の存在の輪郭が薄らいでゆき、風景そのもの中に溶け込んでいってしまうような感覚。僕が消え去った後に残るのは、夕日を背景に揺れる芒(すすき)の景。人は、はかない風の時間を生きる、秋の野に置き忘れられた芒かもしれない・・。

・・みたいなことを考えていたのですが、昨日、プレバト

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猫とゆく夕焼け小焼け散歩道

猫とゆく夕焼け小焼け散歩道

夕暮れの奏でる紺のメロディの生きることは悲しみ

同じ短詩形でも、俳句は人気があり、短歌はそれに比べると人気のないジャンルかもしれません。

俳句と短歌の大きな違いは、五七五と、五七五七七の違いであることは明らかですが、それはたぶん、簡潔な17音で省略された乾いた抒情を構成する俳句と違い、短歌は31音、俳句より余分?な14音に、その分量のウェットな「情」が加わってくるという違いと言えるのではないか

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鰯雲

鰯雲

鰯雲高く高くにありまして届かなかった夢があります

届かないものみなうつくしく道草の土手に転がって見た鰯雲

鰯雲人に告ぐべきことならず
・・・加藤楸邨の人口に膾炙した句ですが、鰯雲、鱗雲・・なんだろう、秋を象徴するこれらの雲には、人を惹き付けてやまないものがあるような気がします。

僭越ながら、かなつんさんの俳句とご家族との温かいやりとりに感銘を受けましたので、紹介させてください。