風の時間を生きる
輪郭は次第しだいに奪われて いつか私は芒であった
人はみな風の時間を生きるゆゑ 秋の野にふと置かれた芒
秋の夕日の中で、自分の存在の輪郭が薄らいでゆき、風景そのもの中に溶け込んでいってしまうような感覚。僕が消え去った後に残るのは、夕日を背景に揺れる芒(すすき)の景。人は、はかない風の時間を生きる、秋の野に置き忘れられた芒かもしれない・・。
・・みたいなことを考えていたのですが、昨日、プレバトを見ていたら、東国原英夫が
ラフレシアも秋夕焼も人を食うか
という俳句を詠み、それに(ちゃんと覚えてはいないのですが)「秋夕焼は人を呑み込んでしまうような・・」という解説を添えていて、ああ、そんなふうに思う人がやっぱりいるんだと思ってみたりしました。
夕暮れの光に僕が覆われて溶けゆくまでをじっと見てゐた
所与といふ風の時間を生きること
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