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父のこと

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#思い出

父の三回忌に思うこと

父の三回忌に思うこと

私の父が亡くなったのは、平成31年3月でした。元号が平成から令和になると発表されたすぐ後のことです。「父さん、平成が終わるね。令和になるんだね。」と毎日話しかけていました。

そして、まもなく三回忌を迎えようとしています。

丸二年。早かったような遅かったような。当時は毎日辛くて辛くて悲しくて、ネットでは「時間薬」という言葉をよく見ましたが「そんなの効くわけない!この悲しみが癒える時なんて来るの?

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突然のがん宣告

突然のがん宣告

平成30年9月中旬。仕事を終え、自宅アパートでのんびりとくつろいでいた20時頃に携帯が鳴りました。母からです。いつもの調子で、

私「もしもし。どしたの?」と電話にでました。軽い世間話をしたあと、

母「実は、父さんなんだけど。」

私「ん?どした?」と言いながら、胸騒ぎと共にものすごく嫌な予感がしていました。

母「少し前から歩くのが大変になっちゃって、この前整形外科に行ったんだけど何でもないっ

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まだ心の準備もできてない!

まだ心の準備もできてない!

大泣きしながら車で父の病院に向かいました。容態が急激に悪くなったため、4人部屋から個室に病室が変わっていました。看護師さんに案内され、中に入ると母と妹がいました。

「お姉ちゃん久しぶり。」

妹も泣いていました。

妹は、県外で一人暮らしをしていたのでなかなか病院に来られなかったのですが、母から連絡を受け駆けつけたとのことです。

父は点滴を受けながら眠っていました。高熱のため、時々うなされてい

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季節は冬に

季節は冬に

平成30年12月。

秋から入院生活を送っていた父でしたが、いつの間にか季節は冬に。しかし、父の部屋は季節感が全くありません。

扇風機が回り、薄手のパジャマ、足元は裸足の父。本当に暑がりです。その事が書いてあるのはこちら↓

入院当初は動きが活発でしたが、少しずつADLが低下してベッド上での危険な体動はなくなりつつありました。

夜の付き添いをやめてからも、落ち着いて眠っていると看護師さんからお

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新しい年を迎えて

新しい年を迎えて

ついに年が明け、父は平成31年を迎えることができました。

時々熱を出すのですが、大きな変化はなく日々過ごすことができていました。

毎日を病院で過ごしていたので、新年を迎えた実感はほぼありませんでした。母も普段ならお節料理の準備などをしていたのですが、「今年はそれどころじゃないよね。」と話していました。

私は病院からの帰り道、実家近くの神社へ行き父の回復をお願いしました。おみくじを引いたら大吉

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父との関係(小学生)

父との関係(小学生)

小学生低学年くらいの頃からでしょうか、夏休みには毎朝ラジオ体操に行くことになっていました。

何故か今でも鮮明に覚えているのは、父と自転車で近所のお寺の広場に行ってラジオ体操に参加したこと。

それが夏休み中のルーティーンになっていました。半ズボン姿で軽快に自転車を走らせる父についていくのに必死な私。

今でもその光景が頭に浮かびます。

父は凝り性で、一度はまるとその事に夢中になる性格。(それは

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父の異変

父の異変

平成30年9月中旬に肺がんの宣告を受けた父。

様々な検査をして、この時すでに肺がんから脳への転移が認められました。

その時の様子はこちらの記事にあります。

母から歩行がおぼつかなくなったと聞いていましたが、今思えば、他にも前兆はあったと言います。

まずは車の運転。運転は慎重だし、上手だったはずの父。それなのに、8月の終わりか9月の初め頃は右左折の際にぶつかりそうになったり、バックでブロック

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オムツ探しの旅

オムツ探しの旅

平成31年2月。

入院中の父が下痢をするようになってしまいました。

「とりあえず、下痢がおさまるまでは口から食べるのはやめておきましょう。」そう看護師さんに言われ、経口摂取を一時中止しました。

数日たっても下痢はなかなか収まらず、そのせいでお尻が赤くただれてきてしまいました。

看護師さんが、「皮膚の状態が悪くなってしまうので、下痢便用のパッドが薬局に売ってるので用意してくれると助かります。

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刺す血管がない

刺す血管がない

平成31年2月

だんだんと死が近づく父。

始めの頃は元気がよく、点滴を入れても自分で引っこ抜いてしまい、またいれてもらう。といったことを何回も繰り返していました。

食事もできず、痩せ細ってしまった身体。看護師さんから、「刺せる血管が見つからない。」といよいよ言われてしまいました。

ようやく点滴を開始しても、しばらくすると漏れてしまうのです。

そして、血管での点滴ではなく「皮下」での点滴を

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父よ、逝かないで

父よ、逝かないで

平成31年3月。

毎日、父に会っているとその時が近づいてきているのは分かってしまうけど、それを受け入れたくない気持ちもあり。

静かながらも、心は苦しい日々を送っていました。

ある日、深夜にスマホが鳴ったので飛び起きると母でした。

「今、病院から電話があって父さんが危険な状態だから来てくれって!」

「分かった、すぐに行く。」

大慌てで着替えて車を走らせました。深夜だったので道はガラガラ。

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父へ

父へ

平成31年3月下旬の朝方に父は永眠しました。

病気が分かってから、亡くなるまでの約半年間。

わたしは仕事を辞めて、毎日病院に通いました。

こんなに父と共に時間を過ごすことはなかったので、とても貴重な時間でした。

もう危ないと言われてから半年間も生きた父。

この半年間は父とお別れをする時間を神様がプレゼントしてくれたのかな?

そんな事を残された家族で話しました。

痛くて、苦しい思いをき

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桜を見て泣いた日

桜を見て泣いた日

平成31年3月下旬、朝の5時過ぎに父が亡くなりました。

身内が亡くなると、やらなくてはいけない事がたくさんあって、しばらくはゆっくり悲しんでいる暇はないという話はよく聞きますが本当にその通りでした。この日から忙しい日々が始まります。

看護師さん達は先生を呼び、死亡確認をした後に死後の処置をしてくれました。

母は、近い親戚や兄弟たちに電話で父が亡くなった事を知らせます。そして、葬儀屋さんにも病

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死後の手続き

死後の手続き

死亡届は、葬儀屋さんが出しに行ってくれましたが、父の葬儀が終わってからも、ゆっくりする暇はなく様々な手続きに追われていました。

市役所や年金事務所、銀行、警察署・・本当に色々な所に行きました。

人一人が亡くなるのってこんなに大変なことなのか・・と考えていました。

この時期に、一人でいることなく母と行動を共にしていたので、お互い気丈でいられたのかと思います。

警察署へ父の免許証を持っていくと

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桜の季節

桜の季節

まもなく父の三回目の命日を迎えます。

父が亡くなった日の朝、車の窓から見た桜の花の色の鮮やかさを忘れることができません。

これからずっと桜を見るたびに、父の事を思い出すのでしょう。

約一年前に書いた記事。私にとってnote初投稿となりました。

父のことを書いてみようと思ったのがnoteを始めたきっかけなのですが、一年で沢山の方達と仲良くなることが出来て本当に嬉しいです。