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12周目:中学1年生で1500mが6分台の野球少年だった僕が野球部に所属しながら、2年間で陸上競技で日本一になり、2年9ヶ月で歴代最速の高校一年生になった物語。
元1500mが6分台の野球少年だった僕は、中学2年生、野球部としての最後の冬を乗り越えた。 その冬のエピソードを書きます。 秋の新人戦から冬にかけて、僕のポジションは1番ショートだった。背番号6。念願のレギュラーを獲得したのだ。これは、1年生の頃、野球部入部時の、自分史上最大の目標達成となった。 しかし、この時、 目標を達成したはずなのに、特に嬉しさはなかったのだ。嬉しくないわけでなく、それ以上に、責任が勝っていたのだ。1年生のレギュラーではない時には分からなかった。
No.117 2024年1月2日3日 第100回箱根駅伝で青山学院大学が優勝 原晋監督の「負けてたまるか!大作戦」
2024年の箱根駅伝は100回目を迎えました。1920年に始まった箱根駅伝ですが、第二次世界大戦の影響で1942年・1944年・1945年・1946年の4回は中止になっています。それで2024年が第100回の記念大会になったのです。1954年には本大会出場校が15校になり発展していったとされます(現在は20校の出場です。今年は記念大会で23校の出場でした)。エッセーNo.48で2023年の箱根駅伝について書きましたが、個人的には箱根駅伝との繋がりが結構あると思っています。箱
4周目:中学1年生で1500mが6分台の野球少年だった僕が野球部に所属しながら、2年間で陸上競技で日本一になり、2年9ヶ月で歴代最速の高校一年生になった物語。
野球部でレギュラーになるための登竜門、ノックに呼ばれるようになった9月、僕は順風満帆な日々を過ごしていた。 毎日、野球の練習着は土だらけ、もちろんグローブ、ソックス、スパイクは汗臭い。走塁練習のスライディング、フリーバッティング、ノック等、目の前の事に打ち込みまくった。全てはレギュラー獲得のために。 そんな中、運命の日がやってきた。 12月に行われる校内のマラソン大会だ。 3Kを走る。 10分30秒だった。 僕は学年で2番になった。1番になれないのは悔しかったが上出来だ
11周目:中学1年生で1500mが6分台の野球少年だった僕が野球部に所属しながら、2年間で陸上競技で日本一になり、2年9ヶ月で歴代最速の高校一年生になった物語。
2003年12月、 臨時の陸上部に入って11ヶ月後。 元1500mが6分台の野球少年だった僕は野球部に所属しながら、 3000mを、9分10秒で走った。 土トラックをスパイクで走った記録だ。 全国大会の標準記録は、9分6秒。 完全に射程圏内に入った。 相変わらず、 10年以上前のユニフォームとスパイクだ。 11ヶ月前、、、 1K×2本 レペティショントレーニング 3分25秒が精一杯だった。 なぜ、ここまで速くなれたのか考えてみる。 シンプルに練習した。 野球部
10周目:中学1年生で1500mが6分台の野球少年だった僕が野球部に所属しながら、2年間で陸上競技で日本一になり、2年9ヶ月で歴代最速の高校一年生になった物語。
臨時の陸上部は駅伝で躍進する。 その前に、1つ上の学年の先輩方をご紹介しなければなりません。 岡部先輩と吉本先輩だ。 この2人が、臨時の陸上部のエースである。 中でも、本業がバスケ部の岡部先輩は、愛知県内で3本の指に入る実力者で、バネのある伸びやかで大きな走りが特徴です。練習せずとも走り高跳び170cmを遊びで軽く越えてしまう。 はい、能力は平等ではありません。 吉本先輩は、愛知県内のランキングは6位以内と記憶しております。 後に、岡部先輩は2006年高校インターハイ
感想 俺たちの箱根駅伝 池井戸 潤 駅伝に興味がなくても、この物語の熱量の凄さには圧倒されると思う。池井戸作品の中でも珠玉の一つだと思う。
池井戸さんの小説は銀行や企業などのお仕事小説が多いのですが、スポーツを扱ったものにも優れた作品はあります。 本作は、恐らく、池井戸作品の中でもスポーツを描いたものの中では一番熱量がある作品だと思われます。何度も何度も読んでいて目頭が熱くなりました。 僕は箱根駅伝は見たことがない。興味すらない。ですが、これを読んで夢中になりました。 10人の走者みんなにドラマがあり、一瞬たりとも飽きさせない話しになっています。 描き方が秀逸でした。 箱根の代表校に選ばれなかった人たちから