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父のこと

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父の三回忌に思うこと

父の三回忌に思うこと

私の父が亡くなったのは、平成31年3月でした。元号が平成から令和になると発表されたすぐ後のことです。「父さん、平成が終わるね。令和になるんだね。」と毎日話しかけていました。

そして、まもなく三回忌を迎えようとしています。

丸二年。早かったような遅かったような。当時は毎日辛くて辛くて悲しくて、ネットでは「時間薬」という言葉をよく見ましたが「そんなの効くわけない!この悲しみが癒える時なんて来るの?

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突然のがん宣告

突然のがん宣告

平成30年9月中旬。仕事を終え、自宅アパートでのんびりとくつろいでいた20時頃に携帯が鳴りました。母からです。いつもの調子で、

私「もしもし。どしたの?」と電話にでました。軽い世間話をしたあと、

母「実は、父さんなんだけど。」

私「ん?どした?」と言いながら、胸騒ぎと共にものすごく嫌な予感がしていました。

母「少し前から歩くのが大変になっちゃって、この前整形外科に行ったんだけど何でもないっ

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父の穏やかな表情

父の穏やかな表情

母と電話で約束をした週末、父が入院する病院へ会いに行きました。「私はうまく笑えるのだろうか…」そんなことを考えながら病室の中へ。

すると穏やかな表情の父が私に目をやり、名前を呼びました。

「父さん、どうした?」声をかけると、

「参ってるんです」と冗談ぽく微笑みました。

ベッドから起き上がり、立ち上がる際にふらつきがみられたので

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転院。放射線治療が始まる

転院。放射線治療が始まる

お見舞いに行った翌週、母と叔母の付き添いのもと、車で30分程の市外の病院へ父は転院しました。私は仕事のため行くことができませんでした。

約3週間程の放射線治療を経て、またもとの市内の病院に戻ることになるのですが、この期間に父の容態は大きく変わってしまいました。

仕事をしていた私は毎日父に会いに行くことはできず、2日から3日に1回、1時間程度のペースでお見舞いに行っていました。母は毎日朝から夜ま

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余命と金木犀の香り

余命と金木犀の香り

平成30年10月初旬。

父が放射線治療を終え、再び転院する日を迎えました。朝8時過ぎに病室に行くと母が既に荷物をまとめていました。父に声をかけるも、眠っており反応がありません。

退院の手続きなどをし、病室にいると介護タクシーの方がみえました。挨拶をして行き先を確認すると、看護師さん4名がかりでリクライニング型車椅子に移乗していただきました。父は身体が大きく、体重は当時80キロを越えていました。

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まだ心の準備もできてない!

まだ心の準備もできてない!

大泣きしながら車で父の病院に向かいました。容態が急激に悪くなったため、4人部屋から個室に病室が変わっていました。看護師さんに案内され、中に入ると母と妹がいました。

「お姉ちゃん久しぶり。」

妹も泣いていました。

妹は、県外で一人暮らしをしていたのでなかなか病院に来られなかったのですが、母から連絡を受け駆けつけたとのことです。

父は点滴を受けながら眠っていました。高熱のため、時々うなされてい

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父が壊れた!?

父が壊れた!?

朝から私は父が入院する病院に向かいました。母と妹が一晩中父の付き添いをしてくれて、病室の中に入ると二人はとても眠そうにしていました。

私「おはよう。昨日はお疲れさま、どうだった?」

妹「もう、すごかったんだよー!」と言いながら笑う妹。

母「点滴の針を抜こうとしたり、突然動き出しちゃって、ベッドから落ちはしないけど!大変だったよー。二人で仮眠取りながら交代で見てたけどね。」

は?

昨夜まで

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初めて病院に泊まった夜

初めて病院に泊まった夜

私が病院に初めて泊まる日、何とも言えない緊張感がありました。それはやはり、父がいつ亡くなってしまってもおかしくないと宣告されていたからです。

日中から父の側にいて話しかけたり、プロレスや相撲を観るのが好きだったのでYouTubeで動画を見せたり。父の世代の流行りの音楽をかけたり。動画を観ている間は集中しているようでじっとしていますが、それが終わるとベッド上で動き出します。ベッドサイドに置いてある

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余命の一週間が過ぎた

余命の一週間が過ぎた

平成30年10月下旬。

母、妹、私の三人で協力しながら毎日父の付き添いをしているうちに、余命を言い渡された一週間が過ぎていました。

父の容態は変わりなく、落ち着いているようにも見えました。毎週月曜日の早朝に採血をし、血液検査のデータを取っています。

ある日、担当の看護師さんより「ずっとベッドに寝てばかりいても良くないから、車椅子に乗ってみるのはどうか?」と話がありました。高熱が続いていました

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仕事を辞めて父の側にいる

仕事を辞めて父の側にいる

平成30年11月

父が入院する病院に毎日行くようになって1ヶ月が経とうとする頃、職場の上司から電話がかかってきました。

「さすがにこれ以上休めないよな。」

そう思っていたので、退職したい旨を伝えました。後日、職場へ挨拶に伺いましたがみんなが優しく労いの言葉をかけてくれました。人が少なくて仕事が大変な中、突然ご迷惑をおかけしてしまいました。私にとってたった一人の父。後悔したくないという気持ちを

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一口食べるのに一苦労

一口食べるのに一苦労

父はバイタルサインが落ち着いている日には、車椅子に乗って30分から1時間程デイルームで時間を過ごすのが日課になっていました。

「何か食べさせてあげたい。」母がそんな事を言うようになりました。その気持ちはよく分かります。しかし父の病状や理解力、誤嚥のリスクなど色々と問題があるんじゃないか?と話しました。

母はやれることはやってみたいという気持ちが強く、少しでも可能であるならばと、私は看護師さんに

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好きなものの写真を飾ろう

好きなものの写真を飾ろう

私の実家には猫がいます。かなり気性が荒いオス猫。父が入院していた当時8歳くらいでした。家族の中では父が一番可愛がっていて、悪さをすると「コラ!」と言いながらいつもじゃれあっていました。

父が家から姿を消し、猫はずっと父を探しているというのです。毎日一緒にいたのに急にいなくなって…会わせてあげたいなー。

スマホに保存してある写真を見せていると、その日担当の看護師さんが、「壁に写真を貼ってもいいで

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介護福祉士の本領発揮

介護福祉士の本領発揮

突然ですが、私は介護福祉士です。

今回、父の側にいるため退職しましたが、それまでは十数年間働いてきました。だから母は、私がいると心強いと言ってくれていました。

ある日、そのことが看護師さんの耳に入ったようで、「娘さん、介護やってたんですって?それなら、お父さんに食べさせてもらっても大丈夫?なんなら、その後の口腔ケアも」

おいおい、急に!?まぁいいけど。もし誤嚥させても怖いからと看護師さんにお

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歯ブラシに噛みつく

歯ブラシに噛みつく

入院中は、一日三回口腔ケアをしていたのですが、これがすごく大変でした。

口に物を入れると何であろうと噛みついてしまいます。調子が良いときはちゃんと口を開いていられるのですが、スイッチが入るとものすごい形相で噛みつきます。まだ60代の父は歯もしっかりと残っているので大変です。

さぁどうしよう?

まず、母本人が歯の治療があった為歯科に行った時に先生に話を聞きました。先生は、割り箸をたくさん束ねて

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