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華麗なる復讐のための処世術

割引あり

1.たった一度の勇気で人生が変わる

勇気を出して声をかけてみたら、上手くいった。もしもあそこで物怖じして引き下がっていたら、絶対に手に入らなかったチャンス。

こんな経験はなかなか出来るものではありませんが、それによって自分の人生を見事に開花させた人もたくさんいます。

一生に関わるような勇気や行動を必要とすることなど、そう滅多にある訳ではありませんので、いざその瞬間に出くわしてみると、そうカンタンではないことが分かります。

何か叶えたい夢を持っていた場合、そんな一瞬の勇気を必要とする場面があり、怖気付いてついそこから逃げることで、その後の10年20年にも関わる大チャンスを失うこともある。

チャンスは皆に平等にあるはずですが、そのチャンスをチャンスと捉えるか、気づかずにすれ違ってしまうか、見て見ぬ振りをしてしまうかで、その後の運勢は大きく異なります。

占いなどでさも自分の運命はすでに決まっているかのように、先の先までズバズバと言いたい放題言われることもありますが、チャンスと捉えた場合と、気づかなかった場合と、見て見ぬ振りをした場合とでは、その先にある運命が同じであるハズがありません。

その瞬間どうするか、その瞬間は怖気付いても、それからその後どうするかで、自分の未来などいかなるようにも変わります。チャンスを手に入れる瞬間というのは、そんなたった一度の勇気がきっかけだったりすることもあります。

2.その価値が分かる人に頼れ

その価値が分からない奴らがいる場に出したって、タダ同然かゴミにしか思われないけど、その価値が分かる人がたくさんいる場に出せば、それには50倍100倍の値が付きます。

たとえば美少女妹系フィギュアなどでも、その価値が分からない人からすれば、それはただの人形かおもちゃとしか思えないので、「500円なら買ってやる笑」「タダでもいらない」という対象になってしまいますが、その価値が分かる人からしてみれば、平気で10万円出したり、20万でも安いくらいだ!という対象になりますよね。

就職も一緒で、あなたの価値が分からない所に行っても、こっぴどい扱いを受けたり、人間扱いされなかったりもしますが、価値の分かる所に行けば、10倍20倍の高待遇と報酬を設定してくれますから、間違った場所を選択しないようにしてください。

なのでそういった就職や所属などをする前に、まずは自分の傾向を正しく知る必要があります。たとえば、

1)男が多い職場が苦手、女が多い職場が苦手。
2)外を移動して歩くのが好き、1つの場所に居るのが好き。
3)自分で考えるのが得意、人に言われたことを遂行するのが得意。
4)日中のほうが調子が出る、深夜のほうが調子が出る。
5)長期で達成させる仕事が好き、短期(数時間・1日)で達成させる仕事が好き。
6)ギャンブル性のある仕事が好き(安定は求めない)
7)安定があればそれでいい(仕事の内容は問わない・ハイリターンは求めない)
8)潔癖なら細かさが活かせる、神経質が有利になる仕事を見つける。
9)人と話すのが苦手だったら、極力話さなくても済みそうな仕事に就く。
 (人間性や社交性で勝負することだけが正しい道ではない)
10)出不精だったらパソコンを駆使した仕事で食えるように頑張る。
11)変わり者だったら変わり者が集まるジャンルで勝負する。
 (一般枠には入って行かない)

<ポイント>

自分の何を活かすか?自分の何が活かせるか?を徹底的に掘り下げてみる。苦手な部分は仕方ないのです。また人間はいつまでも完成することはないのだから、常にその現状=いま現在の状態で勝負するしかない。

過去に引け目を持たず、自分を必要以上に大きく見せることも、必要以上に蔑むこともありません。

自分の方向性を考えるときは、常識、正しい、普通、一般的な、社会的な、というキーワードは基準から一切除外する。単純に楽しそうか、楽しくなさそうかで決定してもよい。

大勢多勢が正しいとは限りません。大勢が間違っていると思ってるもの、大勢には間違ってると思われているものが本当であったり、多勢に右習えで普通でいることが間違いであることも多くあります。

例)人がたくさんいる職場に再就職する
・世間的には=常識、正しい、普通、一般的、社会的な行動
・自分的には=苦しそう、疲れそう、気を使いすぎて頭がおかしくなりそう、また辞めそう→選択しないほうがいい

例)ひとりでパソコンを使って誰とも会わず仕事ができる
・世間的には=正社員じゃない、社会保障や手当がない、将来性が不安、孤独
・自分的には=楽しそう、続きそう、マイペースでいられる、仕事に集中できそう→選択してもいい

これは世間一般的には正しいけど、楽しいと思えないものは選択しないというシンプルな考え方です。極論ですが、たとえばテーマが「死にたい」の場合、楽しいか?楽しくないか?でいったら、単純に、シンプルに、楽しくないほうですよね。

毎日が楽しいから死にたい、死ぬことが楽しいという人はいないでしょう。楽しくないから死にたい→つまり死ぬことは楽しくないほうになります。また死に関してだけは、世間的な常識からも、自分的な要望からも、どちらからも受け入れられません。

なのでこの場合は、死という選択はどちらからみても該当がないのです。ここでのルールはあくまでも、楽しくないと思うことは選択しないというシンプルなものです。

・常識を重んじる
・常識を過度に気にする
・常識を守ることが正しいこと

いわゆる常識大好きな人が日本人には多いですが、そういった人たちにはあまり振り回されないほうがいい。もちろん人間社会で生きていく上で常識は大切ですが、その度合いが過ぎれば下記のような状態にもなります。

・可もなく不可もなく
・当たり障りもなく
・人にいいようにコキ使われ
・都合のいい人間
・人畜無害
・社会の奴隷
・個性を封印してしまう
・人を魅了する魅力が失われる

常識的で一見良い人ですが、良いだけの人で終わる危険性も含む。常識は友人同士や周囲との和には必須なものですが、個人事業や仕事においては裏目に出ることもあります。

新しいことを始めるときや、創造することを求められてる場合には、常識は弊害でしかありません。人に対して非常識になってはいけませんが、物・事に対しては非常識なほうが得をします。

またこれからは今までの常識を疑って、新しいことを創造して行かなければ、生き残れない業種もたくさん出てきます。新しいことはいつも「常識の外側」にありますから、団体の一部ではなく個人で生きていきたいならなおさら、一般的な常識を疑い、これまでの常識を覆していく覚悟が必要です。

3.アンテナを正しく立てる

何かを探してるとき、何かを見つけたいとき、何かを始めたいとき、そこにチャンネルを合わせてないと、キャッチすることはできません。

せっかく目の前に降りて来ているのに、アンテナが正しく立ってないと、それに気づかず素通りしてしまうからです。常にアンテナが正しい向きで立っていれば、100m先からでもそれが発見でき、チャンスを見逃すことなくキャッチできます。

何かを成し遂げたい、何者かになってみたいと思ってる場合には、普段から何を考えているかが大事になります。その気にしてることに対して、それが察知できるアンテナが立つことによって、それを実現するのに必要な情報が、無意識でも自然にキャッチできるようになります。

先にもありましたが、アイデアのヒントはいつも常識の範囲内にはなく、常識の外側にあります。今までにないもの、今まで誰もやってなかったことに気がつければ、そこからの展開は予想以上に早いし、協力者もおのずと集まってくるから不思議です。

まずそれが何かを発見すること、それを求める人がいるかの確認、それをどう始めるかの計画、それを実現させるために必要な行動とは?焦らずにひとつひとつ順を追って、じっくり考えてみてください。その入り口を見逃すことなく、上手くキャッチさえできれば、比較的早い段階でもスーパーヒーローになれます。

ここでの鉄則はあくまでも「人の役に立つ」物・事です。求める人がいるもの、必要とする人がいるもの、それを強く欲する人がいるもので、ちゃんと金に変換できるもの=売って利益を得られるものに限ります。そこにプラス「感動」を与えられる要素があればなお良しです。

それが何であるか?それが何の役に立つかは、人口の数だけマーケットはありますし、選別には無限の可能性があります。世界を変えてきたのは、これまでにもこれからも常に異端。言い換えれば「アウトサイダー」です。

最初のスタートは誰もが独りです。まずはひとりで始められることから始めませんか?そしてゆくゆくは、自分だけですべてをやろうとはせず、誰かと協力をして、誰かに力を借してもらって、みんなで感動を分かち合えれば、自分の人生は「幸福」だと思えるようになれますし、人が苦手、人が恐い、人が嫌いという感情も、自分の中から消し去ることができます。

<ポイント>

人の役に立つ=人を救う、という見解もありますが、これについてはひとつだけ注意したいことがあります。それは、人を救う=お金を借すとか、そういうことではないですよ。

人を救うために、自らの命を犠牲にするとか、そういうことでもないです。やっぱりどう考えても、人の命よりも自分の命のほうが大切ですから。

与える、見返りは一切期待しない、無償の愛、奉仕、慈悲の精神はおおいに結構ですが、自分の生活を崩壊させてまで、与える=人を救うというのは違います。

自身の生活を顧みずにボランティアに参加したり、家族を犠牲にしてまでもボランティアに夢中になったりする人もいますが、その人をそこまで駆り立てているものは、いったい何なのでしょうか?

それは100%本当に、無償の愛、奉仕、慈悲深い内面からくるものなのでしょうか?案外、人の役に立つことで自分の何かを埋めようとしていたり、人に与えることで、自分が良くなることに期待してる場合もあリます。

慈善事業がやりたいのか?ビジネスがしたいのか?しっかりと自分の本質(本音)を見定め、そこに陥らないよう気をつけてください。

ボランティアが悪いとは言いませんが、このnoteを読んでるみんなは、カネになることをしてください。カネになることで、人の役にも立てばそれが一番いいのです。自分の生活が困窮するまで「人の為に」というのは、それはちょっと違うのです。

4.ヒラメキは一瞬!それを確実に引き出す方法

ヒラメキや何かの答えが出るときは、自律神経でいうところの交感神経→副交感神経に入れ替わる最初のあたりで出ます。これをもっとカンタンに説明すると、ストレスがかかっていた状態→リラックスに入ったときの最初の数分間となります。

日常生活で例を挙げれば、お風呂に入ってすぐのときが一番近い状態です。自律神経は不思議なことに、どっぷりと副交感神経に入ってしまった後では、もうあまりヒラめかなくなるのです。

なのでアイデアを求めてるときや、何かの答えが知りたいときは、その瞬間を上手く利用していくと良いです。よくミュージシャンや発明家が、お風呂に防水の黒板を置いてることが多いのも、メカニズム的にはこういった理由からだったのです。

ヒラメキやアイデアを引き出せるものは、もっと他にもあると思いますが、お風呂以外でそのタイミングを求めるのであれば、散歩なども似たような神経支配になります。よくお笑い芸人さんなども、ウォーキングのときにネタが出ることが多いらしいので、深夜にウォーキングをしてメモに取ってるという話を聞きます。

ただしこの場合では、お風呂のように瞬間的なヒラメキではないので、決定的なものや、強烈なものは出にくいかもしれません。そういったインスピレーション系のものを求めるのであれば、やっぱりお風呂のほうが適してるといえます。

しかし瞬間的なものではなく、断続的~長文的なものを引き出すのであれば、むしろウォーキングのほうが向いています。歩きながら次から次へと思考を巡らし、浮かんだものを構築しながら組み立てていけば、帰宅するころにはそこそこまとまった企画ができているかもしれません。

この2つの方法を駆使するだけでも、何か決定的なアイデアが獲得できる可能性がありますので、やらない手はないですよ。

ヒラメキのタイミングは、交感神経バリバリで脳が冴えてるときか、交感神経→副交感神経に切り替わる瞬間のほうが、どっぷり副交感神経=リラックスに入ってるときよりも、答えが出やすい状態ですので、ぜひ参考にしてみてください。

5.設定を間違えると実現されなくなる

何かで日本一になりたい人は、はなっから日本一を目指したほうがいい。日本一だけに限らず、それは対象が世界一でも同じこと。

いま現在の状況から順を追って、階段のように目標をステップアップして行くのも良いですが、目標の設定や夢の実現は船や自転車と同じで、見ている方向にしか進みません。

向かうところの目的地がそこになっていれば、そこにしか向かいませんし、最初から目的地がそこになっていれば、なぜかそれに見合った出来事も起きます。

チャンスの女神の登場も、偶然が必然の出会いなども、その設定に準じて呼び寄せられるので、最初から世界一と思っていれば、そういう流れに向かって行きますし、それに適した人脈も集まってきます。

もし本当は日本一になりたいと思ってるのに、謙遜して県内一とか地域一とかの設定をしてしまうと、せっかくその潜在的に持ってる容量に対して、用意する器が小さくなってしまうので、中身が外にこぼれてムダになります。

小さい目標から順にクリアーして、大きな目標にしていくことが美徳とされますが、案外そんなことはありません。まずは身の程知らずの大きな目標ありき、そこから細分化された小さな目標→いま目の前にあるすべきことをコツコツとクリアーしていくことのほうが、よっぽど実現性がある健全な志(こころざし)の持ち方です。

このnoteを読んでる人に私が一番言いたいのは、目指すものを見つけてほしいということ。目指すものさえあれば、生きる意味が見い出せる。仕事が楽しければ、早く明日が来ないかな~?という人生になるから、早くこっち側に来てほしい。

勉強も仕事も言われてやってるうちは、絶対におもしろくなんかなりませんよ。ただ怒られないように、こなすだけになってしまうから。

惰性で生きて行くのが嫌だったら、自ら進んでやりたくなるようなことを勉強すればいいし、そしてゆくゆくはそれを仕事にすればいい。人生で一番おもしろいのは仕事です。そう思える仕事を見つけてほしい。

ただし1つだけ知っておいたほうがいいのは、そのやりたいこと=本筋・本業を軌道に乗せるためには、やりたくないこともたくさんやらなきゃいけないことです。100%やりたいことだけやってればいい、とは残念ながらなりません。

そのやりたいことをやるために、それを長く継続させるためには、やりたくないこともやる必要が必ず出てきます。でもそれは、やりたくないことを本業にすることとは違いますよね?やりたいことをやるためにするやりたくないことですから、それは覚悟して受け入れてください。自分の生きる意味、社会での役割が認識できると、人生が本当に楽しくなります。

6.やっぱり自分のモノサシのほうが正確

よくコーチングや自己啓発セミナーなどでは、「自分で考えるな」「上手くいった人のマネをすればいい」などといいますが、自分で考えられる人は、やっぱり自分で考えたほうがいいです。

それらの受け売りで、ビジネスモデルをそのまま真似てやっても、実態は上手くいってない人が大半です。

セミナー講師の洗脳を真に受けて情報商材を買いまくったり、ノウハウコレクターに陥ってる人たちは、カモにされてるだけなんですよ。だから「自分で考えるな」と言ってくるのです。

自分で考えられたら困るから、自分で考えてやったら失敗するぞ!と最初に恐怖を与えておいて、このやり方でなければ成功はしません!とセミナーへの参加や商材の購入を促す。

まず最初に脅して、それから抜け道や近道を教える。このやり口は新興宗教やマルチ商法もまったく同じですから注意が必要です。

生き地獄のような苦境や、逆境のど真ん中にいるときは、判断力も決定力も持てないため、あまり自分だけのモノサシで計ってはダメですが、ある程度上がって来てると思える時期や、比較的気分のよい日(メンタルが安定してるとき)には、自分のモノサシで考え、自分のモノサシで行動するべきです。

悪い時期での選択はあまりアテにならないことも多いですが、少しでもアップしてきている時期であれば、自分の直感のほうに正解があることも多いからです。

仮にもしその直感が間違いだったとしても、自分を信じての失敗なら全然許せますが、人の言うことを聞いて失敗したことに対しては、なかなか納得できません。

どっちが正解かと迷っていたときに、ましてや内心自分のほうが正しいのでは?なんて思っていた場合などなおさら、その失敗が悔やんでも悔やんでも悔やみきれなくなります。

なのでここぞというときには、やはり自分のモノサシで物事を考え、自分のモノサシで行動してみましょう。もし失敗したら?また挑戦すればいいじゃないですか。

大きな選択や重要な場面で、本当に本当に迷ってるとき、どうしてもどっちかに決められなくなることがあります。

よく本をたくさん出してる成功者などは、そんなときは直感で決めればいいなどとカンタンに言いますが、それでも答えが見えない、分からないということがありますよね。

私自身もいろいろな場面や決断や交渉事で、理詰めで考え抜いて出した答えと、直感やファーストインプレッションを信じて出した決断の両方を、実体験として数多く統計を取ってきましたが、やっぱり一番最初にイエスと感じたほうに、正解のあることが多いのは事実でした。

しかしここで難しいのは、そのイエスの瞬間コンマ1秒後から、ゴチャゴチャとあらゆる損得勘定の感情も入ってきてしまうので、はたしてどれが本当の直感であったか?最初のイエスがどれなのか?本当の第一声を正確に知るのは、なかなか難しいこともあります。

もしどうしても最初の声が分からなくなった場合には、やはり第5章『就活・職場復帰・社会復帰での考え方』にもあった「それが気持ちいいか、気持ちよくないか」で決定を出すべきでしょうし、その感情が数日、数ヶ月経っても変わることがなければ、迷わずそれを選択してみるべきです。

7.仕事に復帰したら気をつけること

基本、よい仕事をする。やっつけ作業とか、明らかな手抜きは極力控え、依頼主の要求に等しいレベルで、相手も自分自身をも納得させられるような仕事の仕方をする。もちろんそれが理想です。

しかしここでひとつだけ注意したいのは、複数人で仕事をしている場合には、必ずしも丁寧に時間をかければ良いというものでもないことです。

たとえば見通しのいい、田舎の安全な道を車で走っているとします。そこには対向車も歩行者もいない状態で、国の定めた法定速度が時速30キロだとします。

そこであなたは、国が決めたことなら何が何でも絶対に守らなければいけない!ということで、どんな状況であってもキッチリと30キロで走っていたら、後続にいる大多数の人にとっては迷惑な場合もあります。

それをきっちりと厳守している自分自身は、自分がいかに正しい人間か、いかに真面目に生きてるかを確認できるので、おおいに満足かもしれませんが、しかし必ずしもそこが本当に30キロで走ることが、適切な道かどうかは分かりませんよ?

誰が決めているのかは知りませんが、そうでもない道も日本にはたくさんあるからです。
※そもそも当の警察官だって、プライベートではキッチリ30キロで走ってなかったりもする道です。

そこまで丁寧にする必要のない仕事まで、自分自身のこだわりでキッチリ完璧に、時間をかけてすればよいということではありません。

自分ひとりで行っている仕事ならまだしも、相手がいる仕事、または複数人で協力して行っている仕事では、相手や周囲が仕事をしやすくすることも考えなくてはいけません。

あくまでも臨機応変に、柔軟性のある解釈で、「いい加減(ちょうどいい)」のバランスを見極める必要があります。

ここで絶対にしてはいけないことは、「だって国が30キロって定めてるんだから、絶対に何が何でも、どんな状況でも30キロ以上出してはダメでしょう!」と正論を振りかざさないことです。

他にもたとえばビルの清掃などでも、月に3回の定期清掃を依頼されているビルで、「廊下のタイル1枚1枚、新品同様にまで拭き上げなければ、会社の上司にも依頼主にも迷惑がかかるでしょう!」というのも、どう考えてもやり過ぎです。

そんなレベルまでこだわってやっていたら、通常3時間で終える予定のビル掃除も、3ヶ月以上かかってしまいます。またこの場合では、会社の上司も依頼主も、1回のビル掃除にそこまでのクオリティを求めてはいません。

そんな2ヶ月も3ヶ月も毎日、一日中会社の廊下にいられたらかえって迷惑です。このさじ加減(いい加減=ちょうどいい・適当=ベストな選択)も理解しつつの、基本は良い仕事をすることが社会では求められます。

8.相槌上手はコミュ上手

「上司と上手くやるには何が必要ですか!?」
「人生楽しく過ごすには何が大切ですか!?」
「殻を破るにはどうしたらいいですか!?」

いろいろな質問に対して、いろいろな答えがあると思いますが、たとえば上記のような質問に対しては、このnoteでも他の本などでも?

・聞き上手になる、だとか
・何でも相手の良いところを1つ探して褒める、だとか
・高すぎる目標設定をしない、だとか
・人に好かれようとし過ぎることをやめろ、だとか
・根拠のない自信を疑わない、だとか
・反省虫はもう卒業せよ、だとか

いろいろなアドバイスはありますが、上記のようなハウツーを駆使することよりも、自身の方向性を見直すことよりも、何よりも一番大切なのは、「相槌」だと思いますよ。

英語だと「ンフン」だとか「アハン」だとか、「イエァ」とか「ウライ」とかになりますが、日本だと「ええ」とか「あー」「はい」などになります。

それって当たり前じゃないですか!と言われそうですが、とくに最近の若い人たちには、打たない人が案外多いです。

人の話を聞いて、分からなければ質問するでしょうから、Aさんが話す→Bさんが「それって〇〇ということですか?」と質問をする→「そうです」とAさんが答える。

この場合であれば相槌ナシでも会話は成立しますが、たとえばBさんが、その話が理解できているときや、すでに分かってる話を聞いてるときは、反応も相槌もせず黙ってる系のBさんもいるのです。

おそらく自分は分かったから、もしくは分かっている状態だから、自分の中だけで完了してしまってるのかもしれない。しかし相手がいる会話での場合、それでは成立しません。

自分は自分の中で分かってるし、納得もできたし、ちゃんと理解はしていても、その有無を相手にも伝えなければ、相手からすればこの人は分かったのか?分からなかったのか?が分からない訳です。

そこで必要なのが「相槌」になります。「ええ」「あー」「はい」があれば、相手もあなたの状態が分かり安心します。

しかしそれをしない人は、自分の中だけで完了・解決してしまってるので、相槌を打たないことにもまったく疑問を持ちません。自分では何の疑いもなく、それでいいと思っています。
※あえて打たない確信犯=性格の悪い人は論外ですが。

この傾向を20年前に、私なりに分析したところ、友達が少ない人と、一人っ子に多いという統計がありました。幼少期から思春期にかけての成長段階で、返答をする相手がいない時間が長かった。

この場合、親は別物になるので、同等同レベル(兄・弟・姉・妹)で相槌を修得する相手がいなかったということ。

また学校でも同様に、友達がいないとそれが身に付きにくいのです。やっぱり会話は相手ありきで成り立つものですから、独りの中で会話を完結してしまったらダメなんですよ。自分はその内容が理解できたから、黙っていてもいい訳ではないのです。

「なるほど~」とか「だね~」とか、「そっか~」とか「へぇ~」とか、タイミングよく相槌は打つべきです。当たり前のことのようで、案外しない人も多く存在します。

このような人は恋愛でも、一人で勝手に盛り上がっていたり、一人で勝手に落ち込んだりすることも多い傾向があります。会話でも恋愛でも、ましてや仕事であれば、まず相手ありきですから、一人で相撲を取ってしまったらダメなんですよ。

9.人間関係に雑談は必要?必要はない?

仕事でもプライベートでも、相槌と同じくらい必要とされるのが、雑談です。社会復帰できたときに、まずいちばん最初に修得すべきことは、雑談ができるようになること。

これには賛否両論あって、「仕事がちゃんとできてれば雑談なんかする必要ない!」という派もいれば、「社会に存在する以上、雑談は必要!」という派もあります。

私は後者だと思ってる派ですが、お天気レベルのもうどうでもいいようなくだらない話は、友達同士でも仕事関係においても、プライベートで出掛けた観光や訪問先でも頻繁に発生します。

人間関係において雑談は、それほど発生頻度が多いのですから、できないよりはできたほうがよっぽど得をします。なので「この会話には意味がある!ない!」とかではなくて、話す内容に意味があってもなくても、適当に話せる不真面目さもあったほうが良いです。

人間関係においては、あまり本質的にはならないほうがいいことも多々あります。そんな毎度毎度会うたびに真剣な、深刻で切実な、意味のある内容ばかり話してたら、逆に変じゃないですか?第二次大戦中の日本じゃあるまいし。こんな会話意味ね~、くだらね~、疲れる~と思っても、適当に適当なことを話す訓練もしたほうがいい。

他にもたとえば、飲みの席での部長のダジャレに対しても、向こうは言ったあと「どうだ!オレ頭の回転早いだろう!」と必ず思ってますから、「部長、頭の回転超速いっすね~!」とでも言っておけばいい。

しかしここで注意したいのは、「部長のダジャレ超面白いっす!」とまで言ってしまうと、そのあとそのクソつまんねぇダジャレを100連発食らう可能性もあるので、面白いとは絶対に言わないで、褒めるだけにする。

たとえば「オレのカンピューターではねぇ」なんて言われたら、「部長のカンピューター超正確っす」とでも言えばいいし、「本社のサーバーよりも正確っす」なんて言ってあげてもいい。

ついでに少し悪いことも教えましょうか?そのくだらない飲み会で、表情筋が凍るほどのダジャレを浴びせられたのであれば、別れ際のときに少し冷めた表情に変えて別れるのもアリですよ。

別れ際にそれをされると、向こうもその確認のしようがないので、帰りのタクシーとかでその後、あの表情何だったのかなぁ?とか、ムリさせたのかなぁ?と考えさせることができるかもしれない。

人はその表情がすごく気にかかるので、その後日からは少し気を使ってくるようになる可能性もあります。

そこで最後までヘコヘコしてしまうと、コイツはオレの犬にできるな!と勘違いされてしまう可能性もあるので、そう思わせないためにも、完全なシモベではないことを上手くアピールしておく。相手に少し不安を与えることも、自分を守る意味では大切だったりします。

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