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就活・職場復帰・社会復帰での考え方

割引あり

1.いま大学3年生だったら?就活のヒント(1)

まだ21才そこそこなので、過剰に不安になったり、切迫して思い詰めるのも理解できますが、あまり「怖い怖い怖い」「失格失格失格」と人生を恐いものとして捉えないほうがいいです。

そんなにビビって生きていても面白くならない。なのでなるべくならまだ大学生のうちに、人には色んな生き方=たくさんの人生がある、ということへの見聞をもっと広げたほうがいいです。

「そんなこと言ってたら!就職浪人になっちゃう!」「乗り遅れちゃう!」と言われそうですが、ではいったい何に乗り遅れるんでしょうか?

私は20代のころ、それを「ラット・レース」と呼んでましたが、それはどうしても乗らなきゃいけない列車でしょうか?そしてその列車は何という駅に着くのか、本気で想像したことがありますか?

沖縄でダイビングスポットを観光客に案内して暮らしている人もいます。そんなに裕福な暮らしはできませんが、子供の養育費も普通にまかなえ、とても平和な毎日だそうです。

自分の製作したアニメやフィギュアが特定の方々に注目され、それだけで食えるようになった人もいます。

湘南あたりに住み、自宅でネットを1日3~4時間駆使して、サラリーマンの3倍以上も収入がある人もいる。家族と過ごす時間もたっぷりあって、とても幸せな毎日だそうです。

あまり先の先まで考えないほうがいいですよ。先の先まで考えて、ここなら大丈夫と決めた会社だって、いつひっくり返るか分かりませんよ?先の先まで考えて、それがそのまま思った通りに行くことなんか、人生ではほぼありません。

ましてやまだ21才の段階で、老後のことまでも考える必要など、一切ありません。コロナのときもそうでしたが、予測のできないことがこれからもまだまだ起きます。

いま大丈夫だと思っている業界も大丈夫じゃなくなる場合もありますし、その逆だってあります。だったらせいぜい先を見るのは5年くらいにして、その5年間はめいっぱい腹の底から、やり甲斐が感じられる仕事を選んだほうが良いです。

大学卒業後の就職は「ベネチアで船頭になりたい!」でもいいんじゃないですか?夢があっていいと思いますよ。会社に就職するだけが人生ではないです。

でも子供がそうなってしまうのは、親に原因があることも多々あります。「将来が心配心配!世の中怖い怖い!」と親御さん達が煽るから、子供達はそのプレッシャーでなおさら恐怖症に陥っていきます。

親御さんが「心配心配!」とやると→お子さんが萎縮し→面接でも本人の本来の魅力が出ず→なかなか就職が決まらないという悪循環を作ってしまうこともあります。

就職に対して必要以上に恐怖を持つことで、カンタンな質問にすら答えられなくなってしまいますから、せめて親御さん達が肝を据えて、堂々としてあげるべきです。

また過剰に恐がる親のせいで、その子が自分自身でもムダに焦燥感ばかりを煽っていると、人生に対しても異常なまでにネガティブな捉え方をしてしまうようになります。

その悲観的な思考が面接のときに、言葉の節々にも出てしまいますから、担当の人事からすれば、その子からは「明るい未来」や「発展」「繁栄」などといったプラスのエネルギーが感じられません。

さらには周りの友達たちも「就活!就活!大変!大変!」となってるから、自分もそうならなくちゃ!自分も切羽詰まらなきゃ駄目なんだ!と思ってしまう。群衆心理とは少し違いますが、このように団体で起きてしまう作用も相まって、余計に自分の声が聞こえなくなります。

日本の学生に一番人気の就職先はどこでしょうか?やはり一番安定の公務員でしょうか?仮に公務員になって市役所勤めをしたとしても、いざ働いてみるとわずか2~3年で、決定的なことに気がつくかもしれませんよ?

これはただ時間が過ぎていくのを待つだけの人生なんじゃないか?とどこかで感じてしまった場合、もうどうしようもなく自分の人生に虚しさを感じ、ゆくゆく辞めたくなる可能性があります。たしかに公務員であれば、安定した収入と安心な老後、そして親を喜ばせることはできるかもしれませんが。

朝8:30に出勤して午前中いっぱい考えていることは、
「早く昼になんないかな~~」
「今日は何食べようかな~~」

待望の昼食と昼の休憩が終わったら、
「早く5:00になんないかな~~」
「早く家に帰りたいな~~」

家に帰ったらテレビ見てビール飲んで、
「最近のテレビ面白くないな~~」
「暇だな~、もう寝るかな~~」

また翌日、朝の8:30が来る。
午前中いっぱい考えてることは同じ。
それが残りあと4日。
ウィークデーはひたすら「早く土曜日なんないかな~~」

待望の土曜日が来る。
しかし土日もたいしたことはしません。
昼まで寝たり、ずっとゲームやったり、携帯見たり。
そしてまた月曜日の朝8:30が来る。
また「早く土曜日なんないかな~~」

このように時間が過ぎていくのをただひたすら待つ人生の先にあるものは、「この人生も早く終わらないかな~~」と同じです。そんな実感はないとは思いますが、意味は同じです。ひたすら安定を求める人生と、退屈な一生は表裏一体です。

「危険を冒して前へ進もうとしない人、未知の世界を旅しようとしない人には、人生はごくわずかな景色しか見せてくれない」ジドニー・ポワチエ

いつもギリギリの所にいることは、とても不安だし、時折モーレツな恐怖にも襲われますが、スリルはあります。また意外と本人はストレスと感じながらも、そのスリルを味わいながら、腹の底から生きているという実感もあります。

せっかくまだ20代なのに、そんなにビビって生きていても、まだまだ先は長いのだから、もっと色んな経験をしたほうが、たった1度の人生が無駄になりません。

わずか30代の半ばで、すでに老人のような保守的思考になり、もう墓石に片足でも突っ込んでいるかのような生き方をしてしまうと、40~50代で迎える強烈な虚無感や空虚感に、耐えられなくなってしまうかもしれませんよ。

「もっとチャレンジしてみればよかったなぁ」と、人生の後半で後悔してもどうしようもありません。

そもそもですが、親御さん達が正しいと思っている選択が、本当に正しいのかどうかも分かりませんよ。自分で選択して失敗する分には、ドン底まで落ちようが、サンザンな目に遭おうが、100%後悔することはありません。

しかし人に決められた選択で、キツい思いやつまらない思いをしていると、何でもかんでも人のせいにしてしまいたくなるものです。

これは結婚するときにご主人を人柄ではなく、肩書きで選んだご夫人に特に多い傾向ですが、口では子供のためとは言いながらも、じつは周囲に対する見栄のために、自分が優れた母親だと見られたい一心で、子供の教育や進路をコントロールすることに躍起になります。

嫌がる子供に対して、自分のエゴを強引に押しつけ、親の理想とする仕事に就かせてしまうと、40代前後で思い悩んだ末に、お子さんが自殺してしまうケースも数多くありますから注意してください。

子供が親同士の争いのための道具になっていませんか?ブランド物のバッグのように、我が子をモノとして扱ってはいませんか?その教育は、あなたが自慢したいだけが理由ではないですか?

あなたにはまったく自覚がないかもしれませんが、ご自分の胸に手を当てて、今一度その本心(本性)をよく確かめてみる必要もありそうです。

・死の目前で人が後悔する14のこと

1)自分のやりたいことを選択しなかった、勇気が持てなかった
2)人の評価だけを気にしていた人生だった
3)ただ正しく生きただけの人生だった
4)いつかラクになることを信じ、苦しんだだけの人生だった
5)先のことばかりに期待をしていた人生だった
6)その場その瞬間を、もっと味わい楽しむべきだった
7)人の期待に応えるよりも、自分の人生を生きればよかった
8)もっと楽観的に生きればよかった
9)思ったことをちゃんと伝えればよかった
10)もっと自分を大事にすればよかった
11)誰のために、誰のための人生だった?
12)子供に自分の価値観を押し付けなければよかった
13)他人の意見より自分の考えを信じればよかった
14)心配ばかりしてなくてもよかったことに、いま気がついた

腹の底から「生きた」ことが納得でき、「十分に満喫した!もうこれ以上の挑戦はできない!人生ありがとう!」と言って死ねれば、成仏も早いでしょうし、あの世へ行ってからもきっとまだまだ、楽しいことが続いていくのかもしれませんよ。

あれこれ悔やんで亡くなったからといって、今度はいいことがあるとは限りません。なぜならすべては、自分の選択が招いた結果だからです。

2.いま大学4年生だったら?就活のヒント(2)

もしまだ就職が決まってなくて、会社勤めにも何となく疑問を持っていて、実家にいて、家賃もかからないのであれば、旅にでも出てみればどうですか?

日本中を1~2年かけて、徒歩ではさすがに効率悪いですが、自転車でもバイクでもバスでも、交通手段は何でもいいですから。たとえば電車であれば、鈍行で行き先も決めずに、行けるとこまで行くとか?

直感的に降りたいと感じた駅で降りる。そこで必ず誰かと知り合いになることが条件。これが必然的な「縁」のつくり方。「就職が決まらなかったので、日本中を旅している」と。

地方は親切な人が多いから、ご飯を食べさせてくれたり、話の盛り上がりでは泊めてくれたりも十分に確率あります。また何年後かにでも再会できるように、必ずインフォ(名刺)を渡し、いつかお礼がしたいと住所を聞いておく。

その日知り合いができなかったら?春~夏だったら無人駅や公園のベンチで寝てもいいじゃないですか?日本は治安がいいので。

金が無くなりそうになったら、また鈍行で実家に帰る。地元で少しバイトをする。ある程度の蓄えができたら、また旅に出る。こういったことだったら、とても良い社会勉強になるので、仮に私が親だったら、援助したいと思うくらいです。物を買って無駄遣いしてる訳ではないので。経験と一生の思い出はプライスレスです。

そんなこと大学時代にやればいいじゃないですか!と言われそうですが、何の不安もない能天気な在学中にこれをやるよりも、不安や葛藤や劣等感の真っただ中でこれをやるほうが、人のありがたみも身に染みますし、人の優しさや出会いに対する感動もより深いものになります。

また不安の渦中にいるときのほうが、大切な何かにも気がつきやすくなりますから、将来一生モノの教訓や、生涯使っていける言葉などが、発見できやすい状態ともいえます。

このプロジェクトは、全国にたくさんの知り合いを作ることが目的。ただの孤独な旅を勧めている訳ではありません。また知り合いも作りやすいんじゃないでしょうか?「就職が決まらない」という、旅をしている明確な理由があるから。理由が何もないと怪しまれたり、変なヤツ?変質者かも?気をつけなきゃ!と警戒されてしまうかもしれませんので。

全国に100人~300人くらいの知り合いが増えたころには、2~3年経っているかもしれません。もしそのときに、「やっぱり就職だな、やっぱり普通に会社員だな」と思ったとしても、堂々と面接を受けに行ってみればいいです。

「キミ、この年齢までいったい何してたの?」と聞かれたら、「就職が決まらなかったので、日本中を鈍行で旅してました」と言います。それと同時に、「これがその期間に知り合った日本中の人々のリストです」と渡してみる。山口県○○市 ×× タクシー運転手○○さん。青森県○○郡 △× 青果店店主○○さん。山梨県・・・etc 計300人。

全国に知り合いが300人もいれば、即戦力になるかもしれないと考える経営者もいるかもしれません。何かを扱っている会社なら、取り扱ってくれる人がこのリストの中にいるかもしれないと考えますし、何かを売っている会社なら、単純にこのリストの中に当社のものを買ってくれる人がいるかもしれない、と考えてもらえる可能性もある。

会社というのは、たった1人の「固い顧客」を作るのが難しいんです。そのたった1人の顧客の集合体が会社の年商なわけですから。

「お久しぶりです!3年前就活中で旅してた○○です」ついに就職が決まりました!○○という会社で、△△というものを扱っています。と手紙でも書いてみればいいですよ。

日本人は優しい人が多いから喜んでくれて、買えそうなものだったら買ってくれるかもしれないし、自分は興味がなくても、近所の○○さんだったらこういうの好きかも?と紹介してくれるかもしれません。

それを入社前からすでに、何百人もの顧客獲得の可能性を持って来ている。ちょっと先の見える人事だったら「採用しても損はないかもな?」と考えてくれるかもしれません。

しかもこんなことは、本当に若いうちしかできませんから。結婚してから、子供ができてからそんなことしたら、ちょっと人間性を疑われてしまいますよね。

またこんなことは、まだ20代前半のかわいい青年だから、親切にもしてもらえるのです。これが30才も過ぎてしまったら、怪しい、怖い、目的は何だ?犯罪者かも!と疑われてしまいますから。

その年齢でしかできないこと。貴重な体験だと思います。いくつになっても「あれは楽しい想い出だったなぁ」と振り返ることができる。人生そんなことの1つや2つあったほうがいいです。本格的に社会に出てしまう前に。

3.ハンコで押したような一生

しかし20才を過ぎてからというもの、なぜにこんなにも1年が早いのでしょうか?いや30才を過ぎてからはもっと、20代とは比べものにならない位に、あっという間でした。10才~15才の5年間は、あんなに長い長い月日と変化だったのに?ちなみに40代はもっと早いです。50代はもっともっと早いです。

これってなぜだと思いますか?なぜ年を重ねれば重ねるほど、1年があっという間に過ぎてしまうのでしょうか?

それは社会に出てしまうと、毎日が似たような日々になってしまうからです。今日と5年前と、やってることの違いが分からない。これが1年が早く感じてしまう原因です。

今日はパリ、来週はリオ、その後ハワイで1週間休んで、来月はトロントでイベントに出席!のように毎日が変化に富む、アクティブでエキサイティングな人は、まるで子供のころのように1年が長く感じられるでしょう。

でもそんな人生を送れている人は、1万人に1人くらいです。世のたいがいの人は、ほとんど似たような毎日を過ごしています。同じ時間に起き、同じ電車に乗り、同じ場所に行き、同じ時間にお昼を食べ、同じ場所に帰り、同じ時間に寝る。

金太郎飴のような人生?
ハンコで押したような日常?

一般的に仕事とは、似たようなことのくり返しとその連続です。そんな人生にうんざりしている人は、毎日が変化に富むなんて!羨ましい~~!と思うかもしれませんが、どっちの生活がラクかといえば、圧倒的に似たような日々のほうです。

アクティブでエキサイティングな生活は、いつまでたっても落ち着かないし、自律神経が乱れて精神も不安定になりがちですし、体力的にもかなりしんどいといいます。

そんな例外中の例外のような人の話は別として、われわれが1年あっという間だったな~と感じてしまうのには、もうひとつの理由があります。それは、新しいことをやらなくなるからです。いや、現実にやれなくなる。

年を重ねるごとに仕事、責任、家族など、そっちのほうの比重が重くなるから。また大人になればなるほど、経験済みの事例も増えていきますし、さらには経験のないことですら、ある程度はどんなものかも予測できるようになります。

だから10代のころのように、あれもしたい、これもやってみたいとは自然と思わなくなってくるし、それはしなくていい、あれも知らなくていいといったように、余計なことにはあまり手を付けなくなってしまうので、それも時を早く感じさせる要因のひとつかもしれません。

それに比べて10才~15才なんて、すべてが初めて!毎日が初めて!解決策もワカラナイ!まだまだ多くのことが未経験だから、毎日色んなことが起きているように感じる。しかもそれが年間を通して感じられる訳だから、そりゃ1年も長く感じるでしょう。

ではオトナはどうやったら、1年を少しでも長く感じることができるでしょうか?その答えはただひとつ、変化に富むしかありません。新しいことにたくさん挑戦し続ければ、いまよりも時が長く感じられるかもしれません。

でも残念ながら大人になってしまうと、重い腰を上げてまで取り組みたいと思えることが少なくなってしまうので、新しい何かを見つけることですら、本当に大変になるのです。

なので20代~60代まで働き詰めで、趣味も遊びも何もなかった人が、さあいよいよ65才を過ぎて色んなことにチャレンジしてみようと思っても、いざその年になってみると何をすればいいのか?やりたいことは何なのかもサッパリ分からず、なぜだかまったくヤル気が起きないのです。

「定年後の生き甲斐が見つけられない!」という話をよく聞きますが、老後の生き方まで上司が指示を出してくれる訳ではありませんから、それは自分で見つけるしかありません。

人に言われたことしかしてこなかった人は、定年後そうなる可能性が非常に高いです。自分で考える癖、自分で見つける術を学んでこなかったからです。

定年後の無気力や迷走は、いつか楽しもう、いつかラクしよう、いつか○○できる、いつか報われる、とすべてのことを「いつか」に期待して、仕事しかしてこなかった人の多くが陥りがちなパターンです。

またその「いつか」も、本当に訪れるのかどうかも分かりませんよ?その待望している「いつか」の前に、病気や事故で亡くなってしまう可能性だって、おおいにありますから。「いつか」やるよりも「いま」やっておいたほうがいいというのは、そういうことなのかもしれませんね。

そのように「いつか」に期待する生き方というのは、好きな食べ物を最後に食べようと思って、欲張って後回しにしておいたら、先にたいして好きでもない食べ物を食べている途中で、もうお腹がいっぱいになってしまって、楽しみに取っておいたその好物が、最後に食べてもあまり美味しく感じられなかったという、欲張りな人にありがちな残念なパターンに似ています。

4.やりたいことが分からない?

受験や就活などで何度も失敗をしてしまうと、「もう終わりだ!」「もう手遅れだ!」と多くの子は悲観的に考えてしまいます。

その真っ最中にいる本人は、もう人生も終わった!詰んだ!と本気で思っていますが、しかしそれから数十年の時が過ぎて、その子もすっかりいい大人になって、その時期のことを後から振り返ってもらっても、「やっぱり手遅れだったな」と思うことはありません。

これは受験や就活に限らず、すべてのことに対しても言えることです。これまでの人生で、本当に「手遅れだった!」ということはありましたか?ほとんどないはずですよ。「もう手遅れ」に該当することがあるとすれば、それは「人生の終焉を迎えた時期」または「死」のみです。

以前、クライアントのお子さんの就職について相談を受けたとき、その大学3年生のお子さんいわく、「自分は何がやりたいのかが分からない・・」とのことでした。

でも、みんなそんなもんじゃないですか?逆にまだ大学3年のうちから、「〇〇がやりたい!」とか「一生を捧げられる道」が決まっている子は、ほぼいないと思いますよ。

職業なんて21才のまだ学生の時点で、そこまで煮詰まって決定しなきゃいけないことでもありませんし、煮詰めて煮詰めて答えを出してから就職したって、その会社で一生を過ごすことは、このご時世ではまずないでしょうから。

私だってこの仕事が好きだから携わってるのか?携わってるから好きになったのか?どっちだか分かりませんよ。好きだから研究したり努力したりしてるのか?携わってしまったから、そのケツを拭く意味で研究、努力してるのか?自分でもいまだに解っていません。

ちなみに私がヘルスケア業界に入ってきた理由は単なる偶然で、たまたまタウンページを開いたときに、最初に開いたページがカイロプラクティックのページだったというだけの理由です。

そのときに、結果として私が修行に入った米国政府公認ドクター中島旻保D.Cのウェブサイトから、「病気は薬を使わずに、背骨で治す!」というキャッチフレーズが目に飛び込んできて、その言葉に全身がシビレるような衝撃を受け、その後自分で開業してからは心理カウンセリングの施設も併設し、24年の月日が経ち今に至る、という偶然以外の何ものでもない流れです。

ただ運が良かったと思うのは、そのときにたまたま、運営していた自身の音楽事務所も借金を残して倒産し、絶望感に打ちのめされていた時期だったということです。

将来に対して不安を感じていた時期だったからこそ、アンテナがそれをキャッチし、興味を引かれたのだと思いますし、すんなりとその業界に身を移そうと決断もできたのです。

もしもあのときに、音楽の仕事が順風満帆に運ばれていたなら、きっとカイロプラクティックという文字すら読まなかったかもしれません。なので当時の状況や心境などがまるで、偶然が必然だったような、すべてが絶妙なタイミングだったのです。

これまでに色々な人の人生を見てきて思うのは、もともと得意だったことがあれば、それを利用しない手はないということです。

なのでその息子さんにも、「何か小っちゃい頃から得意だったものはある?」「人より覚えが早くて、あまり努力しなくても結果が出せたものは?」と聞いてみました。

思い浮かばないとのことでしたが、「家に帰って紙に書いてみれば?」とアドバイスしました。3才くらいからの自分のヒストリーを、紙にズラーっと書いてみるんですよ。そうすると案外忘れていた特技が思い出されたり、新しい発見があったりもします。

「得意だったもの=才能がある」と解釈するとちょっと語弊があるかもしれないので、そんなに秀でてなくてもいいから、得意と感じたもの。なかなか飽きなかったもの。時間を忘れて熱中できたもの。それが見えてくれば、いわゆる「何がやりたいのか」がおぼろげにでも見えてくるかもしれません。得意なものが選択できれば、いい位置に到達できるスピードも圧倒的に早くなります。

そして最後にいつも思っていることも伝えました。ホント、世界には色んな仕事をしてる人がいる。自分や自分の周りばかり見てないで、今なんかネットで世界の色んな情報も見れるんだから、いったい世界にはどんな仕事があるのか?他の国の人はどんな仕事をして暮らしてるのか?しらみつぶしに調べてみればいい、と。どうせ時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり決めてみればどうですか?と答えました。

そしてその1年後、彼はカーナビを製作する会社に就職しました。理由は、子供のころから地図を見るのが好きだったからだそうです。

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