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エッセイ・評論など

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音楽、その他の芸術や社会問題についての評論やエッセイなど。力を入れて書いたものから、気軽に一気に書いたものまで。とりとめのない雑感も。
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シューベルトの実存に肉薄する──プレガルディエンとゲースのシューベルト・アーベント

シューベルトの実存に肉薄する──プレガルディエンとゲースのシューベルト・アーベント

 テノールのクリストフ・プレガルディエンとピアノのミヒャエル・ゲースによるリサイタルを聴いた(五月二十二日、トッパンホール)。曲目はすべてシューベルトで、「別れ そして 旅立ち」というテーマのもと、前半と後半それぞれ十二曲ずつ、《冬の旅》と同じ曲数の二十四曲が、独自の選曲と配列でひとつの歌曲集のように集められた。彼らは過去にまったく同じプログラムを録音しており、私は聴いていないが十年前の同じトッパ

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「為すすべのなさ」を抱えて──クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

「為すすべのなさ」を抱えて──クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

 先月末にようやく日本公開された、クリストファー・ノーランの新作映画『オッペンハイマー』を観て、しばらく茫然としていた。あまりの凄みに圧倒されて茫然としていながら、日常の音に劇中の音を想起するほど作品に頭が浸されてそれについて考えずにはいられず、しかしやはり思索はまとまらないという状態になってしまっていた。それでも考え続けているうちに、この茫然とするほかない感覚、言い換えれば「為すすべのなさ」のよ

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傷つきながら癒される

傷つきながら癒される

 十一歳のある夜の遅い時間、芸能人から一般人まで複数人の出演者たちが、なにかシリアスなテーマについてテレビで議論していた。子どものころ、早く寝なさいと言われた記憶はほとんどなく、就寝する時間が親と一緒だったので、それを見ていた母の横にいただけだったのだが、ある俳優が「セックスこそが愛の究極だ」と真顔で語っていたりする、今にして思えば、その年齢で見るような内容ではとてもなかった。
 その番組のことを

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手に宿るもの

手に宿るもの

 数か月前のある日、私の出演する演奏会の案内を見たという知人から、「手がきれいだなと思っていたんですよ」と言われた。その人は、私がピアノ弾きだということを、その掲示を見るまで知らなかったのである。
 こういった日常の何気ない場面から、はじめてかつての恋人の手を握ったときや、大学に憧れを抱いて見学に来た受験生と在校生として握手をしたときといった重要な場面まで、手やその感触をほめられるという経験は何度

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これからの表現芸術のために、表現芸術のこれからのために──映画『TAR/ター』との対話

これからの表現芸術のために、表現芸術のこれからのために──映画『TAR/ター』との対話

「芸術家として優れている人ほど往々にして人間としては問題があることをするものだ」というような意見を、陰に陽に口にする人は、少なくない。かれらは、芸術家は社会規範からはみ出しているからこそ、常人にはできない発想や表現が可能なのだと言うのである。
 私はこういった意見に、反対の立場を取り続けてきた。
 確かに、私も含めて芸術にのめり込むような人間は、内面に、この世界への絶望と結び付いた、現実の倫理とは

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浸み透る歌声

浸み透る歌声

 しばらくぶりに話した人に、元気ですか?と尋ねられて、答えるまでに少し間が空いてしまった。春前から不運や心理的に負担のかかるできごとが続いていたのに加えて、身体的にもやや疲労が溜まっており、思考や感情の方向も負のほうへ極度に傾きがちなこの頃であったから、「元気」と言ってよいものか、馬鹿正直な私はためらってしまったのである。間を空けてしまったらもうあとには引けない。元気と言いたいところなんですが、最

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「信用できるから」

「信用できるから」

 年末や盆をのぞくほぼ毎週末にある仕事に電車で行く途中、高校時代に通学で乗り換えのために下車していた駅を通る。寝つきの良かった日でも必ず中途覚醒してしまう決して深いとは言えない睡眠と、始終何かものを考えてしまうこの脳のためか、電車に揺られているとすぐに眠気を催し、二駅目に着く頃にはもう浅く眠ってしまっていることも少なくない。けれど、停車する度に意識は戻ってくるので、比較的目が覚めているときなどは、

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慎み深くあるということ──ジャン=クロード・ペヌティエ 80歳アニヴァーサリーリサイタル

慎み深くあるということ──ジャン=クロード・ペヌティエ 80歳アニヴァーサリーリサイタル

 二〇一四年から二〇一九年まで、毎年一度、幸運な年には二度、ピアニストのジャン=クロード・ペヌティエの生演奏を聴けたことは、私の生にとって、最も大きな救いのひとつだった。あの大きくはないが厚い手のひらのぬくもりに包まれたような音。圧倒的な内省が音楽に与える、実際の静寂以上の静寂。孤独への深い理解に比例した、何者をも問い詰めない大きな優しさ。演目や会場などによって、受ける感銘の深さや種類に差はあれど

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語り続ける姿──アレクセイ・リュビモフ ピアノリサイタル

語り続ける姿──アレクセイ・リュビモフ ピアノリサイタル

 指定された座席に着いてプログラムを読んでいると、今日のピアニスト、アレクセイ・リュビモフがまだ会場に到着していないとのアナウンスが流れた。何かの事情で来日が遅れ、空港から直接会場に向かっており、二〇分押しの予定で、到着次第すぐに始めるという(四月十一日、五反田文化センター音楽ホール)。
 中止にはならないということにまず安心したが、飛行機を降りてそのまま会場に直行して、休息の時間もリハーサルもな

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谺する聖愚者の予言──マリウシュ・トレリンスキ演出、大野和士指揮によるムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》

谺する聖愚者の予言──マリウシュ・トレリンスキ演出、大野和士指揮によるムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》

 ひっそりとした闇に包まれた舞台に、各辺を光らせた立方体が並んでいる。上手側に置かれたその内側が照らし出されると、痩せ細った、身体に障碍を抱えている若者が、斜め上を見て椅子に座っている。その表情が背後のスクリーンに大きく映し出され、それが荒涼とした大地のような映像とクロスフェードするとともに、個人的な感情ではなく、もっと根源的な、この世界を生きる人間が抱えている宿命的な哀しみのようなものを湛えた嬰

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「どちらにも踏み切らない場所」に立って

「どちらにも踏み切らない場所」に立って

 大学時代、想いを寄せていた人に、「SNSで常に誰かと繋がっているから、孤独じゃない」と確信に満ちた様子で言われて、何も言葉を返せなくなってしまったことがある。自分とこの人は、孤独という言葉の定義が違う、いやそれ以前に、見えている世界が決定的に違う。心惹かれながらも、どんなに会話を重ねても話が通じていない、自分という人間を理解してもらえていないもどかしさをどこかに感じていたが、その原因を発見してし

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〈世界〉に拒絶された者が、世界に救われるまで──プレガルディエンとゲースのシューベルト《水車屋の美しき娘》

〈世界〉に拒絶された者が、世界に救われるまで──プレガルディエンとゲースのシューベルト《水車屋の美しき娘》

 少々時間が経ってしまったが、10月の初めにトッパンホールで開かれた、テノールのクリストフ・プレガルディエンとピアノのミヒャエル・ゲースによる、「シューベルト3大歌曲チクルス」の第2夜《水車屋の美しき娘》を聴いた(10月3日)。このデュオの実演を聴くのは4年ぶりである。プレガルディエンは多くの曲を長2度下げて歌っており、前回よりさらにバリトンに近づいたことを感じさせたが、テクストを深く読み込み、音

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生の哀しみ──向井響の新作「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」

生の哀しみ──向井響の新作「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」

 生は、始めさせられてしまったものである。自ら望んでこの世に生まれるということは、誰にもできなかったはずだ。私という存在は、存在させられたのである。自分が生まれ、生きていることにたいして、一度も疑念を抱いたことがないという人でも、この前提を否定することは、決してできない。
 私は特に反出生主義者を自認しているわけではない。けれども、自分のものであれ他者のものであれ、生の過程で直面する苦悩の根源を探

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夜明けの鳥の歌を聞きながら

夜明けの鳥の歌を聞きながら

 近くの林から鳥の歌が聞こえてきて、ああとうとう朝になってしまったと思う。恐らく四時を少し過ぎた頃だろうか。時計は見ないようにしている。時間を気にすると余計に眠れなくなるからだ。そんな時間になってしまったなら、もう諦めて起きてしまって、日中眠くなったら寝ればいいのにと思われそうだが、目覚ましが鳴るまでに少しでも眠ることを諦められない。それに、生活のリズムが狂うほうが、次の日の夜の睡眠にとってよくな

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