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夜明けの鳥の歌を聞きながら

 近くの林から鳥の歌が聞こえてきて、ああとうとう朝になってしまったと思う。恐らく四時を少し過ぎた頃だろうか。時計は見ないようにしている。時間を気にすると余計に眠れなくなるからだ。そんな時間になってしまったなら、もう諦めて起きてしまって、日中眠くなったら寝ればいいのにと思われそうだが、目覚ましが鳴るまでに少しでも眠ることを諦められない。それに、生活のリズムが狂うほうが、次の日の夜の睡眠にとってよくないはずだ。
 目を開けると、しばらく前に手洗いに立ったときより、部屋全体が白さを増している。明るいが深い、夜明け特有の青白さが、鳥の歌だけが響く静けさと共に窓から射し込んできている。
 鳥類学者や愛鳥家の人はともかく、多くの人にとって「鳥の歌」という言葉は、あくまでも比喩表現にすぎないのかもしれないが、こうしてベッドのなかで、眠れずに妙に冴えてしまった感覚でその囀りに耳を傾けていると、それが精妙なリズムと音程をもった、紛れもない歌になっていることに気がつく。鳥の声に耳を澄ませる機会も余裕もない、気ぜわしい日々の喧騒に呑まれていても、それを眠りを妨げる雑音としてではなく、美しい歌として感じられる程度には、まだ自分の感性は淀んでいないのだと思ってみたりする。
 オリヴィエ・メシアンというフランスの作曲家は、その特殊な聴覚で鳥の声をそのまま音楽に写した人物だった。友人の作曲家の師匠は、メシアンのそれらの作品を「ほんとうに鳥はあんなふうに鳴いているのか? 彼にはああ聞こえていたのかもしれないけれど、僕にはそう聞こえない」と批判していたらしい。少し抽象的に言い換えると、その先生に言わせれば、メシアンのその表現は、普遍性を獲得するには至っていないということだろう。表現は、確かに個人の強い実感から始まるものだが、どこかで人間一般、普遍的なものに触れていなければ、他者にとって共感可能性のない、閉じたものになってしまう。もちろん、ある一定の人だけに共感されればいいと割り切っているタイプの作品もあるが、私はやはり表現というものは、どこかで開かれている、他者が入ってゆける余白を持っているほうが理想的だと思う。私自身は、メシアンの鳥の声に由来する一連の作品を嫌いではないけれど、話を聴いて確かに一理ある批判だとは思った。
 寝付かれない日は、こんなふうにして、際限もなくいろいろなことが頭に流れてきては去ってゆく。マンガやアニメのように羊を数えたりしてみても、いつの間にか別のことを考え始めてしまっている。
 以前、ある人に、寝つきの悪い日が時々ある、特に翌日に早起きしなければならない予定などがあると、「早く寝ないと」と焦るためにほぼ確実に寝つきが悪くなる、という話をして、「寝る時間を早めるとかすればいいんじゃない?」と言われたことがある。
 眠りに問題を抱えたことがある人なら、この提案がいかに的外れなものであるか、よくわかるだろう。その人は悩みや不満を話すと、すぐに解決策をあれこれと提案してくる人だった。いまは疎遠になってしまったが、今思うと、一時期でも親しくなったのが不思議なくらい、私とは価値観や考え方が異なっていた。かれは、人生のたいていのことは自分次第で何とかなると信じている人だった。私は、人生のたいていのことは自分の意志だけではどうにもならないと、当時から考えていた。
 思うに、眠りに問題を抱えている人にとって、寝付けないということは、最もどうにもならないことの一つだろう。ひどく疲れている日でも、一度寝付けないスイッチが入るともうだめなのだ。自分の意志で寝よう寝ようと思うほどに、眠りからは遠ざかってしまう。眠りのほうから近づいてきてくれるのを、悶々としながら待つしかないのである。
 努力すれば必ず報われるというのは、確かに希望が持てる考え方だ。しかしそれは、報われなかった人、そして報われなかった自分自身にたいして、徹底的に冷たい考え方でもある。
 人間の可能性はそんなに高いものではないという世界観を知った、最も古い、鮮明な記憶は、高校三年の時の担任の先生の言葉だった。先生は何かのときに、「私は人の可能性は無限なんて言いません。有限です。ただ、その限界がどこにあるかを、自分がやる前から決めてはいけないということです」と言われた。小中学時代に、さまざまな教師から「君の可能性は宇宙よりも広い」などと言われる度に、有難く思いつつもどこかで違和感を抱いていたが、このとき、ほんとうに聴きたかった言葉にはじめて出会えたように思った。
 それ以降、ピアニストのレオン・フライシャーの演奏と生涯や、平野啓一郎や森鷗外の小説などを通じて、この「人には自分の意志ではどうにもできないことがある」という思想の優しさに接してきた。あまり自覚はなかったが、十代の終わりからこういった思想に共鳴していたということは、すでにそのことをどこかで感じ取っていたのかもしれない。実際に人生経験としてそれを強烈に実感し始めたのはもう少し後のことで、それらについてはここには書かないが、この思想を知っていたおかげで、その時にも必要以上に自分を追い詰めずに済んだ。
 その思想を知るには、少々若すぎたかもしれないし、大学時代は、意志の力を信じて挑戦し続ける日々を送るべきだったかもしれない、それこそ「限界がどこにあるかを、自分がやる前から決めて」しまっていた部分もあったかもしれないと、一抹の苦みと共に感じるときもある。しかしそれとて、やはり自分の意志のみではどうにもできなかったことだと、私は思う。疎遠になったかれから「どうしてそんなに挑戦しないの?」と問われて何も言えなくなってしまったことがあるが、私はなぜか、、、、守りに入ってしまって、挑戦し続ける強さを持てなかったのだ。
 どの時期にどんな人と出会うか、もっと根本的に、どんな家庭に生まれどんな土地に育つか、それらを個人がコントロールすることなど、不可能である。何か一つでも違えば、人生は全く違うものになってしまう。森鷗外の小説『舞姫』には、「余は我身一つの進退につきても、また我身に係らぬ他人の事につきても、決断ありと自ら心に誇りしが、此決断は順境のみにありて、逆境にはあらず」という一節があるが、人は結局、どんなに意志を抱いてみたところで、世界の圧倒的な流れに運ばれることしかできない、弱い存在なのかもしれない。
 最近は、意志というものの形成自体さえ、自分自身によるものではなく他者からの影響によるものなのではないかと思い始めている。自分で考えたとばかりに思っていたことが、ふと書棚から久しぶりに取り出した本に書いてあったり、自分の信念が、敬愛してきた人々のそれとあまりにも重なっていることを思ってみても、私にはどうしてもそのように思われてきてしまう。
 自由意志の存在を絶対視する世界観は、希望的だが傲慢で、人にも自分にも冷たい。自由意志の存在を否定する世界観は、人にも自分にも優しいが希望はない。いまの私は、希望を失ってでも優しさのほうを大切にしたい気持ちが強まっている。しかし、鳥の歌を耳にしてもなお時計を見ないほどには、希望を手放せてもいないのである。
 そこまで思索したところで、鳥の美しい歌のおかげか、もう眠れなくてもいいやと諦めがついたからか、ようやく気が休まり、短い眠りについた。


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