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「未来」に投資できる社会や人になるべきだ


現在の自分や世界は、過去の積み重ねによって作られる。

自分の努力だけでなく、恵まれた環境や様々な恩恵からもたらされた集大成であるといえる。

上手く人生を運ぶことができる人たちは、最良の扉を一つ一つ開けることができている。それを己の力のみと錯覚して、上手くいかなかった人を無能としてしまうことも少なくはない。

今の社会は、未来に投資するというよりも、「今現在どれだけ良質なもの」を持っているかを重視する。

それ自体が、未来に投資した結果ともいえるが、確実に「利益」をもたらすだろう人のみを選別する。

自分自身は、確実に利益をもたらす人にのみ良質な環境やギフトを受け取ることには反対である。なぜなら、常に良質で、綺麗な環境にいた人々は必ず「誰かたちや世界を汚す」存在になりえるからである。

例え、どんなに良質な世界にいて、他者に対する優位性の問題を見つめることができる人であっても、無意識・無自覚な特権的・排他的な思考や行動は消すことができない。

優生的な思考・行動・言動は、自らが劣位に置かれ、あがいても崩壊してしまう世界を身をもって経験しない限りは消すことなどできない。経験主義などではなく、確実に上手くいく、努力すれば評価される、何かをすれば他者が助けてくれるという世界にいては、絶望も悲しみも分かることはないからである。

現在、生きることに苦しんでいる人や何をしても絶望しかない人たちは

なぜだか「無意味」な人として社会に隅に追いやられてしまう。

闘ってきたことも乗り越えてきたことも、命を擦り減らして来たことなども、何一つ苦しまず、愛と希望に溢れて、幸福の権現として他者の苦しみが分からない人たちが評価されてしまう。

今、暗闇の中で闘っている人、膝を抱えながら向き合っている人、社会の隅に追いやられても諦めない人こそ、愛や希望、そして良質な世界や環境へいかなければならない。

そして、世界の不平等さや一部の恵まれた人たちにしか恩恵のない選抜システムなどに疑問を呈して壊していく人にならなければならない。

でも、絶望に向き合う人たちの多くは、今という時間軸のなかで、すぐに評価されたり、評価されたりするための資源や経歴を示せる者はなかなかいない。

矛盾になるが、他者に見てもらうため、気が付いてもらうためには、それ相応の対価を用意する必要がある。自分自身が、何も知らない人々と同じように「ただ消費して笑う」だけの人たちのようにならないためにも。

しかし、自分自身には何もない。なら諦めるしかない。

そう思ってしまうのも当たり前だけど、まだ僕らには対価を用意することができる。


それは「未来」である。

僕らは、たくさんの苦しみと悲しみを乗り越えて、あるいは闘っている。
その経験は恵まれた人たちにはない素晴らしい力である。

僕らは、たくさんの絶望と地獄のなかで社会や世界を身をもって向き合っている。
その強さは恵まれた人たちは持つことのできない特権である。

涙や嗚咽、痛みや傷に、何を思い、何を希望に、何が必要なのか考えてきたはずである。

その経験を、その優しさを、その全てを未来に託すことができる。

自分と同じようになる人が増えないために、自分の苦しみを他者が向き合わないように、と思った気持ちは、テストの点数や全国大会出よりも、英語が喋れるよりも、世界レベルの表現力よりも評価に値するものである。


僕らは未来を懸けることができる。だから、未来を買ってもらうのだ。

そう、そうなれば、きっと世界を変わる。きっと僕らは救われる。

でも今の社会は「未来」を買ってもらえる人は、現在優れていて、確実に収益をあげられる人のみである。

そんな社会は間違っている。でも、まだ誰も気が付いていない考えただから、進めようとはならないのだ。


本当に評価されるのは誰なのだろうか、本当に必要なのは恵まれた人ではないということを社会が気づくことがない限り、世界はよくなることはないだろう。

それでも信じ続けなければならない。

必ず「未来」を買ってくれるようになるということを。

現在、良質であることが大切とする社会が壊れることを信じないといけない。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。