記事一覧
センス・オブ・ワンダー、原文と二つの訳の比較対照
松葉舎ゼミ「科学のセンス・オブ・ワンダー」の下準備として、レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』の原文と二つの訳(森田真生訳、上遠恵子訳)を部分的に比較対照していきました。知ること、感じることについて、カーソンの思想がよくあらわれている部分を抜き出しています。末尾には、翻訳書を読むこと、古典を読み継ぎ、書き継ぐことに関するぼくの考えも付しています。
森田真生訳:
冒険は穏やかな日のときも
『センス・オブ・ワンダー』 新訳とその続き(森田真生)に寄せて
松葉舎ゼミ「科学のセンス・オブ・ワンダー」の開催に寄せた文章を、森田真生さんによる『センス・オブ・ワンダー』の新訳とその続きに寄せた文章として独立させました。
2024年3月23日、独立研究者の森田真生さんによる『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン)の新訳と、そのつづき「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」を合わせた一冊が刊行されました。
『センス・オブ・ワンダー』は、自然の驚異と不思
山縣良和・ここのがっこう論③|松葉舎の講義録|2024年3月26日
人を起点に服と社会の関係を考える。
その分かりやすい具体例として、「ここのがっこう」とも「coco」の響きを共有しているココ・シャネルのデザインを挙げたいと思います。彼女は1910年代20年代に、パンツスタイルや、伸縮性のあるジャージー素材を取り入れた女性服をデザインしました。今でこそ、そのように動きやすく活動的な女性服も当たり前のものとなっていますが、その草分け的存在となったのがココ・シャネル
山縣良和・ここのがっこう論②|松葉舎の講義録|2024年3月26日
「ここのがっこう」の創作現場に今一歩踏み込んでいきたいと思います。
先ほどは、例えば「スカートとは何か」を考えるさいに、スカートの形状や長さなど、とにかくスカートのことだけを考えながら「スカートとは何か」を考えていきました。しかし「ここのがっこう」では、服のことだけを考えながら服をデザインしているわけではありません。服と社会との関係、あるいは服と人との関係など、さまざまな関係の編み目のなかに服を
山縣良和・ここのがっこう論①|松葉舎の講義録|2024年3月26日
2024年3月26日、富士山麓に広がる機織り町・富士吉田にて、作家の川尻優さんと共に「生きること、機を織ること、言葉を紡ぐこと」というタイトルにて、ファッション私塾「ここのがっこう」の創作と、松葉舎の学問とについてお話ししてきました。こちらはその講演録となります。
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この度はお招きいただきましてありがとうございます。松葉舎主宰の江本伸悟と申します。また、デザイナー・山縣良和が運営す
学びの共同体をつくる|阿部謹也『学問と「世間」』|
著者の阿部謹也は、日本的な人間関係のありようを示す「世間」という言葉をはじめて学問の俎上に載せた学者であり、その成果は『「世間」とは何か』(1995)を通じて世に知られている。
『学問と「世間」』(2001)ではタイトルの通り、「学問」と「世間」の関係に焦点を当てつつ分析を深めているのだが、ここにもう一つキーワードを付け加えるなら、それは〈生活世界〉になるだろう。
本書の問いをぼくの言葉
松葉舎は7周年を迎えました|松葉舎つれづれ|2024年1月9日
松葉舎は本日でちょうど7周年を迎えました。
7年前のこの日、2017年1月9日に開催した開塾記念講座では、武術研究家の甲野善紀先生、私塾「数樂の風」主宰の藤野貴之先生、物理学者の小林晋平・東京学芸大学准教授、フラワーアーティストの塚田有一・里香夫妻、ログズ株式会社の武田悠太さん、大建基礎株式会社の大門千彌さん、そのうちcafeの浅井琢也さん、あさくさ鍼灸整骨院の末野秀実さん、そして親友の森田真生
呟く思考(twitter), 吃る思考(stutter)
川のほとりの保育園に娘が通うようになり、毎日土手沿いに自転車を走らせながら、川の流れを眺めている。冬の頃には色々な顔ぶれが揃っていた鴨たちも、そのほとんどが春になってどこかに渡り、ただ相変わらずカルガモだけが、浅瀬に顔を突っ込んで虫か何かを漁っている。その周りではコサギが忍び足で徘徊し、草陰や川底の砂利を黄色い足でガサガサと揺り動かしながら、驚いて出てきた魚や虫をついばんでいる。いつも同じような場
もっとみるタイパといいたくもなる社会
タイパという言葉が若者のあいだで流行っているらしい。費やした時間に対してどれだけの効用が得られるか、タイムパフォーマンスの略ということだ。
直接耳にしたのではなく、こんな言葉が流行るなんて世も末だという批判的言論を介して知るにいたった。そう嘆きたくなる気持ちも分かるが、一方で、こうした言葉を発する若者の気持ちを浅薄だと切って捨てる言論のほうが、むしろ浅はかなのではないかという気持ちがある。
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