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学びの共同体をつくる|阿部謹也『学問と「世間」』|

 著者の阿部謹也は、日本的な人間関係のありようを示す「世間」という言葉をはじめて学問の俎上に載せた学者であり、その成果は『「世間」とは何か』(1995)を通じて世に知られている。

 『学問と「世間」』(2001)ではタイトルの通り、「学問」と「世間」の関係に焦点を当てつつ分析を深めているのだが、ここにもう一つキーワードを付け加えるなら、それは〈生活世界〉になるだろう。

 本書の問いをぼくの言葉で述べるならば「世間の枠にとらわれずに、しかも生活世界に根を張って学問を営むことは可能であるか」ということになる。そして、そのための新しい学びの共同体のあり方が提唱されている。以前に書いたnote記事「自分のことばとからだで考える」とも問題意識が重なっており、その範囲において本書の内容を簡単にまとめておきたい。



学会という「世間」

 著者曰く、西欧における学問の主体は「個人」にあるが、日本においては学会や学部といったアカデミックな組織がひとつの「世間」を形成しており、それが学問と個人のあいだに入りこむことによって若い研究者の学問を規定している(p. i)。学問の本分は世間の枠組みから離れて思考し、そこで常識とされている物事を批判的に吟味することにあるのだが、日本のアカデミズムはいわゆる「世間」から解放される代わりに、学会という新たな「世間」に捉えられている、といった問題意識が文章の端々から伺える。

個人の誕生——告解と都市

 世間の枠組みから離れて思考するとは、世間のしがらみにとらわれない個人として思考することでもある。そこで著者の視線は、西欧における個人的意識の成立過程に向かうのだが、著者はその起源を、カトリック教会における告解の普及と都市の成立にみてとっている(p.21)。告解を通じて人々は自身の内面を見つめることになる。一方で、都市に移り住むことになった青年たちは、旧来の伝統的な共同体やしきたりから離れて、自らの生き方を自ら切り開いていく必要に迫られた。とはいえ、都市に出てからも同郷の出身者を頼りにするなど「世間」から離れられずにいたのだが、そんな彼らの背中を押したのが十二世紀の神学者サン・ヴィクトルのフーゴーが書いた『ディダスカリコン(学習論)』だった(pp.23-25)。

祖国が甘美であると思う人はいまだ繊弱な人にすぎない。けれども、すべての地が祖国であると思う人はすでに力強い人である。がしかし、全世界が流謫(るたく)の地であると思う人は完全な人である。

フーゴー『ディダスカリコン(学習論)』

 それは「世間」からの自立を求める言葉であったと著者は述べる。その道は十五世紀ドイツの神学者ニコラウス・クザーヌスに引き継がれ、「世間」のみならず「現世」からも距離をとってそこに批判的なまなざしを向ける学識がここに成立し、それがヨーロッパにおける知識人のあり方の基準となったのだという。

学問の危機——生活世界の喪失

 このように個人的意識のうえに樹立された西欧の学問は、「我思う故に我あり」というデカルト的な認識論と結びつくことで先鋭化され、主観と客観をするどく切りわけるように発展していくのだが、しかしそのことによって西欧の学問は——フッサールのいうように——ひとつの「危機」を抱え込むことになった(pp.74-79) 。

近代以降、学問の世界が広がるにつれて、こうした客観的・理念的世界が普遍的世界であり、そこでこそ真実が解明されるという期待が生まれ、私たちが営む日常の〈生活世界〉は相対的で曖昧な世界として学問の対象とはならないと考えられるようになったのである。

阿部謹也『学問と「世間」』

 フッサールを紐解きながら学問の射程に〈生活世界〉をおさめる必要を説く筆者の言葉には特別な重みがある。というのも、筆者の研究する「世間」という概念こそは、〈生活世界〉に埋もれた概念として従来の学問から等閑視されてきたものだったからだ。そして、「世間」を研究するためには、日本のアカデミズムをとりまいている「世間」から逃れなければならなかったという皮肉な二重構造が筆者の学問人生を形づくっている。

身体の動きと連動した言葉

 そして著者は、これまでの学問の方法論では世間や生活世界を捉えることはできないと指摘し、ひとつのエピソードを紹介する。

同志社大学の三輪茂雄教授から石臼作りの話を聞いたことがあった。彼は粉体工学を研究する立場で石臼作りの過程を調査しようとしていたのだが、石臼職人は彼の質問に対しては、はかばかしい答えをしてくれなかった。思いあまって彼は、自分で職人に習いながら石臼を作ろうとした。すると、原石を割る過程でも研磨の過程でも、職人が共に石臼を作りながら適切な指示を与えてくれるのである。職人にとっては石臼作りの過程は手と身体の作業として刷り込まれているので、作業をしながらなら、いくらでも必要な説明ができる。それをインタビューの中で答えてもらおうとしたやり方に間違いがあったことに気づいたのである。言葉は身体の動きと連動していた。

阿部謹也『学問と「世間」』pp.126-127

 言葉は身体の動きと連動しているという最後の一文はとりわけ印象深い。現象学や当事者研究やエスノグラフィのように、自身や他者の生活世界に入りこみ、そこでの言動や文化や意識状態を記述していくという学問領域はある。しかし、そこから先に進んで、自ら身体を動かし、身体を通じて言葉を理解するという領域になると、方法論や学問分野として確立されているというよりは、個人的に臨機応変に実践されている状況に近いのではないかと思う。身体の動きに連動した言葉は、未だ学問のフロンティアに霞んでみえている(とはいえ、現在の学問にすでに山本義隆のいう『十六世紀文化革命』を通じて画家や職人や魔術師たちの身体知が取り入れられている、とも考えられる。この点についてはいつか別の記事に書き起こしたい)。

学問の観客、学問の素人

 生活世界を学問の射程におさめるために、「二十一世紀の大学はこれまでのような文学や数学の専門家だけでなく、音声、身ぶり、映像、技術などの技術者や芸術家を必要とするだろう」(p.160)と著者はいうのだが、同時に、そのような人々を大学に引き留め続けられはしないことも著者は理解している。そこで著者は、二十一世紀の大学を「生涯学習」の場として開放することを提案する。といっても、現状の学問のあり方をそのままに、そこで得られた知識を伝える公開講座などを意図しているわけではない。

そうではなくて、〈生活世界〉の中から学問を再構築していく手段の一つとしての生涯学習なのである。いわば専門家集団の組織としての大学を素人に開放し、生活者としての関心に立って問題が発見されていき、専門家と共にその解決に向かって努力が続けられるという構図である。

阿部謹也『学問と「世間」』pp.161-162

 市井の人々を学問の「観客」として門外漢の位置に留めおくのではなく、学問の「素人」として学問の門をくぐってもらい、専門家と一緒になって研究してもらうという未来がここでは構想されている。ぼくの場合は、大学に市井の人々を招き入れるのではなく、自ら街に出て松葉舎という新たな学問の場を開くことにしたのだが、問題意識はほとんど一致しているといってよい。

***

 本書を読み始めたときにまず感じたのは——正直なことをいうと——西欧の学問の主体は個人にあり、日本では「世間」が学問を規定しているという言説に対する違和感だった。
 
 日本の学問が学会なり学部なりの論理に規定されている面があることに異論はないのだが、それは西欧においてもしかりであり、むしろ、そのように何かしらのコミュニティに入りこみ、そこでの暗黙知を身につけることが学問を修めるにあたっての常套手段なのではないかという思いがあるからだ。ぼく自身はその道を選ばなかったけれど、学会の風土を内面化することもまた、(日本だけでなく西欧においても実践されている)学問の一手段なのではないかという思いがある。

 ただしこれは、著者の「世間」という言葉に対する解像度の高さにぼくが追いついていないことからきた誤解の可能性が大いにあり、著者の狙いは「世間」に閉ざされた日本の学問を「共同体」へと開き、その上に学問を再構築することにあるように思う。そのあたりのニュアンスは、上記の大学構想に加えて、以下の文章に読むとよく伝わってくる。

 『古典の影』という(西郷信綱)氏の書物の冒頭に次のような文章がある。「学問とは一種の共同体的な営みだという真理が、この注釈めいたものを手がけて以来、多少わかりかけたような気がする。無知から生じる一時の思い上がりや思いこみ、つまり私念としての傲慢さから越え出て行かねばならない」。
 ここで共同体的な営みとされているのはいわゆる「学会」などではない。氏は『古事記』の注釈を始めるにあたって、本居宣長、富士谷御杖、鹿持雅澄といった江戸国学の担い手に問いかけているのである。そしておそらくホメーロスの研究者にまでその共同体は及んでいるのであろう。研究の過程で過去現在の研究者たちに出会う。その研究者たちと共通の問題意識で結ばれていると感じられた場合、そこに共同体的な営みとしての研究が意識されるのであろう。

阿部謹也『学問と「世間」』pp.9-10

 ひとは一人で学問を営むことはできない。イヴァン・イリイチの言葉を借りるならば「創造的で探求的な学習をするためには、同じそのときに、同じ言葉や問題で悩んでいる仲間が必要なのである」(『脱学校の社会』)。学問には、学びの共同体が不可欠である。学会や大学はまさに学びの共同体であり、そこに参入することでしか得られない学問のエートスがあることは間違いない。

 しかし、学会や大学だけが学びの共同体であるわけではない。上記の引用のように、一冊の書物をつうじて過去や異国の研究者たちと巡り会い、心の中に学びの共同体が形成されることもある。あるいは大学構想の箇所で触れたように、学問の素人と玄人とが混じりあうことで相互に活性化しあうような学びの共同体もあり得るだろう。そのように、本来であればさまざまな広さと深さを持つはずの学びの共同体が、大学や学会という場所に限定して考えられがちなこと、その結果として、これらの場所が学問における「世間」となってしまいかねないことを、著者は危惧しているのだろう(あるいは自身の実体験からそのような状況に辟易しているのかもしれない)。

 このようにまとめてしまってよいのかは分からないが、ぼくは本書を下記のように受けとることにした。

 日本の学問は、個人的な意識ではなく、世間的な意識のうえに打ち立てられている。しかしだからといって、個人的な意識を強調する方向にいけば、学問の視野から生活世界を失ってしまった西欧とおなじ轍を踏みかねない。そもそも共同体に根ざした日本の精神的風土のうえに個人としての意識を移植できるのかどうかも不明である。であるならば、世間に対して個人を対立させるのは止めてしまおう。そうではなく、世間という殻を破って、それを共同体へと押し広げる道を選ぼう。学びの共同体をつくること。道筋は違えど、ぼくはその点において、著者である阿部謹也と志を共有したいと思う。

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