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山縣良和・ここのがっこう論③|松葉舎の講義録|2024年3月26日

人を起点に服と社会の関係を考える。

その分かりやすい具体例として、「ここのがっこう」とも「coco」の響きを共有しているココ・シャネルのデザインを挙げたいと思います。彼女は1910年代20年代に、パンツスタイルや、伸縮性のあるジャージー素材を取り入れた女性服をデザインしました。今でこそ、そのように動きやすく活動的な女性服も当たり前のものとなっていますが、その草分け的存在となったのがココ・シャネルだったといいます。彼女のデザインを身にまとった女性は、窮屈なコルセットに身を押し込んで男性のかたわらに佇んでいることをやめて、社会へと進出してきびきびと働き、ときには馬にまたがって乗馬を楽しむような活発な行動主体に変身していったといいます。

そこには当時の社会情勢として、世界大戦で男手が減り、女性の力が求められはじめたという力学も働いているかと思いますが、装いが変わることで振るまいが変わり、振るまいが変わることで生き方が変わり、女性の生き方が変わることで社会のありさまが変わっていく。そのような流れが、そこには確かに存在していたように思います。

服のデザインを通じて新しい装いを、新しい振るまいを、新しい生き方を、新しい人間像をデザインすること。それが「ここのがっこう」の目的であるとともに方法でもあり、ここでは服のデザインと人間像のデザインを交互に行き来するようにもの作りが進められています。

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その新しい人間像をデザインするにあたって「ここのがっこう」が重要な参照項としているのが、個々の生徒が携えているパーソナルヒストリーです。その生徒が生まれ育った家庭環境、土地の風土。眺めてきた風景、聴いてきた音楽、味わってきた食事、触れてきた布地。あるいは交わってきた友人、恋人、大人たち。今でも覚えている思い出、二度と思い出したくもない出来事等々……。

そのような個々の生徒の来歴と、その生徒の生みだす造形と、それを語ろうとするときに思わず口をついて出てくる言葉とを照らし合わせていく中で、その生徒の中に潜んでいる人間像——けれど本人自身もまだ気付いてはいなかった人間像——を引きだしていきます。

そのようにして発掘される人間像は、往々にして生徒自身の姿を何らかの意味で反映しています。その意味で「ここのがっこう」の生徒が取り組んでいるのは、新しい人間像の探求であるとともに、わたしの中に潜んでいる「まだ見ぬ私」の探求なのだともいえます。

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いまお話ししたことの具体例として、2010年代後半の山縣のコレクションに登場する人間像を紹介したいと思います。

2016年、表参道ヒルズの地下室で執り行われたファッションショー「gege」では、山縣の服を身にまとった無数の妖怪たちが電気グルーヴの楽曲「モノノケノダンス」のリズムに乗りながら、陽気にランウェイを闊歩する姿が印象的でした。

Mourning collection - gege

2017年、東京都庭園美術館の園内で行われたショー「After Wars」。タイトルの通り「戦争の後に残されたものたち」をテーマにしたショーでしたが、死者の横たわる棺桶には花が敷き詰められ、モデルたちは髪かしらに花を挿し、赤い防災頭巾を被った子供たちが鎮魂のベルを打ち鳴らしながら行進し、戦火の中で傷つき、命を落としていった死者たちへの祈りが会場を包みこんでいきました。

10th collection - After wars

2018年の展示「For Witches」では、魔女の結婚式をテーマに、日頃は薄暗い片隅に追いやられて漆黒の装束に身を包んでいた魔女たちが、この日ばかりはと純白のドレスを身に纏い、これまで祝われることのなかった姿を来場者にお披露目していました。

11th collection - For witches

2019年、上野恩賜公園の噴水広場で執り行われたショー「After All」では、大荷物を肩にかついだ魔女たちが、やわらかな月明かりに照らされて、裾を引きずりながら噴水池の水面を渡っていきました。その姿はどこか、重荷を背負って海を渡る難民たちの姿を思わせるところがありました。

11th collection - After All

妖怪、死者、魔女、難民。

2016年を皮切りに山縣が立て続けに発表したコレクションのモデルに共通しているのは「この世界から居場所を失った存在」だという点です。住み処を追われ、生存そのものを脅かされ、ほとんど顧みられることもなく、この世界から忘れ去られようとしているものたち。そうしてこの世界から居場所を失い、どこかに彷徨っているものたちを、どこかに立ち去ろうとしているものたちを、ファッションの力で慰め、励まし、力付けようとしたのが、2010年代後半からの山縣のファッションなのだとぼくは感じています。

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妖怪、死者、魔女、難民。

それは、社会という鏡に映し出された山縣自身の姿でもあります。山縣は、鳥取の片田舎に生まれ育ちました。子どもの頃は勉強ができず、コミュニケーションも不得意で、いじめにも遭いました。自分に自信が持てず、コンプレックスにまみれた少年時代を過ごしていたといいます。

そんな山縣は、コンプレックスまみれの自分を覆い隠すために、ゴミ収集のアルバイトをして大阪まで買いにでかけたファッションで身を包むようになり、やがてはデザイナーを目指すようになって、紆余曲折を経たのちにロンドン芸術大学セントラルセントマーチンズ校への入学を果たします。

そしてそこでは、日本では常識外れといって認められなかった山縣のアイデアが、余人には真似ようのない山縣独自の個性として認められ、尊重され、評価された。日本では「0点」を付けられていたアイデアが、自分自身の存在が、その底を突き抜けたところで新たな意味と価値を帯びていきました。

山縣は、それまで感じたことのなかったような自信が腹の底から湧いてくるのを感じていたと思います。それは、100点になれるという自信ではありません。そんなふうに点数を積み上げていかずとも、自分は「0点」のままに生きていいんだ、「ここ」にいてもいいんだという、自身の人生を根底から肯定するような自信です。

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そのような山縣のパーソナルヒストリーを発露するかのごとく、2009年に挙行されたのが「0点くんたちの卒業ファッションショー」(2009-10年秋冬/原題「graduate fashion show - 0 points -」江本訳)でした。

山縣は、故郷の鳥取に傷心帰省する夜行バスの中で物思いに耽っていると、ふと0点をとった過去の自分を思い出し、そこから0点のテスト用紙をキャラクター化した「0点くん」の物語があふれ出してきたといいます。勉強のできない0点くんは、好きだった78点さんに告白するも振られてしまい、花丸の花束をプレゼントした85点くんに取られてしまう。2点くんや5点くんといった悪い友達はくしゃくしゃに丸められてゴミ箱に捨てられる。居場所を見つけられず絶望した0点くんは、ふと自分が紙飛行機になれることに気がついて、どこかに飛んでいってしまいます。そこにはロンドンに旅立つ際の山縣の心情が投影されています。

「0点くんたちの卒業ファッションショー」では、美術や服飾の学校で捨てられていた廃材、ゴミ、クズを素材にショーピースが構成されました。くしゃくしゃに丸められた答案用紙でいっぱいになった「ゴミ箱ルック」も登場します。

4th collection - graduate fashion show

0点の素材から作られた0点の服を着て、ゴミ箱一杯の答案用紙——0点くんたち——とともに、0点のままに卒業していく。そのようなショーを山縣は、東京コレクションという晴れやかな舞台の大トリで断行したのでした。そこには100点なんて取らずとも「0点」のままに学校を卒業できるのだという山縣の矜持と、この世界からうち捨てられたものたちへの優しい眼差しとが折り重ねられています。

言うまでもありませんが、この「0点くん」こそは、山縣の心の奥底に埋もれていた「内なる私」です。山縣は、言葉を紡ぐこと、服を作ることを通じて、自分の中に埋もれていた「まだ見ぬ私」との再会を果たしました。その「0点くん」が、ときを越えて社会と共振しはじめて、妖怪、死者、魔女、難民となって姿をあらわした。この世界には——かつての山縣自身のように——この世界に居場所を感じられずに打ちひしがれているものがいる。そうした「0点くん」たちに「ここにいてもいい」んだよといってあげること。それが、2010年代後半からの山縣のファッションの本質だとぼくは感じています。

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自分の知らない所で泣いていた私。笑っていた私。怒っていた私。喜んでいた私。

自分が何気なく選んだ色、形、言葉の由来を探っていると、ふと、そんな「私たち」と再会できる瞬間があります。自身の来歴を辿ること、作品を作ること、言葉を紡ぐことを通じて、自分でも知らなかった無数の内なる私たちと出会いなおしていく。そうして見いだされた「心の内なる人間像」を核として、社会へと開かれた「新しい人間像」を創造し、その装いを織り上げる。それが「ここのがっこう」のファッションの核心だと思います。

そして実をいうと、私は、私一人では、私に再会することができない。

だから「個のがっこう」ではなく「個々のがっこう」であるということ、そして山縣が2020年頃から試みている土地に根ざした「ここ」のファッションについてもお話ししたいところなのですが、残念ながら今日はそこまでの時間がありません。そろそろ作家の川尻優さんにバトンを渡したいのですが、その前に、本日3回目の質問をしておきたいと思います。

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すでに想像のついている方もいらっしゃるかとは思いますが、3回目の質問も「織りとは何か」となります。ここまでの話を受けて、1回目2回目とはまた異なる感触をそこに感じられるかと思いますので、改めてその違いをよく味わってみてください。

その間に、松葉舎の学問について少しだけお話ししたいと思います。学問という言葉から私たちはつい「学び」という言葉を抜き出してしまいがちなのですが、ぼくは学問にとっての本質はむしろ「問い」のほうにあると思っています。ぼくたちは何かを学ぶ前に、まず問わなければならない、というよりも、問わずにはいられない。

けれど、一人の人間がその人生のなかで本当に関心をもって取り組める問いは、そう多くはありません。あれもこれもを問うのではなく、片手に数えられる程度のわずかな問いをぎゅっと握りしめて、人は生きていく。

たった一つの問いを携えて生きていく人生だってあるでしょう。しかしその問いは、言葉としては同じものであったとしても、人生の成り行きの中でじわじわとその表情を変えていきます。同じように「織りとは何か」「ファッションとは何か」を問うていても、その問い方が、そこから染みだしてくる思考が、少しずつ移り変わっていく。そうして問いが深まっていく。とともに、織りとの、ファッションとの関係もまた深まっていく。

学問にとっては「問い」が大切だといいましたが、それは決して何もかもを闇雲に問えという意味ではありません。たった一つの問いでもよい。自分にとって切実なその問いを、自分の人生の道行きのなかで一歩一歩深めていくこと。それが、松葉舎の学問で目指しているところです。

今回の講演では、そのように問いが深まっていく過程をこの数時間でなんとか体験してもらえないかと策を練り、敢えて同じ質問を繰り返すことを試みました。4回目の質問もやはり「織りとは何か」となりますが、川尻さんの講演のあとで改めてみなさまに投げかけてみたいと思います。そこから質疑応答に移りましょう。ぼくの質問に対する、みなさまからの応答の時間となります笑

川尻さんは「ここのがっこう」と松葉舎のダブルスクールでファッションを学び、機を織ることと言葉を紡ぐことの双方を通じて、「織りとは何か」を問い続けてきました。そんな川尻さんの真摯な問いかけの姿勢が、機織り町のみなさまとどのように共鳴するのかを楽しみにしております。

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