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狛狗のあしあと
2024年5月12日 11:06
成長しても、大人になっても、離れて暮らしても、死別してもべったりと張り付く「憎い母親」の存在。 思い出しても沸き起こって憎しみを消すことが出来す頭に張り付く。そしてリアルに蘇る。そんな親子関係を私は経験したことがないため、全てを理解することは出来なかったけれど、(この先はフィクションだと思って読んでください🤗)今朝のお勤めでついに現れた。突然の咳込みに襲われ吐き出す。あ、来た
2024年5月12日 05:22
死の際にその人の人生と生への欲求が生まれる。死ぬ気があるなら一度死んだつもりで生きろ、なんていうけれどもう限界まで来た人がそこに向かうだろうか。死を目の前にして、もしくは一度死んだかもしれない状態から、時間を巻き戻されたのか、はたまた生かされたのか。神仏は独り立ちのためのサポートはしてきた。サポートが当たり前ではない。サポートはサポートなので当てにしてはいけない。しかし、ここぞというときはサ
2024年5月9日 19:27
私の父は幼い頃、がんで亡くなりました。まだ幼かった私は父親を「父親」としか理解できなかったし、1人の人間だという認識は当然もっていなかった。「お父さん」という存在は「お父さん」なのだ。 大人になってから母親と父の話をすることが増えた。それも最近。母から見た父は1人の人間であり、1人の男性なのだ。そんな母から見た父という人間は、とても弱い人間だったのだろう。母のほうが気力も現実を見て行動に
2024年5月4日 07:09
柴燈護摩に行くと観客の様々な表情をみることが出来る。歳を重ねるたびに、自分の成長の目線ごとに見える景色が変わる。見る側の意識が表面に現れている。柴燈大護摩供は野外で行う大規模な法要で、道場を作り、大きく燃え上がる炎の中で、火渡り修行が執り行われます。自分は毎日火を渡ってます!なんて人はなかなかいないだろう。人生に一度、生脚で火を渡る機会があるかといえば火事にあったとか、救急隊や消防士