見出し画像

2050年 83歳の挑戦 房総半島沖大震災を越えて【2050年の大多喜無敵探検隊-03】

 車は、モーターの振動をわずかに響かせると、私の実家があった場所から、まるで氷の上を滑るように静かに動き出した。
この権現坂通りは一方通行なので、もう一度この小さな旧市街をぐるりと廻って、今度は千葉銀行のT字路から右へまがり、そこから一気に県道伝いに大原を目指そう。
確かこの道は‥、房総半島沖大震災ぼうそうはんとうおきだいしんさいの影響を受けていないので、昔のままの風景だったな。

 車は、その千葉銀行前の交差点で信号で停まった。
白い千葉銀行の低層ビルが正面に見える。しかし建物には灯りはない、銀行の看板も既に撤去済だ。外観のくたびれ具合からも、実店舗が抜けて大分時間が経ったようだな。
人口減少に伴って、銀行窓口は日本中でみるみる閉鎖された。今ではどこの銀行も、ネット上の取引に置き換わって久しい。
そんな大手の金融機関でさえも、実店舗は都道府県に一つあるかないかの時代だ、大多喜に実店舗があるわけないよな。
そういえばレディ、実はこの千葉銀行にも、勇一との思い出があるんだよ。
当時の私は、銀行に拳銃のようなものを持ち込んだら本当に捕まるのかを試してみたくなってね。その少し前にニュースで聞いて、純粋な好奇心から、どうしてもやってみたくなったんだよ。
そこで勇一と相談して、私は銀玉鉄砲を、隣家の勇一は金属バットを手にして、2人でこの千葉銀行に突入したんだ。
でもなぁ、この通りに町は狭いし、さらに父の仕事の新聞記者ってのは大多喜では珍しいようで、その息子の私の顔も思いっきり割れててね。突入したはいいが、警備員と女性行員にすぐ個人特定されちゃって、挙句に「千葉日報の息子さん、今日は貯金しにきたの?」って聞かれちゃったんだよ。
いやはやあのときは恥ずかしかったね、もう私と勇一は顔が真っ赤でな、だから仕方なく社会見学に来ましたって言ったんだ。
我ながら、銀玉鉄砲と金属バット持って、何が社会見学だよって思ったよ。
そんな私の思い出話に、車のAIと同期中のレディはクスクスと笑いはじめ、車内のスピーカーを通じて話しかけてきた。
「マスターは本当にやんちゃなお子さんだったんですね。しかも勇一さんもご一緒にオモチャの鉄砲と金属バットですか、当時から大変気が合ってらっしゃって‥、うふふふふふ」
レディは続けて
「私も本日、久しぶりに彼にお会いするのが楽しみになりました‥ふふふ」

 信号が変わり、車は千葉銀行の脇を抜けるように右折した。子供のころによく通った2軒の駄菓子屋の跡地を横切り、続いて赤い外廻橋とめぐりばしを抜けて、圏央道の鶴舞インターから続くバイパスの十字路を突っ切る。旧市街の実家跡に寄らなきゃ、ここで左折したんだよな。しかし私の実家跡からここまでは、車だとあっという間だ。運転するのが億劫だが、車はつくづく便利なものだよ。‥まぁそういう私自身が、今日の運転は終始レディに任せっきりで偉そうなことは言えないんだけどね。
第一彼女はこれだけ運転が上手いんだ、せっかくなので最後まで任せたい。それにこの車は田舎道を走るには大きすぎる。83歳にもなるポンコツじいさんの私が運転したらすぐぶつけそうだ、ちょっと怖いよ。

 そのまま車は、大多喜女子高があった雷台いかづちだいを抜けると、40km/hの法定速度を維持したまま、大原を目指して国吉方面に向かう。

(いすみ市増田 2050年では外房市増田の田園風景 無人のトラクターが農作業している)

房総丘陵の大多喜を抜けると、しばらくは田園地帯が延々と続く。
水が引かれた水田では、そこかしこで無人のトラクターが田植えをしていた。これら無人のトラクターは、衛星からのGPSで正確に位置情報を把握し、さらにAIと遠隔操作で機械的に田植えを行っている。きっと近くに、この辺りの水田を管理する農業法人があるはずだ。そこの涼しい部屋で、管理者たちがモニターを眺めながらトラクターの仕事っぷりを常時監視し、必要であれば遠隔操作をしていることだろう。
実はこれから会う勇一も、この手のことを大原の山田地区でずいぶん前から行っている。ここの持ち主も彼に聞いたらすぐわかるだろう。
あぁ、今の時代じゃ大原の山田とは言わないか。ちょっと前までは、いすみ市の山田、現在は外房市の山田だ、いすみ米というご当地ブランド米が旨いところでホタルの里もある。蛍は大多喜の実家でも、よく夜中に飛び込んできたが、当時の私は全部キンチョールで撃退していたな。思えば私は、風流さのかけらもない少年だった。
そうだ!まだ新米の季節じゃないけど、せっかくだから今日も少しもらっていこうか?でも勇一ははケチんぼ爺さんだから、私からもきっちりお金を取ろうとするんだ。そのわりには人に借りたお金はさりげなく踏み倒す。何度かそれで私からの借金をうやむやにされた記憶があるぞ。
今度は私が「後払いする」といい、そのまま踏み倒してやろうかな。

 車は、国吉の町なかに入る直前の踏切で遮断機に引っかかった。
いすみ鉄道はローカル線で便が少ない、それで遮断機に捕まるのは中々確率的にもめずらしいことだ。
ぼんやり踏切を眺めていると、警報機の音に続いて、たった一両だけのディーゼル列車がやってきた。
それはキハ20-1303だった、まだ現役なのか凄いな。それに今もディーゼルエンジンというところがなんとも郷愁をさそうじゃないか。
この車両は2015年ごろに、いすみ鉄道の名物社長だった鳥塚さんが導入したものだ。わざわざ国鉄時代の気動車に似せて作られた当時の新型車両で、自動車みたいにサイドミラーが付いたレールバスとも呼ばれるワンマン列車だ。当時、私はちょっとしたご縁で、このお披露目会に参加させてもらったんだよな。懐かしいなぁ‥。

(キハ20-1303 いすみ鉄道の2015年製造の気動車 昭和の写真ジェネレータ(仮)で加工)

あの頃のいすみ鉄道沿線は間違いなく輝いていた。お陰で私の故郷の大多喜町も全国に名が知られることになり、私も出身を聞かれた際などに「いすみ鉄道の大多喜ご出身ですか!」と言われ、少々照れくさくも嬉しかったものだ。
ただ、彼が任期を終えて大多喜を去ったあとは、ここはまた昔のように一気にしぼんでしまったっけな。なんというか、まるで夢から醒めたかのような感覚になったんだ。
でも彼がこの大多喜で私たちに見せてくれた地に足の着いた地域振興、地方創生の効果が、今の私の、故郷での事業展開の原動力のひとつになっているのだろう。
しかし一番の動機は、やっぱりこの故郷一帯を襲い、海岸線を中心に幾つもの町をボロボロにした房総半島沖大震災と、その復興を信じ熱意をもって励んだ地元の人々、そんな中でも死んだ弟と同級生だった地元の議員さんの強い思いに動かされたのだと思う。
これがなければ、私は疲弊する一方の房総半島で、わざわざ新しいことをやろうなんて思わなかったはずだ。
第一私は既に大多喜を離れ、半世紀以上も市川市に住んでいる。半世紀どころじゃないな、今年で確か65年目だよ。大多喜にいたときよりもはるかに長い人生を市川市の行徳で過ごしている。
それに元々私は小さなIT関連会社の代表取締役で、ひとまずは何とかそれで喰ってはいけてたし、60歳を過ぎたらセミリタイアして、あとはお気楽にやればいいかな、ぐらいに考えていたんだ。
でも私は、あの20年ちょい前の大地震のせいで、結局リタイアするタイミングを失ってしまったようだ。

(外房市勝浦の部原海岸に押し寄せる津波)

 この外房市一帯は、今から四半世紀ほど前のあの大震災の頃がもっとも悲惨だった。あの大地震で、外房市を含む海岸線の町がほとんど壊滅してしまったんだよ。
千葉県東方沖を震源とした房総半島沖大震災の揺れは、最大で震度6強だったが、とにかく津波がひどすぎた。最大20m、一部では40mにも達したという大津波が何度も何度も押し寄せて、外房市や安房市、九十九里浜一帯の海岸線をきれいに吞み込み、瓦礫の風景にしてしまったんだ。
またタイミングが悪いことに、地震発生時はちょうど夏の海水浴シーズンだったので、人的被害もずいぶんひどいことになった。
この地震で最も被害が大きかった千葉県だけでも、確か死者は8,000人、行方不明者も同じぐらいだったように記憶している。
特に外房市周辺では震源がそれほど離れていなかったため、緊急地震速報が出てまもなく津波が押し寄せてきてしまい、まったく非難する時間がなかったことも甚大な被害につながった。

(津波の被害にあった外房市勝浦の中心部)

そこに追い討ちをかけるように長くしつこく続いた地殻変動が、これまたひどかった。余震を含めた度重なる地震の揺れで、地下の天然ガス層、南関東ガス田からガスを含んだ泥水があっちこっちで盛大に溢れ出るようになってしまい、房総の中央部、一宮茂原市いちのみやもばらしを中心に、急激な地盤沈下が始まったんだ。
さらに関東フラグメントもこの揺れの影響で南側の一部が沈み出し、その結果、千葉県を南北に分ける割け目が出来てしまった。
まったく弱り目に祟り目とはこのことだろう。
地割れは外房市の隣、九十九里の一宮川河口から一宮茂原市の南部を貫き、千葉市と市原市の境目まで伸びて、そこに最終的に海水が入り込んで外房と東京湾が海で繋がってしまったのだ。

(一宮茂原市長柄支所付近の県道13号に出来た大きな亀裂、やがて海水に満たされることになる)

‥とはいえ、ほとんどが汽水域で、見た目もせいぜい二級河川と変わらない程度だが、陸地が割けて海になるという、有史以来まったく前代未聞のこの地殻変動が、しかも日本の首都東京の隣の県で起きた事実が、世の人々に与えた恐怖は計り知れない。結局この地殻変動は、大震災後も地味にじわじわと続き、ようやく10年目にして落ち着いた。
またこの地殻変動はまれにみる珍しい現象だったことで、世界中で千葉県が有名になった。世界的に千葉県が知られるなんて、チバニアン以来じゃないか。
ただし観光客は目にみえて減った。この地を離れる人も日に日に増えて、過疎に一層の拍車をかけたんだ。
おりしも全国で地震や台風などの大きな災害が立て続けに起きていた時期で、さらに第三次世界大戦の真っただ中で輸出入も安定せず、日本中が不況に喘いでいたころだ。2050年の今じゃ考えられないぐらいに日本は、特に被災地だったこの地域は疲弊していたよ。
そんなご時世だったこともあって、千葉県の災害復興は一向に進まなかったんだ。
そうそう、あの戦争じゃ、東京の霞が関や国内の米軍基地のいくつかにも、ロシアや中国から巡航ミサイルが飛んできたんだよな。ミサイルは核じゃなくて助かったが、‥まったく散々な時代だった。
そのせいで東京への一極集中問題が再燃し、地方分散は多少加速したけどね。でもここは大地震の痛々しい被害のせいか、はたまた半島地勢のどん詰まり経済だからか一向に移住者は増えず、ますます減る一方だったな。

 しかし、そんな状況から這い上がろうと、房総半島や、房総に縁のある人たちは、必死になって今日まで頑張ったんだ。そこに私も見事に巻き込まれて現在に至る。
震災復興の筆頭に立っていたのは外房市の県議会議員の小路正和こうじまさかずさん、彼は今では内閣の大臣さんになっている。
そんな彼は、私の死んだ弟、國男の高校の同級生だったことで、その縁から私の外房市での新たな事業についても、それぞれスタートアップ時からずいぶんとお世話になった。

まぁ実をいうと私は、そんな小路さんや、彼と一緒に震災復興を目指す熱い市議会議員さんたち数名に、震災後しばらくしてから力を貸してほしいと誘われたんだ。
もちろん誘われたのは私だけじゃないよ。彼ら地元の議員さんたちは、故郷を離れて他所で会社をやっているような人を一人一人と探し出しては、地道に足しげく通い、声をかけていってたようだ。そして私のような小規模事業者もこぼすことなく探し出して、わざわざ熱心に声をかけてくれたんだ。ようは故郷の外房市で事業をやってくれ、雇用と需要を生み出してくれってね。
でもね、あの当時の私なんぞ弱小零細IT屋なんかに声をかけてもね、借金はあれども力なんてないし、足手まといにしかならないよと思ったんだ。あれは私が60歳になるかならないかのことだったよ。
それに誘われたといったら聞こえはいいんだけどね、今思えば、あれは半分脅迫だったよな。
佐奈田さなださんは、苦しむ故郷を平気な顔して見捨てられるのですか?あなたはそんな薄情な人だったんですか!」
さらに國男くにおくんが生きていれば、きっと私たちと一緒に頑張ってくれたはずです!」とね。

(外房市の県議会議員、小路正和氏 後に内閣に入閣しました)

故郷を見捨てる云々はともかくだ、死んだ弟を引き合いに出すのはキッタネェよなぁー反則だよ。しかも気合い入った涙目で言われたらさぁ‥。
今思えばなんで「小路さん、うちの弟はそんなこと言わないよ!」と言い返せなかったんだろうか。振り返ると一度も言ったことなかったよ。
そして小路さんは、その後もわざわざ市川市の私の家まで何度も訪ねて来てくれたんだよ、決まって霞が関に災害復興の陳情をしにいった帰りに、わざわざ高速道路を降りてやってきたんだ。それもノンアポ、いきなり突撃してくるんだ。正直、私は途中から恐くなったね。
もうね、最終的に私は、首を縦に振るしかなかったよ。
第一、県議会議員の小路正和さんは、昔っから随分と気のいい大男だ、弟と仲が良かった高校生の頃も知っている。
あんな男に男泣きで頼まれちゃったら、そりゃーさすがに断れない。
それに震災後に初めてうちを訪れたときの、あの久しぶりに会った彼の、やつれて焦燥しきった顔は今でも忘れられない。
‥いやはや、まいったまいった。
まぁ政治家さんに呑み込まれた瞬間だったね。
でも今の私は後悔してないよ、かえって私の残りの人生の新しい目標を作ってくれたんだ、
小路さん、そして市議会議員の久我さん、魚地さん、本当にありがとう。

 そんな私が故郷復興の大義名分を掲げて始めた房総の地方創生事業、その記念すべき第一弾は都会人向け火葬場事業だった。私は都市型葬斎場そうさいじょう事業と呼んでいるけどね。
高齢化と都市部の火葬場不足に対処するべく、外房市と睦沢むつざわの間の山林地帯、外房市須賀谷すがや地区に、24時間稼働の火葬場を、‥いやいや、葬斎場を建設したんだ。
主なターゲットエリアは、火葬場が足りず慢性的に火葬待ちのバックオーダーを抱える東京都内や千葉市などの都市部と、その近郊の人口密集地域。都会向けにリタイア世代の運転手と霊柩車を大量にそろえ、さらに地元の議員さんや自治体の支援、宣伝も貰えてスタートしたんだが、これが思ってた以上にうまくいってね。
その結果、用意していた20台の霊柩車でもすぐ足りなくなり、バタバタと外房市で人材募集と霊柩車探しだよ、まったく嬉しい悲鳴だった。
おかげさまで葬斎場建設のためにいろんなところから借りたお金も、とっとと繰り上げ返済出来たんだ。

(葬祭場内には108基の火葬炉が整然と並ぶ)

やがて予想以上の都市需要にこたえるべく、徐々に火葬炉を増やして稼働率もあげていき、最終的には炉の数は108つにまでなった。ここまでの規模は、国内では前例がないということだ。
108つの炉の数は、もちろん仏教の百八つの煩悩にあわせて作ったのさ。

そんなうちの葬斎場を訪れる霊柩車の数はちょっとすごいぞ。一日に大体500から700体近くの仏さんがここで荼毘だびに付すのだ。次から次にやってくる霊柩車の車列が不気味すぎると、一時は全国ニュースでも話題になったほどで、やがて圏央道自体が霊柩車通りなどと、たいそう縁起でもない呼ばれ方をされるようになり、終いには高速道路の管理団体NEXCO東日本から正式にクレームが入ったほどだ。
なんでもイメージが悪いので改善してほしいって言ってきたんだよ。
何を改善しろっていうんだ、霊柩車を赤や黄色に塗ればいいのか?それともトラック野郎の一番星みたいにギンギラギンに電飾でもつけたらOKか?
逆に毎日これだけの数の霊柩車で高速道路をさんざん使ってやってる大口顧客なんだ、感謝してほしいぐらいだ。たまには菓子折りぐらい持ってきてくれたっていいんだぞ。
私は当然、彼らNEXCO東日本のクレームを無視した。

(都会から高速道路でやってくる霊柩車の車列 壮観ですが、まぁ傍目には不気味ですよね)

そんなうちの葬斎場周辺では、都会からやってくる遺族の懐を当て込んで、自然発生的に飯屋や宿泊施設などが幾つも出来たし、疲弊する地元の葬儀場や墓地、お寺も友好的に取り込むことができて「火葬場から墓場まで」のビジネスフローが確立できたんだ。
キャッチコピーは
都会でがんばった仏さまを
永遠の静寂の地、房総で癒しましょう
安心安全の永代供養
‥だ。
人は誰でもいずれは死ぬし、人口密集地なら常に一定数の死者が自然に出る。潜在顧客のベースがこの通りしっかり揺るぎないので、この事業は今でも当初の見込み通りに安定した収益を生み続けているし、利益以上に十分に人助けになっていると自負している。
なにより過疎と房総沖の震災で疲弊したこの地を十分活性化できているじゃないか。地元からは何十人も雇用をしているし、さらに私自身は一切頼んでもいないのに、飯屋や宿泊場が幾つも近隣に出来たしな。今では葬儀に関係ない近隣住民までが、日常の食事や買い物をしに来ているよ。私は地域経済に立派に貢献をしていると思うんだがね。

(巨大な葬祭場の外観 地元の人たちには「死の商人の佐奈田城」と呼ばれているそうな‥)

しかしそれでも古くからの住民には、相変わらず私は良い目で見られていないようだ。まぁ彼らからすればオレたちの故郷は都会人の墓場じゃないという論法だ。挙句に私を死の商人呼ばわりする御仁もいたぐらいだ。
死の商人かぁ、まるで私が大量破壊兵器でもどこかの国の独裁者に売りさばいているようじゃないか。
あれにはまいったね。

まぁ夢やロマンからは著しくかけ離れたビジネスではあるし、縁起でもないと毛嫌いする人も中にはいるような業種ではあるのは認めよう。でも間違いなく必要ではあるし、現に大いに世の中に役立っているし、地元も十分に潤っている。
おかげでこの事業は年々規模を大きくすることができて、その資金力を元に、私はさらに他の新しい事業にも手を出しやすくなったんだ。

 そんな地方創生事業の第二弾は、一人世帯の老若男女や、結婚をしない独身男女向けの介護アンドロイドの製造販売、今度は夢もロマンもたっぷりだ。子供のころにアニメで見た新造人間キャシャーンのアンドロ軍団も、さぞや驚くに違いない。
私はその工場設備を、大多喜町の船子に作ったんだ。この船子一帯には地方自治体が運営する住宅地計画があったのだけど、人口減少のためか思ったように土地が売れず、そこで区画の一番隅っこをまとめて借り上げて自社工場施設を作ったというわけだ。
アンドロイド製造販売だなんていうと、なんだか私がものすごい偉業を成しえた成功者のように誤解されるかもしれないが‥、実のところ、今の時代じゃアンドロイドの製造販売なんて特に目新しい事業じゃない。
現在のロボット技術は、量子コンピューターとAI、もっというとAGIASIの進歩に引っ張られる形で高性能化がめざましく、とうの昔から人間の知能や運動能力を凌駕している。そんなロボットやアンドロイドは、まさに新しい「人類」と呼べるだろう。
また各部ボディパーツも国際規格が統一されたことで細分化や特化が進んだ。それらをコストや目標性能を踏まえた上で、ユーザー好みのアンドロイドに組み上げるというものだ。あとは用途に応じたデザインや質感、そしてオペレーションシステムなどの、ようは味付けの違いじゃないだろうか。
ちょうど私が若かったころに、秋葉原でせっせとパーツを買い集め、パソコンを安く組み上げてたのと同じ要領だ。

(汎用型の介護アンドロイド生産ライン アンドロイドがアンドロイドを作ってます)

そのうえで私の会社では、建設作業用や工業労働系のロボットではなく、あくまでも人間のパートナーとして、人と共に過ごす介護系の人型ロボット、つまりアンドロイドを作っている。
それゆえに出来る限り人間と変わらない姿や喋り方、身のこなし方が重要になる。うちの最新版ではとことん人に近づけるために、心拍音や呼吸、体のぬくもりや触れたときの感触だけじゃなく、アンドロイドの設定年齢や性別に伴った「体臭」も人工皮膚の表面から発散するように作られている。
そう、人間以上に人間らしさを目指しているんだ。
ただしその完成重量は、運搬やメンテナンス時の効率性から、標準的な人間の体重より、ずっと軽めに作っている。例えば身長160cmの女性なら、その重量は30kg以下だ。生身の人間ならダイエットしても中々出せない体重だし、逆に何かの病気が疑われる体重だよ。
そしてもっとも大事な部分、思考能力や判断力については、それぞれのアンドロイドから逐次データを集めて一旦ASI、つまり人工超頭脳で精査分析されたあと、個人情報をクリーニングした上で、今度は稼働する全てのアンドロイドたちに経験値として共有される。この図式は、心理学者のユングが唱えたものに似ているな、潜在意識化の集合知と同様のものが、私のアンドロイドたちにはあるということだ。
結局のところ、アンドロイド製造販売事業も、その見た目の美しさや性能だけじゃなく、内に秘めた「心」のようなものが昨今では差別化につながってきており、この辺りではうちのアンドロイドは、とても「人間らしい」「安心できる」と定評があるのだ。
そんな介護アンドロイドの製造組み立てラインを、大多喜町に建てて既に10年が経つ。
本当は私の実家があった大多喜の旧市街に建てたかったんだがね、まぁ古くからの地主たちが嫌がってね。そこで川向うで、その昔は古戦場だった大多喜町の船子になったんだ。
でも結果的にはこの場所で良かったと思うよ。ここは国道沿いで、物資の搬出搬入にも重宝している。歩いて行けるところにショッピングモールのオリブもあるので、社員たちにも受けがいい。
もちろん大多喜町での雇用促進にもつながっているし、当然のごとく市に税金もしっかり納めているぞ、‥赤字だけどね。
また、この工場では先の葬斎場以上に、定年でリタイアした人を中心に雇用している。うちの最年長は、私より年上の製造部ゼネラルマネージャーのキヨさんだ。キヨさんは確か今年で89歳だったな、ついこの前が誕生日で、工場で誕生日パーティをやるからと私にも呼び出しがかかり、今日のようにレディの運転でイソイソと来たんだったよな。
キヨさんは、なんでも毎日セカセカ働いていると若返るんだそうだ。そんなわけで、今日も彼女は嬉々として現場を仕切ってくれていることだろう本当にたのもしい。だから今日も私は邪魔しちゃ悪いし、工場には寄らずに帰るつもりだ。決してキヨさんに会いたくない訳ではないので誤解なきよう…。

(介護用アンドロイド 企画設計室の様子)

 そもそも、なんで私はアンドロイドを作ろうとしたのか?
2050年現在、この国には独身で暮らす男女は凡そ4,000万人もいる。日本の総人口の半分近い人が現時点で一人世帯なのだ。
中には私と同年齢になるまで、ずっと一人で暮らしている人もいる。
しかし人間とは、いくらどんなに孤独が好きな人であったとしても、決して一人では生きられない。そして、その心の奥には無意識に他者とつながりたいという本能があるものだ。
その他にも、一人世帯のままで重い病気を患い、そのまま誰にも看取られずに孤独に亡くなる人も数知れない。その昔は孤独死などと度々ショッキングな話題としてニュースで取り上げられた時代もあったが、今では当たり前になりすぎて、ご近所の話題にすら出てこない。
そんな現代の孤独な人々のメンタル面のケアはもちろん、毎日の介護や健康管理をさりげなくこなし、いざというときに然るべき機関に連絡ができる伴侶を私は作りたかったんだ。
だから手軽に身近に置いてもらえるよう、安い自動車一台分のお手頃価格で手に入るようにしたし、リース契約なんていう得々プランも考えた。
おかげで好評だよ、でも売れば売るほど何気に赤字なんだがね。
ちなみに私のアンドロイドたちの思考力の試作先行プログラムが、今この車のAIと同期しているレディだ。年寄りにもわかりやすいので昔ながらのAIコンシェルジュとは呼んでいるけど、実のところ彼女は、先のASIが、コンピューター本体からそのまま飛び出した表の顔みたいなものだ。
つまり彼女は、私の作るアンドロイドすべての母でもある。

そういやこの事業を始めて間もない頃は、私のアンドロイドたちを大いなるセクハラ歩くオトナのオモチャ存在そのものが卑猥などと、散々アダルト産業みたいに言われたんだよ。まぁ確かにそういう風にも使えるけどね。
でもその結果、私自身も世間にスケベ大魔王とか呼ばれたね、先の死の商人よりゃ幾分マシな呼ばれ方だけどね。
まぁでも、ユーザーたちのオーダー記録をみると、女性の場合は小学生や中学生の男女、つまり子供や孫タイプを好むのに対して、男性の場合は清々すがすがしいぐらいに皆が若い女性タイプを好む。それにうちのアンドロイドは夜の営みも余裕でこなす。この時点で男性ユーザーの目先の願望が丸わかりだよ。でも単純明快で、むしろ清々すがすがしいぐらいだ。私はいいと思うんだがね、第一生きているってそういうことだろう。
まぁでも世間はそんな好奇な目で面白おかしくうちのアンドロイドたちを見てたんだろうね、最近じゃ少しは理解されるようにはなったと思うけど、それでもまだまだそんな色眼鏡で見てる人は少なくないんじゃないかな、仕方ないね。だったら私は永遠にスケベ大魔王でかまわないよ、言いたいやつには言わせとけ、とね。
でも、そんなクソもミソも一切合切呑み込んだ、高貴で無様でどこまでも複雑怪奇な一人の人間の、その人生をささえる身近な存在っていうものが、誰にでも必要じゃないかと私は思うんだよ、
それがたとえ機械仕掛けでもね。

(高品質の介護用アンドロイド生産ライン 手前の完成品は白人女性タイプ「NAOMI」型)

そんな私の考えが、間違っていなかったと感じられるエピソードがある。
身寄りのなかったユーザーが、その遺産相続先や後見人として、この私を指名するケースが以外に多いのだ。
確かにどんなに可愛がったアンドロイドであろうとも、機械ゆえに遺産相続はできない。だから孤独死をした人は伴侶であるアンドロイドの親、つまり製造元のこの私を、私に許可なく大体一方的に遺産相続人や後見人に指定してくるんだ。
つまり、そこまでうちのアンドロイドを人生の伴侶と思って大切にしてくれたということなんだよね。実をいうと親兄弟でもない人から相続や後見人などに指名されると、対応がものすごく大変なんだけどね、でもこれもご縁と引き受けさせていただいている。
私は、そんな亡くなったユーザーのご遺体をもちろん引き取り、そして伴侶だったアンドロイドと共に、先の葬儀事業で連携しているお墓に手厚く葬らさせていただいている。その伴侶のアンドロイドにも感情はある(と私は理解している)ので、この先どうしたいかを直接聞き、どうしても新しいオーナーを探すのがつらい場合は、私は先の葬斎場や、大多喜のアンドロイド工場で働いてもらっている。

どうだい、うちのアンドロイドはすごいだろう。
自慢じゃないが生身の人間に引けを取らない自信がある。
人間の子供を産むことだけはできないけどね。
でもすごいだろう。
だけど赤字なんだよね。

 そして葬儀業、アンドロイド製造販売業に続く、地方創生事業の第三弾が、外房市の山田地区を中心にした大規模機械化農業を行う農業法人だ。これは私の幼馴染の勇一が社長で、この私は会長職という名の、いわば彼の財布係なんだけどね。
この事業の発端は、勇一の両親がこの大原‥、外房市の山田地区の出身で、先祖伝来の農地や親族が持っていた休耕田を、相続人が他におらず全部抱え込むことになって、それらをどうするかという問題にさんざん悩まされていてね、相続税も含めて税金だけでも大きな金額だったんだ。
あぁそうだ、税金問題のストレスでゲッソリくたびれた勇一が、妙に漫画みたいで滑稽だったんだよ、私は思わず笑っちゃったんだ。
やつはそんな私に、まるで子供のころのようにプンスカ怒ってたっけ。
そこで私は「ならばいっそ勇一が会社を作って農業をやればいい、土地を全部引き継げばいいじゃないか」と勧めたんだ。
笑ってしまった責任なのか言い出しっぺだからか、私はその農業法人の資金や機材調達の相談を受けることになり、そのうち地元の銀行をはじめ地方自治体、地元の議員の協力を得られるよう手をまわす役割で、この会社の会長職に就いた。
最初はずいぶんと物入りで、お金に羽が生えて飛んでいくような有様だったけど、それでも最近では黒字がぽつぽつと出るようになったんだ。
なによりこの手の産業は、日本の食料自給率の上昇を目指す政府や地方自治体からも期待されているので、融資や出資も取りやすくて非常に助かる。

一昔前の話だが、あの第三次世界大戦下の大不況や、戦争に伴う輸出入制限や規制などで、この国は一時的に飢饉のような状態になった。
ネット上では闇市のごとく食料品が法外な価格で取引されるようになり、政府が本腰を入れて規制をしたほどだったんだ。そりゃ規制しなきゃ国家存続にも悪影響が出る、21世紀にもなって百姓一揆でも起きたら大変だろうし、当然といえば当然のお上の判断だろう。
その後、政府は国内の食料自給率改善のために農地法の改革をはじめ、農業に関するいくつかの法規の改善に取り組み、短期間のうちに法人や未経験の個人でも、農業をはじめられやすいよう法律を整えてくれた。 そんな背景からか、外房市の自治体や地元の政治家たちの後ろ立ても取りやすくなり、葬儀業やアンドロイド工場を始める時よりも、それはそれは順調に話が進んで今日に至るわけだ。 ‥とはいえ、ここまで私はずいぶんお金をつぎ込んだんだけどね。第一ここまで何年かかったことか。
相手が自然だと、いくら最新技術を使っても中々上手くいかないもんだ。
儲かっている葬儀業からの利益が、この農業法人とアンドロイド製造業に喰われていたけど、こっちで少し黒字が出だしたんで、ようやくトントンって塩梅だよ。
まぁでもね、私もいい歳だ。あの世にお金は持っていけないし、これはこれで良かったのだろうと今は考えている。なにより私の死の商人スケベ大魔王イメージから脱却するチャンスでもある。

 すでに車は、寂れた国吉の町なかを通り過ぎて、新田野駅前にったのえきまえを通過、外房市の山田地区に入っていた。
勇一は、この機械化大規模農業が上手くいったことで、今度は調子に乗って大原のイセエビ漁やアワビ漁の漁業分野にも手を出そうとしているようだ。今日はそんな話を聞かされるのだろう。準備はもう始めているよ。
この地域特性を考えたら、とってもいい案だと思うんだ。房総半島沖大震災以降、過疎と高齢化もあって、このあたりは漁業も元気がなくなっていたからね。
勇一と始めた農業法人に続き、養殖も念頭においた漁業法人を立てて、この外房の海を昔のように元気にする、ここまで出来たら私は本望だ。これで私は故郷に胸を張って恩返しが出来るってもんだろう。
ただ、レディは早々そんな提案を許すかどうかだな‥。
農業法人がほんのちょっとだけ黒字になったとはいえ、まだまだ安定には程遠い。介護アンドロイド製造販売も、先の通り赤字を垂れ流しだ。葬斎場以外は基本的に儲かってるとは言い難い状態なんだ。
実は、レディは単なるお飾り秘書じゃなく、私の経営するそんないくつかの会社の、そのすべての管理をリアルタイムで行っている。彼女は仕事上でも私の大事なコンシェルジュなのだ。それゆえに、もちろん勇一の会社の情報も最新データまで洩らすことなくすべて把握しているし、さらに彼女の几帳面な性格から、常に忖度ない辛口の突っ込みで口を出す。
勇一は、そんな小うるさいレディのことが大嫌いで、しまいにはレディに阿鼻雑言、最後には差別発言やセクハラじみた物言いまでする始末だ。あげくは猿みたいに彼女にモノを投げつける。私はこれには毎度ながら頭が痛い。せっかく良いことを言っても、それじゃ台無しなんだ。
しかしな勇一、今日はそんなおまえに対して新兵器を持参した。
おまえははっきりいって昔から女に弱いよな、私は知っているぞ。そのうえで今回、レディの筐体きょうたいを用意したんだよ。いつものホログラムじゃないので存在感がまったく違うぞ、だから彼女にモノを投げてはダメだ。おまえはレディがホログラムだと知ってるから、いつも彼女にモノを投げつけるんだろう、でももう通用しない。そんなことしたら彼女は本気で痛がって泣くからな。
第一ああいう態度はあまりに失礼で、見ていて不快だ。おまえが機械仕掛けの幽霊とバカにするホログラムの彼女にも、人並み以上に豊かな人格や感情がある、それは制作者の私が一番わかっている。少しは尊重したまえ。

勇一よ、君は私の大切な同志なんだ。この故郷を盛り上げようと、元気にしようと共にがんばる、それこそ子供のころからの、あの大多喜無敵探検隊の一番の同志だ。だからもっと胸を張れるような人間になってほしいんだ。

(様々なウェアラブル端末に侵入し、主をどこまでも献身的にフォローする優秀な執事、最新のAIコンシェルジュプログラム「レディ」 ホログラム形態に続き、今回専用の機械の体を用意)

 ‥とはいえど、まぁ実のところは、私は今日のことだけじゃなく今後のことも考えて、自社製造ラインでレディのボディを特注で作らせたんだけどね。この先も他所の会合などにアシスタントとしてレディを同席させる際、今までのホログラムじゃなく実体があるほうが、色々と都合がよさそうだったんだよ。
あくまで私の感覚値なんだろうけど、実体があるのとないのでは、相手に与える説得力が大きく変わるように感じてたんだ。まぁ今のホログラムはよく出来ているので、見た目はどこまでも変わらないんだけどね、‥なんというか、人の潜在意識下ではホログラムだと察知されて、無意識に軽んじられているように感じてね。なんだか人間側の反応が微妙に違うんだよ。
また私がこの先、アンドロイドのレディを普段から連れまわすことで、介護アンドロイド業の宣伝にもなるのはまちがいないだろう。
ほんと、今回はちょうどよい機会だったよ。

だからといって、私の好みだけで自社ラインで特注アンドロイドを作るというのはだな、しかも若くて美人さんの女性アンドロイドとなるとだな、税理上はともかく世間体で色々リスクを背負うんだよコレが。そうでなくとも私は世間様から死の商人だのスケベ大魔王だのと呼ばれている。事実はともかく、少なからず社員たちの中にも私をそう思っている者がいることだろう。ここにさらに公私混同だと騒ぐやつが必ず出てくるんだよ。
現に大多喜工場で私の特注オーダーを引き受けてくれたキヨさんには、はっきりと大きな声で言われたよ、83歳にもなってこのスーパーエロジジィってな!
さらにちんちん虫とも言われたぞ。ひどいバァサンだ!
第一この年齢で、‥そ、そんな欲なんてとうの昔に枯れてるわ!
それよりなにより、キヨさんも御年89歳とはいえ女性だろうにハシタナイ、まったくなんてことをいうんだろうとびっくりしたよ。
しかしそれら想定しうる様々なリスクを承知の上で、今回敢えてレディのボディを作ったのだ。それもこれも勇一、まずは最初に貴様を屈服させるためなんだぞ、我ながら子供じみてるかもしれないがなワハハハハ。

(足立勇一氏の職場兼自宅の建物 100年ほど前の農家をモチーフにした現代建築)

 はてさて、ようやく勇一の職場兼住まいが田んぼの向こうに見えてきたな。途中寄り道をしたとはいえ、やはり市川市の私のところからここは遠いな。ほらレディ、あの大きな昔ながらの農家の屋敷が勇一の家だよ。実際のところ、昔ながらに見えるのは外観だけで、あくまで「昔風」に建てた現代建築だけどな。
よくよく見ると、子供のころによく遊びに行った同級生の農家の家と大分違う造りで、これが中々面白いんだ。強いていうならネオジャポニズムとでもいうんだろうかね、まったく勇一らしいこだわりだよ。

さぁレディ、そろそろ時間だよ。君の新たな体を起動してくれないか。
「OKマスター」
彼女が言葉を返すと同時に、後部座席のアンドロイドの首がスッと持ち上がり、瞳がアクアブルーに輝きはじめた。この光は、彼女のシステムが問題なく起動しているサインだ。
やがて瞳の色はいつものレディと同様に、魅力的な黒い色に落ち着いた。
彼女はこちらを向くと軽く微笑み、手を振ってみせた。レディ、上出来じゃないか。
いいかレディ作戦通りだぞ、最初に勇一と握手してやるんだ。きっとあいつ腰抜かすからな。

さぁパーティーのはじまりだ。


2050年 83歳の挑戦  房総半島沖大震災を越えて-編 


【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。

※関連記事

【2050年の大多喜無敵探検隊】
消滅可能性自治体 2050年の大多喜町へ-編

2050年 83歳の挑戦  房総半島沖大震災を越えて-編

【解説】
(※1)房総半島沖大震災とは、2024~2025年ごろに起きた大地震(私の空想です)。千葉県いすみ市の東沖10km地点と千葉県勝浦市の南東沖60km地点とを震源とするダブル海底地震。最初に勝浦沖で地震が起こり、間髪入れずにいすみ市沖でも大きな地震が誘発されて、千葉県の外房海岸線を中心に甚大な人的被害を出した。
(※2)南関東ガス田とは、千葉県を中心に茨城県、埼玉県、東京都、神奈川県の地域に及び、鉱床面積は 約4,300 km2、埋蔵量は7,360億m3、可採埋蔵量は 3,685億 m3と推定される天然ガス田。日本国内で確認済みの天然ガス埋蔵量の9割を占める。東京での生産も行われていたが、ガス採掘に伴う地下水汲み上げ(揚水)が地盤沈下を招いたことから採掘は規制され、現在は千葉県の茂原地区を中心とする九十九里浜沿岸部が最大の供給地区。
(※3)関東フラグメントとは、まだ仮説段階ではあるが、およそ200〜300万年前に太平洋プレート上の海嶺がプレートの下に沈みこもうとした際に、抵抗が増大して太平洋プレートが破断して生じたプレートの断片とされる。関東直下の栃木県南部から神奈川県北部までの地域の深さ30〜100km付近に、厚さ25km、100km四方にわたって存在しているとされる。その南端は千葉県千葉市あたりになる。現在は太平洋プレートがこの断片の下にさらに沈みこもうとしており、関東直下は4層のプレート構造を成していることになる。
(※4)チバニアンとは、約77万年前から12万年前までの地質時代を指す地層名で日本の千葉県に由来。この名称は千葉県市原市の養老川沿いの地層が、地球の地質時代区分の一つとして国際的に認定されたことからきている。地球の磁場は過去に何度も逆転しており、チバニアンの地層には、この磁場逆転の証拠が保存されている。
(※5)第三次世界大戦とは、この先に始まるとされる世界規模の戦争。今後も内容は詳しく書くつもりはないが、中東と東西ヨーロッパ、そして東アジアで同時に戦禍が起こるものと推測される。
(※6)外房市とは、現在のいすみ市、勝浦市、大多喜町、御宿町が合併して誕生した、房総半島南東部の市(私の空想です)。
(※7)安房市とは、現在の館山市、南房総市、鴨川市、鋸南町が合併して誕生した、房総半島南部の市(私の空想です)。
(※8)一宮茂原市はこの時代、茂原市を中心に、旧長生郡の一宮町、睦沢町、長生村、白子町、長柄町長南町を吸収する形で合併して誕生した、房総半島中部の市(私の空想です)。
(※9)千葉県議会議員の小路正和氏、いすみ市議会議員の久我 つかさ氏、魚地 展弘氏は実在の人物だ(熱い現役議員の皆さんたちです)。小路さんの許可は取得済みw。
(※10)AGIASIとは、ようはAIの進化系で、AGIは(Artificial General Intelligence(人工汎用知能)の略であり、さまざまなタスクに対して人間と同様の知識や能力を持ち、独自の学習や問題解決ができる思考力を持つ人工知能。本編中のアンドロイドは基本的にすべてAGIで動いている。
それに対しASIは、Artificial Superintelligence(人工超知能)の略であり、先のAGIがさらに進化したもので、あらゆるタスクや問題において人間よりも優れた能力を持ち、自己学習や自己進化により知識や能力を飛躍的に向上させ、そのうえ人間には解決が困難、もしくは不可能な問題でも解決策を見つけ出すことができる。物語中のASIは、アンドロイド製造会社に設置されているが、そのコンピューターから飛び出した表の顔ともいえるものが、実は本編中のレディになる。今回お話の中では、そのASIに直結するアンドロイドのボディが用意された形になる。
ちなみに2024年の現時点で度々話題になる「シンギュラリティ」とは、このASIの進化によって起こると予想される近未来の事態であり、その際、社会は多方面で大きく変化すると言われている。しかしこのお話の2050年では、とっくにシンギュラリティを越えている状態にある。
ではシンギュラリティとはなんぞや?なのだが、これは人工知能が人間の知能を超え、指数関数的に進化が加速する時点(技術的特異点)を指す。これにより、予測可能な未来が予測不可能になり、社会や科学技術は人間が理解できない速度で変化し、進歩すると言われて、多方面で恐れられている。

【2050年の大多喜無敵探検隊 趣旨】
先月、私の故郷、千葉県の大多喜町を含む夷隅郡市が揃いも揃って、2050年には「消滅可能性自治体」になるという分析結果が公開されました。この「2050年の大多喜無敵探検隊」は、いつもの私の昭和の子供の頃の実体験談とは異なり、2050年になった際に、故郷の大多喜町がどう変わっているのか、そして私自身どのように関わっていくべきかを様々な書籍の研究結果を元に書いてみた一種の「考察」と、私の「人生目標」というものです。日本国中、大多喜町のような消滅可能性自治体は、今後ますます増えていくと思われますが、その対策や向き合い方を、一個人としても目をそらさず、考えていきたいと思っています。

【2050年の大多喜無敵探検隊】

この記事が参加している募集

#ふるさとを語ろう

13,680件

#この街がすき

43,925件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?