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【雑記】20人をきった大多喜町の新生児、急速な少子化と2050年の無居住地化の懸念

 この2か月ほどの私は、第二の故郷「行徳」各地で行われた祭礼行事への参加やお神輿担ぎ手のお手伝いに始まり、地元小学校へゲストティーチャーとして行徳神輿(行徳揉み妙典流)の説明に何度か伺ったり、はたまた仕事関係で丁々発止スッタモンダしてたり、寒い中お神輿を担いで大声出してたせいか風邪をひき、これまた長引いたりしてバタバタしており、すっかりこのnoteアカウントの本題大多喜無敵探検隊の執筆(誰も期待してないぞ)が進んでおりません。
※お神輿の様子など私の日常はInstagramにユル~く載せてまーす
ウェーイ\( 'ω')/ウェーイ

そんな折、大多喜町の友人から、大多喜小学校や大多喜の子供たちの現状について詳しく話を聞く機会がありましたので、ここにメモ代りに共有させていただきます。

 でもその前に一旦私自身のお話です。
そもそも私は大多喜町で生まれたのではなく、お隣の安房郡の生まれで、昭和50年ぐらいまでは当時の家が安房郡、南房総市和田町に空き家で残っていました。しかし生まれてすぐに新聞記者の親の仕事の関係で大多喜町に入り、大多喜町の保育園→小学校→中学校に通いました。高校は大多喜ではなく、夷隅郡内の海っペリの町の学校に通学していましたが、それでも高校卒業までをこの大多喜町で過ごしております。
私自身そのような経緯があることから、実は今までずっと大多喜を「故郷」と言い切っていいのか疑問、‥というか自信がなかったのですが、つい先ごろ館山市出身の、とある方との故郷談義で「小学校と中学校を過ごしたところなら、それは十分故郷ですよ。地元の人とどれだけ繋がりがあるかです。」といわれまして、、
お陰様で大多喜町を「私の故郷」と呼べる自信がつきました。しかしここまで56歳になってようやくですよ、我ながらトンだ甘ちゃん野郎です。
ですのでこの先の私は、大多喜町が「故郷」、そして安房郡、南房総市和田町は「我が血と魂の故郷」と呼ぶことにいたしましょう!
(ちなみに我が父も母も安房郡出身、故に私の血は100%完全無欠に安房郡/安房国産)
そしてもうすぐ住んで40年になる行徳・妙典は今まで通り「第二の故郷」で決まり!
なにより Thank you very much! Mr.Hakari!

 あらためまして、そんな「故郷」大多喜町ですが、ここの本題大多喜無敵探検隊の時代、つまり今から46~47年前の時点で既に過疎と高齢化の町といわれており、それなりに問題視はされておりましたが、当時から行政をはじめ町民たちも、この過疎や高齢化に対しての具体的な対策は行ってこなかったと記憶しています。
でもまぁこればかりは当時の行政や町民を責める話ではありませんよね、いつの時代も、人は家族や友人、ご近所のため、そして仕事にと、みんなそれなりに懸命に生きているのです。日常に追われ、手前のことで精いっぱいになるのが悲しいかな普通の人間というものなのです。
でもそれから時は半世紀近く過ぎた大多喜町は現在、子供が減るどころか全然いなくなってしまいました。今年の大多喜町の新生児は20人をきっています。私が当時住んでいた役場の周辺、大多喜町大多喜地区に関しては新生児は全くおらず、この地区の最後の子供は現在高校生だということです(幼馴染のYの子か?)。
そんな現実からか、当時あれだけ賑やかだった子供会や青年会も、何年か前に相次いで解散してしまったと聞きました。
こうなってくると、もうまともに村祭りすら出来ない有様ですね、お神輿もおいそれと出せません‥。
なにかの統計で過去に目にしたことがあるのですが、神社仏閣を奉る人がいなくなって衰退すると、不思議とその地域の犯罪率や事故、災害などが目に見えて増えるので、出来れば意地でも維持していただきたいなぁ(ダジャレ?)。
そしてこれが一番のショック!
私が多感な時期を過ごした大多喜小学校も、あと5年もしたら夷隅郡市の別の小学校の分校になるのではないかといった話でした!
千葉県内の「町」では、最も広い面積を持つ大多喜町なのに、その町内全体での今年の新生児が20人以下なのです、そりゃー大多喜小学校の学区内の子供たちは20人以下なんてものじゃなく、もっと少ないことでしょう。

(大多喜町立大多喜小学校 撮影は1977年頃)

他の周辺自治体も同じような状況ですので、夷隅郡市、ようは大多喜町、いすみ市、御宿町、勝浦市の小学校や中学校は、そのうち一つに統合されちゃうんじゃないでしょうかね。
そういや国土交通省がこの前一般公開した資料2050年の国土に係る状況変化を見ても分かる通り、千葉県の圏央道から外側の地域、特に外房側は、2050年には無人の地域が増えるようで、私が昭和の昔に住んでた思い出深い大多喜町の役場周辺エリアも無人化(無居住化)予想エリアのひとつになってるみたい、これは中々キッツイ話です。

(2050年の国土に関わる状況変化 国土交通省レポート)
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001361256.pdf

 こういう話をすると決まって「そんなの大多喜だけじゃない、日本中だ!自分だけ被害者ヅラするな!」とか「ゆでがえる理論を知らなかったのか!まったく愚かな町民たちだ」なーんて寛容性の欠片もない無責任で冷酷な意見がSNSで飛び込んできたりするものですが、もちろん現在、この大多喜と同じように日本中の田舎では急速な少子高齢化・過疎化が進んでおり、どこも大変なのは間違いありません。ですが私は大多喜を故郷とする者の一人として、私の故郷の将来を憂いているのです、その時点で思い入れや論点が違います。
また「ゆでがえる理論」とは
「カエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまう…」 ゆでガエル理論とはこのように、ゆっくりと進む環境変化や危機に対応する難しさや大切さを説く言葉として使用され、時には「ゆでガエルの法則」「ゆでガエル現象」という表現もされる
‥でして、非常にもっともらしい論法ではありますが、この話は現在では間違いだと概ね否定されております。繰り返された研究の結果では、大抵の場合、カエルは水温が上がる過程で苦しくなって飛び出しちゃうんですよ。

 大多喜町もぬるま湯から飛び出すのなら、町を盛り上げるのならば、ひょっとしたらこの誰の目にも見える形で危機が目の前に迫る「今」がチャンスじゃないのかなぁ、ピンチは最大のチャンスなんです。何より人ってやつは背水の陣じゃないと人間力が全開にならないものです。
それに前出の国土交通省の手厳しい予測レポートは、所謂「予測」でしかありません。今のまま時が過ぎたらこうなるよってだけの話です。
なぁーに人ってやつは最後まで往生際が悪いもの、折角ですしジタバタしてやろうじゃありませんか、予測をひっくり返してやろうじゃありませんか!
大多喜のような悩みを抱える地方の市町村も多いことでしょう、みなさんお互い頑張りましょう、きっと出来る!信念岩をも通すのです!憂いているだけじゃ何も変わりません。
なによりこの手のことはヤッタモン勝ち!座して死を待つのは愚か者だと私は個人的に思います。
第一この手のお話は、きっと地元の鎮守様も応援してくれますよ!

(大多喜町大多喜地区の鎮守 大多喜八幡神社)

 【※追記】
2023年12月25日付の千葉日報紙面で、厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所による2050年時点での人口減少研究結果が発表されています。
2050年の大多喜町の人口は5,000人を下回り、4,498人だということでした。
ここのnoteの本題「大多喜無敵探検隊」の時代、つまり昭和51年は14,176人、昭和52年は14,019人、そして現在、令和5年は8,364人です。

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