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大多喜無敵探検隊【本編】

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本編のマガジン。この物語は昭和の田舎の子供だった当時の私の遊びや日常を振り返って綴った(自称)趣味の児童文学(?)です!昭和51年4月~昭和53年3月(1976年~1978年)、… もっと読む
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記事一覧

act:1-大多喜町役場とタダシくんのションベンタワー

 昭和50年代、千葉県の大多喜町には『大多喜無敵探検隊』という秘密の組織が存在していた。 『大多喜無敵探検隊』は、自然豊かな房総の山あい大多喜町を舞台に、水曜スペシャル『川口ヒロシの探検隊(後の藤岡探検隊の元祖)』も真っ青な探検&冒険を日夜繰り広げていたのだ。 知らぬは親と大多喜小学校の先生だけであっただろう…。 我々メンバーは当時『鉄の掟』で結ばれていたので、これらの秘密は今まで一切外部に漏れることがなかった。 しかし私も既に50も半ば、そんな人生のターニングポイントとなっ

act:2-グーテンバーガー 大多喜にもあったハンバーガー自販機

 『大多喜町』は、三方を海で囲まれた千葉県南部の房総丘陵にある町で、その小さなマチナカを抜けると、実は恐ろしいほどに山深く、そして不気味なほどに自然が豊かである。山にはシカやイノシシをはじめ、タヌキやムジナ、猿の軍団、そしてオレは未確認ながらも昔からこの辺りで人を化かすというキツネ、さらにはたくさんのヘビや数えきれないほど種類豊富な昆虫もワンサカ生息している。もちろんこんな町なので田畑も異様に多く、オレたちが日頃から厳重警戒対象としている地獄のトラップ『肥溜』もコレまた多い。

act:3-謎の真っ赤な木原線を追え!【出動編】

 待ちに待った放課後、オレは常に不愉快な小学校を飛び出し、家にカバンを投げ置いたら『ユーイチ』を呼びに行く。 ユーイチ、足立勇一は、ウチの隣の工務店の息子で、2歳年下だがオレがもっとも信頼できる相棒だ。 『ユーイッチく~ん…、出動だぁぁぁああああーー!!』 人んちの玄関前でデカい声で吠えるオレ、我ながらなんという呼び出し方かよく分からないが、その声にすかさず反応して、家の奥からヤツが漫画のようにドタドタドタッと走りこんでくる。 そして、お互い顔を合わせた瞬間、軍隊式の挨拶を受

act:4-謎の真っ赤な木原線を追え!【遭遇編】

前回までのお話はこちら ↓  その後もジッと猿稲踏切脇の斜面の草むらに潜む一同、というかオレとユーイチ。ヒロツンは先ほどから遮断機の脇に立って左手は腰に、右手はオデコにあてて、上り線と下り線を交互に、そして丁寧に首を振りながら見張っている。その一定のペースで振る首の動きがちょっと機械的で、まるで電気仕掛けの玩具のようで滑稽だ、そのうちオモチャのロボットみたいに口から火花でも噴くんじゃなかろうか。 そんな我々の様子を見て、近所の農家のおばちゃんが笑いながら通り過ぎていった。

act:5-禁じられた遊び 爆発四散する『野〇〇』

 オレが住む大多喜町は、山や渓流などと、東京の隣の県の町とは到底思えないほどに自然が豊かで、その分、小さな市街地を離れるとまったく人が歩いていないような、人口密度が疎らな典型的な過疎の町だ。そんな町だからこそ、よく見かけたのが「野〇〇」(※1)である。 それも明らかに犬や猫、野生動物の落し物とはそのボリュームが違う。人通りがないので我慢できなくなったドライバーたちが道の脇にそっと車を止め、その陰で用を足していくのだろうか。 ・・・そして何故か子供は昔から〇〇〇ネタが大好きで、

act:6-オレのなつやすみ オオスズメバチを征伐せよ【強行偵察編】

 夏休みも8月を越えて6日の平和記念日あたりになると、流石にやることがなくなってくる。7月下旬からさすがに2週間もフリーダムな日々が続いているのだ、休み前にやりたかった遊びは、既に一通りやりつくしてしまった。そんな日々でも、父さんの仕事の手伝いで塩田写真館に白黒フィルムを出しに行ったり、大多喜駅に取材の原稿を届けに行ったりはするけど(※1)、どっちも近所なんでそんなに時間もかからない(しかしお駄賃で10円もらえる)。 そうして僅かな用事を午前中に済ませると本当に残りの一日が

act:7-オレのなつやすみ オオスズメバチを征伐せよ【真夏の死闘編】

前回までのお話 ↓  夕暮れの青龍神社で睨み合うユーイチとクニオ、しかしそこから長い沈黙が続いた。どうやら剣道を習うクニオの、その武闘家のみが放つ独特の気迫に、ユーイチは意図せず呑まれてしまったようだった、ケンカを吹っ掛けたのは他でもない彼本人だが、内心クニオが想像以上に強そうでコレはまずいと思っているのだろうな。 それでもやはり沈黙を先に破るのは後先考えない特攻野郎、血気盛んなユーイチだった。 『ウオォォーリャァァァァァァー!!』 ユーイチの獣のような雄叫びと共に大きく

act:8-大多喜城 城山のお爺さん

 オレが住む大多喜町には、ビックリなことにお城がある!オレが小学3年生だった1975年(昭和50年)に、この鉄筋コンクリートの『大多喜城(※1)』が出来た。なんでもこの城は戦国時代が終わる頃に、この地を新たに治めた武将が建てたものを再現したそうで、お城の中は博物館になっている。そんな大多喜城の一帯は、実はオレたちの格好の遊び場だった。 遊び場とはいえ、当のお城にはさほど興味はない、このお城は中々立派なものなのだが、オレたちがそんな勉強のニオイがする高尚なモノに興味が沸くわけ

act:9-オレのなつやすみ 夷隅川の川下り【出航編】

 世の大多数の子供がそうであるように、夏休みはオレにとってまたとないボーナスステージ!大嫌いな学校の宿題は8月最後の週に押しやって、それはそれは朝から晩までフリーダムに、興味向くまま気の向くまま、勝手気ままに元気に陽気に大多喜の山野で遊びまわっていた。 朝はラジオ体操ついでにカブトムシやクワガタを捕まえにいき、林の中で鮮やかピンクのスズメガやオオミズアオ、巨大な蛾のクスサンにビビり、昼ご飯のあとは近所の『大多喜無敵探検隊』メンバーとワイワイガヤガヤ町なかを定期パトロール、夕方

act:10-オレのなつやすみ 夷隅川の川下り【冒険編】

前回までのお話 ↓  ゴムボートはゆっくりと岸を離れる、いよいよこの夏休みをかけた冒険の火ぶたが切って落とされた!どこに危険が潜んでいるかもわからない、予想外のアクシデントがあるやもしれぬ、オレは御禁止川の流れに沿い慎重に川を下りることにした、見上げるとそこは、川を挟みこむように左右とも30mほどの崖になっている、その崖の表面には草木が生い茂っており、さながらアマゾン川のジャングルクルーズな様相なのである。 不意に鯉だろうか?川面を大きな魚が飛び跳ねる!すかさずオレの脳内で

act:11-権現坂のヘビと大多喜女子高生

 権現坂は、青龍神社辺りが起点の坂道、元々この界隈は大多喜城の敷地内で、当時は『根古屋』と呼ばれた地区にある緩い坂だ。 この坂道は役場のすぐ脇を抜ける道で、そして女学生が国鉄木原線で周辺の町や村から通う女子高までの通学路でもあり、朝夕は人や車がそれなりに行きかう道である。 人の往来あれば助けを求める声あり、我々はこの権現坂の安全・安心のため人知れずこの坂の番人となり、日夜悩める人々を救済しているのであった。何を隠そうこの坂の起点の青龍神社は、大多喜の愛と平和を影ながら見守る我

act:12-木原線のガーダー鉄橋を越えろ

 休み時間の終わりに、番長(※1)のナガサがオレに自慢げに語った。 小学校の校庭の裏の、夷隅川の崖のところから国鉄木原線(※2)の鉄橋の中に入れる。この休み時間に同級生のナガサとトキ、ヤリタがその鉄橋の中を通り、川の真ん中近くまで行ってきたことを、教室でオレにこれ見よがしに自慢したのだ。 この橋は、鉄道が好きな弟のクニオ曰く『プレートガーダー橋』とか『デッキガーダー橋』と呼ばれるもので、正式な橋の名は『第4夷隅川橋梁』(※3)という。 鉄板と鉄骨で武骨に組まれたこの橋は、十

act:13-オレの夏やすみ 虫捕りラジオ体操、死神博士の記憶【早朝編】

 常に刑務所のような学校がない夏やすみは、オレにとっては人生最大のボーナスステージ。やりたくもない勉強をむりやり押し付ける授業がないばかりかオレに命令する先生もいない。あの憎たらしいナガサ一味(※1)らとも早々会わないのでケンカもせず毎日が心穏やかだ。今回はそんなオレの夏やすみの、華麗な日常を紹介したい。  『午前5時だOK!・・出動だぁぁぁぁぁーーー!』 オレは一人さけびながら飛び起きた。 夏休みのオレの朝は早い、毎朝5時に起床、目覚まし時計なんて鳴らなくともバッチリ目

act:14-オレの夏やすみ 大多喜の愛と平和を守るため【定例パトロール編】

 オレの夏やすみは忙しい。まずは毎朝5時に起床、昆虫スポットにてカブトムシやクワガタの確保を行う。これは大切な任務であり、そのための早起きなのだ仕方がない。そして大人から毎朝半強制的に参加を強いられるラジオ体操への出席を済ましてから一旦家路につく。 家に帰ってからはまず仏壇にお線香をあげ、朝ごはんを十分に平らげてエネルギー補給だ、その上で本日のノルマ分の夏やすみの宿題を片付けるのである。ここまで郷ひろみのような大スターでさえ怯みそうな過密スケジュールだが、多分誰より優秀なオレ