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【ただ、一緒にいる】言葉がいらない空間

こんばんは、オカサキです!

今年の3月末からご縁があって、
週に1度、私と同じように
心理学を勉強中の仲間と
インプットしたりアウトプットする
キャッチボールタイムを作っています。

これが意外と自分に合っていて、
note投稿のアウトプットで
追い付いていない点を
お互いで話すことによって
補ってくれているんです。

自分にとってのnote投稿は、
『自分がピッチャー・壁当てのみ』
のイメージなんですが、

勉強仲間だと、
『相手がキャッチャー・自分がピッチャー』
もしくは、
『自分がピッチャー・相手がキャッチャー』
もお互いに出来るので、

外から見た自分や相手に対して思ったことを
言い合える仲間というのは、
なかなか社会人では出会えないので
良いご縁が結ばれてありがたい限りです^^

特に「自分のいいところ」は
自分では探せても自信がないので、
客観的に相手に教えてもらえることで
『自信をもつための自信』
を付けてもらえるなぁと体感しています。

今日、そのキャッチボールの時間
だったのですが、

相方さんにキャッチャーになってもらい
私がピッチャーとして話をする
練習をしていたのですが、

「言語化が難しい時もありますよね」
という話題になった時に、
ふっと16歳の頃の自分を思い出したんです。

16歳の時に、自律神経失調症になり
学校に3ヶ月行けなくなった期間が
ありました。

幸いにも、同じクラスの友だちや担任、
家族も辛抱強く待ってくれたおかげで
3ヶ月経ったくらいから、徐々に
学校に行けるようになっていきました。

当時は、今の時代の流れのように
「個性を大切にしよう」ではなく、

「頑張れないのは心が弱い証拠」
と言われるような、そんな時代でした。

今思い返せば、
『「頑張れないのは心が弱い証拠」とは
 誰が決めたんだろうか?』
とハッキリと疑問に思うことが
出来るのですが、

その当時に言語化できる程、
私の心と頭と経験や知識が
追い付いていない状態でした。

高校にまた通えるようになっても、
急に不安を感じたりすることが
多かったです。

だけど、
この「不安の正体」を
言語化できない自分もいました。

「頑張れないのは心が弱い証拠」
だと思われていた時代に
周りと「なにか」違う自分が、
うまく言葉にできない不安感に
毎日押し潰されそうになりながら、
学校に通っていました。

だから、
また途中で心が折れてしまいました。

16歳の秋ごろの掃除の始まる時間の前、
教室の前の廊下で
いきなり泣き出してしまったんです。

泣いて、しゃがみ込んで、
立てなくなりました。

この時の感情を一言で表すのが
難しいくらい、
言語化できない状況でした。

その時に、手を貸して
保健室まで連れて行ってくれたのが、
今でも交流があるこの友だちです。

【18年来の友だちに学んだ】相手を主役にすること|オカサキ@どん底経験には意味がある (note.com)

彼女は、黙って手を貸してくれました。
保健室に着いた後も、
なにも喋りませんでした。

記憶の中では、保健室から教室に戻った後も
あまりお話をしていません。

だけど、
涙が止まらない私の手を持って
保健室まで連れて行ってくれた時の気持ちを
今でも覚えています。

言葉がいらなかったんです。

言葉が欲しくなかったんです。

だから、彼女は喋りませんでした。

もしかすると、彼女にとって
「どう声を掛けていいか分からない」
だけだったかもしれません。

だけど、
『私と一緒にいてくれた』

この気持ちが、
私の中でどれだけ救われたことか。

言葉で救われる瞬間もあり、
言葉が無くても救われる瞬間もあることを
彼女から教えてもらいました。

実際に「言葉にしなくてもいい空間」を
作ることは難しいかもしれないですが、
友だちがくれたギフトを
今度は自分が誰かに贈れたらいいな
と思います^^

\経験は財産/

今日も記事を読んでくださり、
ありがとうございました(・v・)/

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