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アポトーシス〜死という運命をどう捉え生きるか〜

今日は人間の死生観的なところについて考えて
みたいと思います。

「アポトーシス」という言葉を皆さんご存知
でしょうか。

Official髭男dismさんの曲名でも使われている
言葉です。


アポトーシスとは生物学用語で、

予定されている細胞の死
プログラム細胞死

といった意味を持ちます。

どういうことか例に挙げてみましょう。

例えば、カエルの子供であるオタマジャクシは
カエルへ進化するにつれて、尾びれは消滅して
いきますよね。

これぞまさにアポトーシスで、生まれた時から
尾びれという細胞は死ぬようにプログラムされ
ているということです。


まさに、Official髭男dismさんは「死生観」
を見事に曲に表しているなと思います。

オタマジャクシの尾びれと同様、我々も病死
などでない限りは「老衰」という死になります。

生物全てに言えることですが、人は生まれながら
にして「死ぬ」ことが、あらかじめプログラム
されている生き物です。

その死ぬ運命にある「命」をどのように使うか、
これは一生の課題であり、この課題に取り組む
ことが人生のようにも思います。

Official髭男dismさんの出だしの歌詞では
このように歌われています。

訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
こんな話をそろそろしなくちゃならないほど
素敵になったね
引用:Official髭男dism アポトーシス

死ぬと決まった人生(アポトーシス?)で
出会った最愛の人へ「自分の死」という人生
最後の日についてのことも話さないといけない
という意味かと思います。


この人生における最大の課題を最愛の人と
考える時間、悲しいけども前向きな素敵な時間
だなと感じます。

難しいことはわからないので、人の老衰という
死についてがアポトーシスに当てはまるのか
わかりませんが、近しいものだと思います。


人はこの世に生を受けた瞬間に死ぬことが
決まった、ある意味宿命的な人生を必死に
生きるのです。

では、なぜ生き物には「死」というアポトーシス
が設けられているのでしょう。

これについて、先日読んでいた本から私的に
ぴったりの答えが見つかりました。

ひすいこたろうさん
あした死ぬかもよ?


という本です。


ひすいこたろうさんのこの本の中でこのような
一節がありました。

カミサマは、命を完全燃焼させるためのスイッチとして、「死」を発明したのです。命を最大限に輝かせるために「死」(締切日)を創造したのです。
引用:ひすいこたろう あした死ぬかもよ?


命を完全燃焼させるためのスイッチが「死」

この表現はかなり共感しました。


夏休みの宿題に締め切りがあったように、
物事には締め切りがあるものとないものに
区分されます。

しかし、締め切りがないものって何かと
ダラダラとやってしまいがちですよね。

だから、締め切りがあるからこそ行動になる
ということが語られていました。

私たち人間の「生」に「死」という期限が
あるからこそ、私たちは人生を必死で生きて
いられるんだと思います。

そのため、人間にプログラムされた死である
アポトーシスは必要なものだと思います。


また、この本でもう1つ語られていたことが、


得たものも全てを手放す日がくる

ということです。

人は何かを得たり、何かを残すことに時間を
費やすことも多いと思います。

しかし、何かを得ることが人生ではないという
ことです。

どうせ得たものは手放して死なないといけない
のだから、得ることに執着せず、ただまっすぐ
思い切り生きることに時間をかけなさいという
ことでした。

色々考えさせられることが多い素敵な一冊
でした。

私の生命保険という仕事では、お客さまには
必ず「もし明日死んだら」ということを
真剣に考えていただきますが、
また違った側面での「もし明日死んだら」
ということを考えることができました。

ぜひ皆さん読んでみてください。

あした死ぬかもと考えた時、皆さんは今日を
どのように生きますか?

それでは。

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