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【書評】『権利のための闘争』は闘うことを忘れた私達への伝言

ロッシーです。

皆さんは『権利のための闘争』(イェーリング著)を読んだことがありますか?

この本は、法律を学ぶ者なら必読の古典ですが、個人的にはすべての人が義務教育で学ぶべきだと思います。

なぜなら、昨今ニュースになっている宝塚歌劇団の問題(いじめ、パワハラなど)も含め、会社という組織で働く諸問題の多くは、私たち日本人の権利意識の低さから起きていると思うからです。

「権利意識が高い人」

というと、何やら周囲の空気を読まない輩というマイナスイメージがありますし、日本社会においては、「権利はあまり主張してはならないもの。」という前提が強いです。

「まずは義務を果たしてから権利を主張しろ」という言説もそのよい例でしょう。権利を主張するための権利を得るためにはまず義務を果たす必要があるいうことです。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

権利(特に人権)というものは、先人が紛争、殺し合いなど、様々な犠牲を払ってやっと獲得したものです。

それを主張することは何らおかしなことではありません。しかし、主張しようとするとマイナスイメージを持たれてしまう。その意味では、日本は他国と比較して、あまりに権利意識低い系だと思うのです。権利意識の低さゆえに、自分から権利を放棄してしまう人が多のではないでしょうか。

例えばサービス残業という問題があります。

サービス残業をする人は、「私が我慢すればよい」と簡単に思っているのかもしれませんが、そうではありません。

自分が仕事をした対価を得ることは正当な権利です。そして、その権利のために闘うことは、あなた自身のみならず国家・社会に対する義務であり、ひいては法の生成・発展に貢献するものなのです。

一言でまとめると『権利のための闘争』が言いたいのはそういうことです。

つまり、簡単に権利のために闘う義務を放棄してはならないのです。

しかし、「いや・・・みんながやってるから・・・」と自分の権利を放棄してしまう。放棄した人は「自分たちも我慢してきたのだから、お前たちもそうしろ」と後輩にサービス残業を強制します。そしてその後輩も・・・。

そうやって負のスパイラルが連綿と続いていくのです。

サービス残業に対して、ある人は「サービス残業を禁じる法律を国は作るべきだ!」と言うかもしれません。

そういったマクロ的なアプローチも重要ですが、それには時間がかかります。それに、いくら法律を作ったとしても、その法律に基づく権利を主張できない国民ばかりであれば、法律は機能しません。

権利を主張すると、色々な不利益を被る社会です。

給料が下がるかも?出世できないかも?
そう思ってしまう気持ちも分かります。

しかし、私たちはあまりにも抵抗しなさすぎです。そうやって抵抗しないままだと、どんどん追い込まれるだけです。

「権利の上に眠るものは保護に値しない」という言葉があるように、権利というのは単に得ただけでは維持できません。普段の努力により闘い続けないと、失われてしまうものなのです。

自分から権利を放棄して、陰で不平不満を言う。そういう生き方を選ぶのもひとつの選択です。でも、闘う選択肢もあります。自分のためだけでなく、次の世代のために少しでも抵抗してみる。

本書を読めば、そういった「闘うマインド」を身につけられると思います。

ひとりでも多くの人が闘うようになれば、私達の社会はより良い社会になると思っています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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