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トラウマを乗り越えて
「不死鳥伝説」の続きを書く前に。
夫が自分の母親の介護について「当事者」ではなく「傍観者」でいること、ただの冷たい人じゃない理由を記しておこうと思う。
夫は所謂「ネグレクト」を受けて育った。
「大のばあちゃん子」だったという夫の正体は、弟ばかりが可愛がられ、家に居場所がなかった少年であった。
まあ、これはあくまでも夫側の話しか聞いてないし、親にも言い分はあると思うのだけど、話を聞く以上「そう
パワーチャージ翌日の悲劇
約1年振りに推しのライブへ行って来た🫶
10代からずーっと推し続けているアーティスト🎸🎤
50代になっても彼らのSHOWに酔いしれることが出来るということは、何事にも変えられない幸せである✨
介護生活の中のつかの間の自由時間。
この日のために私は日々義母と向き合ってると言っても過言ではない。
コロナルール撤廃後初のライブだ!
コール&レスポンス出来るぞー!!!
あの曲で「ハイッッ!」って
煽り運転で死ぬかと思った日の話。
ヒトの思い出には「死んでも忘れたくない」ものと「一刻も早く忘れてしまいたいもの」の2種類がある。
今日は寄りによって後者の方の思い出を書いてみようと思う。
とはいえ、この出来事から3カ月くらい経っちゃってるという事実。
(忘れてしまってたんやん!!笑)
でもね、今後の教訓も兼ねて書こう書こうとはずーっと思っていた出来事。
タイトルの通り、私は煽り運転に遭遇した。死ぬかと思った。
ニュースでたま
ハンディを持つ息子がコロナに罹り、要介護の義母を抱えているのに、私も陽性者となった日からの療養記録⑥
9月14日(水)療養7日目。
平熱キープ。無症状キープ。
いよいよ隔離生活最終日。
長かったような、あっという間だったような。
そろそろ部屋の片づけでもしようかと動き始めた瞬間、
何だかイヤな感覚が走った。
やらかした。ぎっくり腰。
なんでこんな時に・・・。しばらく動けずにうずくまる。
義母の車椅子介助が始まり、入浴介助をしていた時期から付き合って来た腰痛。
同じく腰痛持ちの夫はちょっと痛めた