不死鳥〜その①〜

振り返れば2年前、ペースメーカーを入れた辺りから義母の体調は不安定だった。
ペースメーカー入れたら元気になるから!と、主治医から押し切られる形で手術を受けたのだけどねぇ。

車椅子ベースの生活にしてからは5年。転倒し怪我をすることは確かに減っていた。
しかし、今年の春頃からベッドから車椅子へ移る時やトイレの中で手すりに掴まって立ち上がる時に倒れてしまうことが増えていった。急に力が入らなくなるようだった。
以来見守ること、手を貸すことが一気に増えていった。

4月。通院時の血液検査で「栄養状態が非常に悪い」とのお叱りを受けた。
もともと食へのこだわりが強く、塩分水分制限も守れず、偏食もひどい義母のフォローをするのはなかなか大変なことで、この時期辺りからは更に食べる量も減り、自分の好みではないメニューには一切手を付けなくなっていた。 
それでも栄養状態が悪いと叱られるのは嫁である。何たる理不尽。
管理栄養士から呼び出しを受け、栄養指導をされた。
自宅での実情を話すと、外面の良い義母からは想像もつかない内容だったらしく「それは大変ですね…」と、栄養補助食品の類の利用を勧められ終了。

その指導を受けて程ない頃だっただろうか。
夕飯を残し「具合が悪い」と訴えた義母。
脇の下で熱を測ると平熱なのに、首周りなどは物凄く熱く、非接触の体温計で測ると39度を越えていた。
苦しそうに肩で息をし、座位を保っていられず、車椅子からもベッドからもずり落ちてしまうのだ。

診察時間以降、クリニックの代表電話は通じない(留守電対応になる)。
非常時のみにと伝えられていた番号(入院病棟直通の携帯)へ連絡を入れてみた。

対応をした看護師いわく「熱があるならカロナールでも飲ませて様子をみて。意識あるんだよね?だったら明日の外来に連れてきてください」「ずり落ちる?だったらしっかり座らせたらいいでしょ!」「脇の下の体温が正しいんですよ。お嫁さん測り間違ってんじゃないですか(鼻で笑われた)」

夜間に主治医と連絡を取るのが面倒なのだろうな、というのがあからさまだし、普段見ている家族が明らかにいつもと様子が違うと言っているのに軽くあしらわれ、さすがに頭に来て「次の朝までにまた容態が変わったらどうすればいいんですか?
救急要請しようかと思ったくらいの症状なんですよ!
まずかかりつけに連絡するのが筋だと思って連絡したのに!」と言った。
すると「救急要請はご家族の意思ですから、こちらからは何とも申し上げられません。するならどうぞ(ご勝手に)。でも明日の外来には来ていただきますからね」ときたもんだ。

しくじった。最初から119番すればよかった…。
どちらにせよ外来受診はマストのようなので、ぐだぐだの義母をベッドまで運び、言われた通りにカロナールを飲ませてみた。
眠りに就いたのを確認し、入院になってもいいように最低限の荷物をまとめて車に積んだ。
そして1時間おきに様子を見に行き、充分に眠れないまま翌朝を迎えた。

クリニックから症状の確認の電話が入る。
熱は変わらず脇の下とその他の場所での差がある。体は火照るほどに熱い。それでもやっぱり「熱を測り間違えた嫁」として扱われる。
はいはい、バカにしてればいーじゃん。ホントのことだって、今から連れて行って証明してやるよ!
怒りを通り越すと、人間は呆れ返り、人を頼らなくなり、強くなるものである。
私はこのクリニックによる数々の不適切対応によって、こんな風に根性のねじ曲がったおばさんになってしまった気がしてならない。
いや、性格の問題か?
どっちでもいいけど。

クリニックに到着するやいなや、コロナ抗体検査から始まり様々な検査が成された。
結果。何らかの炎症反応があり数値が爆上がりしており(CRP)、最悪このまま家には帰れないかもしれないという衝撃の診断。
「覚悟しておいた方がよい」とも言われた。
義母はそのまま入院となり、私は主治医が慌てふためいた様子で看護師に点滴の指示をしている様子を驚くほど冷静に見ていた。

それ見たことか!!
すぐにでも診て貰わなきゃいけない状況だったんじゃん!!!
カロナールでも飲ませとけって言ったヤツ誰だよ!!!
叫びたい衝動をぐっと抑え、入院手続き、関係機関への連絡を恙無く進めた。

そういえば昨年、私の母が怪我をして緊急搬送をされたのだが、入院手続きが非常にテキパキしていたらしく(自覚はない)、母は看護師さんから「娘さんは医療関係にお勤めの方ですか?ずいぶん慣れていらっしゃるようでしたので」と言われたらしい。
そりゃーね。義母で何回この手の手続きしてんのさって話で。
人生において無駄な経験なんてひとつもないんだなぁと思った瞬間でもあった。

コロナ対応で面会禁止状態ということもあり、義母とは顔を合わせることなく数日が過ぎた。
二度と会えなくなるかもしれない。
でもいざ会わなくてもよくなる…と考えた時に、心を過る安堵感の隙間を通る一抹の寂しさは、一体何なんだろう。
あんなに振り回されてきたのに。
あんなに傷つけられてきたのに。
息子ともども私は義母に殺されかけたようなものなのに(切迫早産で絶対安静だった私に出産当日まで家事を休むことを許してくれなかった。ただ家にいるなら買い物にでも行って来いと宣った)。
お人好しにも程があるだろ。

電話が鳴った。クリニックからだ。
最悪のシナリオを思い浮かべながら電話を受ける。
「あ、Yさん(義母)なんですが。退院決まりましたので、2日後に迎えに来てくださーい」
明るい看護師の声が響いた。

は???????
退院???
頭の中がパニックだった。
情報が追いつかない。

「えっと…。義母は今どんな状態なんでしょうか?起きあがったり、食事を摂ったり出来てるんですか?」
「はい!すっかり元気になって車椅子で移動出来てますし、ごはんも食べてますよー。感染源はしっかり除菌しまして、数値はゼロになりましたから」

あの「覚悟しておいた方がよい」は何だったんだ…
いつものことながら、この生命力のたくましさは何なんだ…

ここから義母の「不死鳥伝説」が始まる訳である。
長くなっちゃったので続きはまた、いずれ。

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