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問題があるときは解決を、病気は治ることを望むけど、表面化してるのは逆に安心でもある。だって本当にそれが必要なくなった後に消えればいいが、ただ抑圧して治ったと思ってるのが怖い。それなら見え続けている方がありがたい。水の中に落としてしまったらもう自分では見つけられない感じのように。
本当の選択の場所に立って
人生にはいつもそれなりに何かしら問題があって大変なのだと疑わなかった。
自分のことでも世界のことでも、問題と感じることを見る度に、どうにかしようとか諦めるとか、受け入れるとか助けてもらうとか、そんな風に当たり前に思考していた。
自分の人生も世界だって、良くしたいと当たり前に思っていたし、それ以外の視点や価値観など私の人生には無かった。
問題が出現しているのは、私が私の(分離した)心(の投影)を見
オッペンハイマーアカデミー賞7部門㊗️
自分がしたことに苦しみ答えが出ないまま人生を終えた彼、その姿こそ彼こそが私(たち)なんだ。
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既に赦されている道に
人生は一本道で続いているのではなかった。
垂直にと言うのか、上にというのか、戻れない大きな曲がり角というのか、今までのものの意味ごとひっくり返るというのか、元に、本来に戻ると言うのか、それらはただの(悪)夢だったというのか、マトリックスに気づくというのか、私1人(しかいない)だけズレていた、というのか、急に途切れるというか、突然に見えるあらわれ、時がくる。