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自由を求めて

本当に感じていることを隠さず話していい、というかそれを話すことだけがが求められるという時間、関わりあい、機会が、現実に多くなってきている。それはとても面白く前向きで、生きている躍動を感じられる喜びだ。
なぜなら本当のことを話さないと何とも「繋がれない」からだ。(表面的に繋がっているようにはいくらでも捏造できるが)そして私はそうしなければどこにも進めない。
今までそれを出来てなかった(限られた場でしか)のは私の勝手な決断だけで、初めから全てがそうでよかったのに、そうしてこなかったから「あれ、どれが私のほんとだっけ?」というどうしようもない疑問にまで支配されていたのだった。そこから作り出す考えややり方は複雑で難しい。(人間関係が難しいってすごく常識に感じるけどおかしい。既に全部自分の思いの表れなのだから、難しいなら自分がそれを認め取り下げるしかないのだ。)

今は難しいことを学んでいるわけでも習っているわけでもない。難しく見えるのは私が曇っている証拠なだけで、とてもシンプルでエキサイティングで面白く楽しいことだ。そして大きな大丈夫と癒しがいつもあって、私に何が見えようが常に微笑まれ守られている。

難しさ(深刻さ)と自由さは、ものすごく近くに、隣同士にあるのだった。

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