混沌と希望の狭間をゆく創作

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


世間は昨日でバレンタイン終了しましたが、私の中では、私の都合によって、バレンタイン期間がまだ続いています。

もうしばらくこのお祭りテンションでいると思いますが、どうか温かい眼差しで見守ってくださると嬉しいです。


みなさんは創作される時、どんなことを考えていらっしゃいますか?

「気合い入れて創るぞ!うおぉぉぉぉぉ!!」

「よし、今回はあの部分をつくるぞ……!」

「これ、○○さんが喜んでくれたらいいなぁ💞」

「つくっても発表しなければ認知されないから、つくるしかない……」

様々な感情があります。

すべての思いに、創作に対するなんらかの強い思いがみられますね。



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作品をつくっている時の私。



「気合い入れて創るぞ!うおぉぉぉぉぉ!!」

もちろんですね。

あ、今「暑苦しい」と思われたでしょう?

創作する時って、ある程度の熱がいるのではないかと思っています。

誰からも相手にされなくとも、無関心のままでいられようとも、自分の「スキ」を表現するには、そうした悲しみとか、虚しさをも抱えられるほどの熱が、必要になってくることがあります。

熱を持ち続けるために、自分で、自創作大祭に狂っています。

毎日自創作について、ド派手に狂い踊ります。

その中で、誰か一人でも一緒に踊り狂ってくれることがあるのが、奇跡なのです。



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「よし、今回はあの部分をつくるぞ……!」

もちろんです。

あの部分をつくりたいと思っているからこそ、結果として、作品に具現化できたということがあります。

人から見たら何てこと無い部分ですし、中には「そんな部分のどこに魅力に感じるわけ?さっぱり理解出来ないんだけど?」と思われる人もいるでしょう。

理解も共感も欲しい時がありますが、それでも、喉から手がでるほどはいらないかなと、思ってます。

その部分があってこそ、その部分がないと、ここまで形にしたいだなんて思いません。

それくらい、私の創作したいこころを揺さぶってくれる、魅力があるものなのです。




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「これ、○○さんが喜んでくれたらいいなぁ💞」

当たり前過ぎるので、もちろんとは言いません。

あ、念のために言っておきますが、○○さんの部分は、必ずしも他人の名前が入るわけではないですよ。

どうぞ、ご自身のお名前を入れて差し上げることをお忘れなく。

自分以外の誰かが、創作に共感してくださったり、体感してくれることは、とても嬉しいですし感激しますが、その作品に一番長く付き合い、よく見ているのは、自分自身です。

だから、うっかり勘違いしそうになるのですが、その作品が完成した時に、一番嬉しいかったり、幸せな気持ちでいたりする人間が、他の人だとちょっと危ないです。

本当に歓喜に湧いていて欲しいのは、あなた自身なのですから。



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「つくっても発表しなければ認知されないから、つくるしかない……」

「以前の私が」そうでした。

つくっても、世に出さなければ認知されない。

「何を当たり前なことを…」と思われているかもしれませんが、こう考えること、場合によっては危険な思考です。

全てがすべて、認知されればいいものかを考えると、甚だ疑問です。

その認知されたい気持ちが、境界線を飛び越えて「この人に認められなければ、もうやっていけない」という気持ちになることがあるからです。

もし、その人が、あなたにとってのお気に入りの作品を「気に入らないから、跡形も無く潰して!」と言われた時、ためらいなく潰すことができますか。

その作品が、例えば命、生命であっても、同じように潰せますでしょうか。


人に評価を求める時があってもいいけれど「すべて」は、危険なのかもしれません。



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そんな気持ちを持っていて、それでもその時に向き合って、具現化されたのが、私の作品であり、あなたの作品です。

創作って面白いですね。

いろいろな感情と思考が混ざっています。


だから、あなたの創作にふれることが、興味深く、感慨深いのです。



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トップ画像は 狩野慎太朗(かりのしんたろう)様 からお借りしました。

ありがとうございました。


みなさんからのスキで、創作がはかどります。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、今日もお疲れさまでした。



クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。