「手のかけ過ぎ」に関する私的考察
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
今日は、中秋の名月、しかも8年ぶりの満月だそうです。
スイーツでも食べながら、お月見できたら最高だなぁと、思います。
私はどうやら、何でもかんでも、手をかけ過ぎる傾向があるようです。
今までのいろいろなことを振り返ってみると、自分のことはそこそこにして置いて、外には手をかけ過ぎている節が、思い当たるのです。
手をかける一番の相手は、自分自身なのに…。
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HSP気質に「他人の視線が気になる」とか「仕事は丁寧だけれど、丁寧を重視し過ぎて、遅いと言われてしまう」といった状態があります。
私の場合、「周囲が望むことと、自分を調和させなければ」と思うあまり、
物事に手をかけ過ぎて、その行動が空回りしてしまう、もしくは状況が悪化する
といった経験をよくしていて、こうした状態を、他の方も経験されている方が、いるのではないだろうかと思いました。
このことについて、今朝、身に染みて実感したことがあり、少ししょんぼりしながら、これを書いています。
自分の「唯一の取り柄」と言えるだろうことが、実は、手のかけどころが違っていて、しかも、今まで"身に染みて"分からなかったので、同じような状態を、何度も繰り返していたのかもしれません。
その"身に染みる"体験として、今回強く感じられたことなのですが、
「間違える=取り返しがつかない」と考えてしまい、状況が上手くいくように、あらゆる手を尽くそうとするところがある
からではないかと、思いました。
もちろん、そうした気質が、人類の繁栄のために必要だから、その傾向が強い人たちが、私をはじめとして、存在するのだと思います。
その気質が必要とされているからこそ、本当にその部分を頼りにして、お願いされたり、直接相手に求められる時以外は、
自分自身にたっぷり手をかけて、労ったり、優しくするくらいが、ちょうどいいのではないか
と考えたのです。
私が今まで出会った、HSP仲間のみなさんは、自分の力が必要とされた時に、相手に対して、非常にきめ細やかなサポートをしてくださる方がほとんどです。
時には「そんな部分まで、頼らせていただいてもいいのだろうか?」と、頼んだこちらが恐縮してしまう程に、心が温かになる関わりをしてくださいます。
そうすることが「当たり前」と思っておられる方、純粋に「誰かの役に立ちたい」と思っておられる方が多いからこそ、手のかけ方が、光って見える部分だと思うのです。
そういったことからも、HSP気質の強い方が仰る「失敗」は、「失敗ではない」と言われる方もいます。
きっと、力んで上手くいかなかった時は、
「もうキミは、これに関して、十分に手をかけてるんだよ。だから、この手は、次は自分自身にかけてあげて欲しいなぁ~。あとは、自然の流れにも任せて欲しい!」
と、ある意味、自然から、強制的に「手のかけどころを変えろ」と、言われているのかもしれません。
人類には必要だから、ここまで残ってきている気質です。
排除する・矯正するより、なるべくそのままの勢いで、自分自身に、より活かしていけるように、してきたいです。
あとは、「唯一の取り柄」という表現から卒業して、「取り柄の一つ」と表現した方が、自分の幸せ度を上げることになると、分かりました。
自分自身に対する表現を工夫してあげることも、自分を大切に手をかける、一つの方法だと、言えそうです。
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トップ画像は 真中様 からお借りしました。
ありがとうございました!
みなさんからのスキに、落ち込んでも立ち直れます。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさんのそれぞれの気質が、よき方向に活かされますように。
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