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にがうりの人

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にがうりの人 #62
(潰された情愛)

にがうりの人 #62 (潰された情愛)

 私は思い出していた。
 部屋に閉じこもり、暗闇に迷い込んでいた私がいまや海外という見知らぬ世界へと飛び込もうとしている。こんな大それた飛躍は引きこもっていた私にとって到底考えられないことであった。
 私は感慨深くなり俯いた。津田沼の横で父が笑う。
「お前には俺たち家族がいる。大丈夫だ」
 それは私の背中を押すには十分すぎる台詞だった。母は父の横で俯いている。
 両親の思いが私に伝わり、全身にエネ

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にがうりの人 #67
(果ての鬼畜)

にがうりの人 #67 (果ての鬼畜)

「もしもし、俺だ。津田沼だ」

 普段の津田沼とは思えぬ、低い地を這うような声だった。その疲弊感は受話器ごしでも伝わって来る。
「お前ももう知っているかもしれないが、落ち着いて聞いてくれ」
 胸がざわつく。私は既に泣いていた。それがどんな感情なのかは分からない。それでもとめどなく溢れ出る涙を抑える事は出来なかった。嗚咽を繰り返し、うわ言のように父を呼ぶ私を津田沼はなだめつつ、乾いて掠れた声で事の顛

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にがうりの人 #73
(狂気の空の下)

にがうりの人 #73 (狂気の空の下)

 何十年かぶりの鎌倉の町並みはさほど変わっていなかった。育ったこの土地を訪れてから私は全てを終わりにしようと決めていたのだ。
 いつからかこの街に暖かいイメージはない。この日も気温は低く、朝の天気予報ではキャスターがこの冬一番の寒さと威張るように言っていた。駅前は平日とその寒さのせいもあってか人気はまばらである。
 空はむやみに高く、青い。
 ロータリーを抜け、商店街へ入ると幾分か人が増える。両脇

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にがうりの人 #76
(それからの塗炭)

にがうりの人 #76 (それからの塗炭)

 高峰弁護士が自らの命を絶ち、私は再び生きる気力をなくしていた。信頼できる人物がことごとく私の前から消えて行く。

 これはどういう事なのか。

 既に迷いというレベルではなく、私の精神はいよいよ混沌とした。
 自分の人生は周りを駄目にし、それにより私自身を駄目にする。そうやって私の中では負の思考が螺旋状に連鎖し、どんどん地の底へと私を追い詰めた。どうすることもできなくなり宗教に救いを求めた事もあ

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にがうりの人 #77
(路傍の独白)

にがうりの人 #77 (路傍の独白)

以下、高峰雄一弁護士の手紙より

 君がこの手紙を読む機会があるかどうか、私には分からない。 
 しかし、いつか君が成熟して世の中の善と悪、そして理不尽な社会を受け入れる事が出来たときにこの封を開けてくれる事を切に願う。 
 いずれは君も疑問に思うはずだ。これから記す事はその疑問に対する答えなのかもしれないし、そうでないかもしれない。 
 だが、私はこれが真実だと確信している。どうか、お父さんが残

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にがうりの人 #78
(凶弾の調べ)

にがうりの人 #78 (凶弾の調べ)

お父さんは何かを隠しているのではないか。
 本当にこの人物が殺人を犯したのか。
 私の中にポツリと浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えるほころびのようなものが次第に大きくなりつつある。
 公判が始まっても私は心の何処かで疑いを持っていた。もちろん何度もお父さんに犯行について問いただした。しかし彼は自分がやりましたの一点張りで弁護士である私はその供述に従わざるを得ない。
 そこで私は君を傍聴さ

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にがうりの人 #79
(真贋と考察)

にがうりの人 #79 (真贋と考察)

(中略)
「もしもし、お願いです。すぐ来てもらえますか?大変な事になっているんです」
 Tの声は尋常ではなく、むしろそれがGを冷静にさせた。
「おいおいそんなに慌ててどうした?」
「とにかく、とにかくAの家に来て下さい」
 時折、雑音が混じり聞き取りにくい。
「Aの家?なぜそんなところに君がいるんだ?いったい何があった?落ち着いて話せ」
「早く、早く」
 そこで電話が途絶えた。Gは混乱した。だが、

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にがうりの人 #80
(地獄での邂逅)

にがうりの人 #80 (地獄での邂逅)

 まるで赤い照明を点けたと錯覚する程、それは凄まじく、地獄絵図だった。
 リビングテーブルの上で仰向けで倒れている母親と思しき女性は正面から数十カ所刺されたのか、腹からは内蔵が飛び出している。小学生と思われる男の子はちょうど切腹した後の武士のように正座から前のめりで息絶えた上、背中もメッタ刺しにされていた。
 そして最後まで抵抗したのか、父親と思われる男性はソファでゴルフクラブを握りしめたまま頸動

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にがうりの人 #81
(儚む終末)

にがうりの人 #81 (儚む終末)

「ところがあなたの奥さんはね、死ぬ直前に私との事をしたためた手紙を何者かに送っていたんですよ。その何者かが今あなたの目の前で絶命している連中です」
 Tはまるで指をさすように状況を説明する。その事務的な口調にGは胸焼けを覚える。そしてあろうことかTは鼻を鳴らして言った。

「そいつらが私を呼び出して偉そうに説教してきたものですから、カッとなって刺しちゃいました」

 A夫妻はTの犯罪を警察に告発し

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にがうりの人 #82
(ほつれゆく心)

にがうりの人 #82 (ほつれゆく心)

 私は読み終えて愕然とした。やはり全ては津田沼の策略だったのだ。
 彼は君のお父さんが死ぬ直前、巧妙な手口で君たち家族の財産を手にしていた。証拠が残らないよう、また法的に問題が無いようにだ。そしてお父さんはそんな津田沼に嵌められて無実の罪を背負い、自らの命を絶った。
 何故なのかこれを読み終えた君になら分かるだろう。

 一刻も早く君に伝えなければならない。
 私はそう思い事務所を設立した後も君を

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にがうりの人 #83
(穢れを抱いて)

にがうりの人 #83 (穢れを抱いて)

 名状しがたい感情を吐き出すべく、私は一晩中部屋の中でもがき苦しんだ。想像以上に過酷であった真実の過去が現在の私を苦しめ、しかし今の感情をどうにかして昇華させないと前には踏み出せないという思いがそうさせるのであろう。

 窓の外の白んでいく空を腫れた目で眺める頃、私は全ての感情を出し尽くした。
 もう迷いは無い。
 心も揺れ動かないし、涙も出ない。私の中の全ては一つに向かっていた。

 それは怒り

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にがうりの人 #84
(辛苦の陶酔)

にがうりの人 #84 (辛苦の陶酔)

 見るからに強欲そうなその老人は私に近づき、こう囁いた。
「あんた身なりはいいが、こちら側の人間じゃないな」
 こちら側という言葉が私の心のひだに引っかかった。何を持ってしてこちら側と言うのか。だが、その鋭い眼光は確かに尋常ではない。私は狼狽した。
「金の無い人間に何の価値がある。悪い事は言わない。早くここから立ち去るがいい」
 老人は見下した目で私を一瞥し、背中を向けた。
 しかしチャンスだと思

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にがうりの人 #85
(片隅の夢)

にがうりの人 #85 (片隅の夢)

「つまらない話を聞かせて悪かったな」

 女はじっと私を見ている。その瞳はどこか寂しげでそれでいて力強く、私は耐えきれず視線を外す。無言が続き、いたたまれなくなった訳でもないが私は席を立った。
 もうここら辺で潮時だろう。様々な事がありすぎた。それもこれで終了である。
「それじゃあ」
 私は女に片手を軽く上げて店を出た。女は気にも留めていないのか、窓の外に目をやったままだった。それも納得できる。思

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にがうりの人 #86
(星とコンクリート)

にがうりの人 #86 (星とコンクリート)

「ああ、もう」

 背後から聞き慣れた声が心底煩わしそうに飛んできた。
「面倒くさいなあ」
 振り返ると茶色に痛んだ髪を掻きむしりながら女が立っていた。
「こういう白々しい展開って好きじゃないんだよねえ」
 女は口を尖らせて睨んでくる。
「どうせ死ぬ気なんでしょ」
キンとした夜の空気が辺りを包んでいる。
「あんた誰だか知らないけど、ありがとな」
 そう言って私は馴れない笑顔を作った。最期の最期にこ

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