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いじめられたときの私の瞑想法

瞑想は、どこの誰にとっても重大なものです。なぜなら、


「何も悪いことをしていないのに、悪者にされた」


という有事(イジメ・パワハラ・モラハラ・カスハラ・偏見・差別)が起きたときに適切に判断・決断しなければならず、その際、冷静になるための「瞑想」が必要不可欠だからです。

他人事ではありません。


こういった嫌な経験は、思い出す度に

胸のざわつきと共にネガティブな感情が沸き上がり、
ずっとそのことが頭の中をかけ回り、忘れたくても忘れられない状況

に陥ってしまいますね。

生産性も劇的に下がってしまいます。

それに対する私の瞑想法は具体的には以下の通りです。


まず、

「私は何もしていないのに私を悪者に仕立てた人」
「私の手柄なのに、それを横取りした人」

が誰なのか(誰だったのか)を徹底的に洞察することが出発点となります。
瞑想中、頭の中で状況を丁寧に思い出しながら、真犯人を特定します。


そして、その次が重要なステップです。


「今の私は怒っています、憎んでいます、許しません、
その原因は○○さんの○○です」


と言葉で表現するか、或いはしないのか、するとしたらいつどこで誰に出すのか、という決断を下します。


いじめている人に面と向かって表明する場合は、それを

「宣戦布告」


と言います。

そのままお互い罵詈雑言の言い合いになるか、殴り合いのけんか(戦争)になるか、といったことになります。

ただ、この選択には、敗北(敗戦)という多大なリスクを背負うことになります。

絶対に勝てる!と思って宣戦布告しても、
思いのほか戦争が長引いてしまうこともありますよね。

決断には慎重を要します。


組織の上の立場の人に

「いじめている人に対して何かペナルティを課して欲しい」

と訴えることも立派な戦略となります。これを

「裁判」


といいます。しかし


「そうやって人を裁こうとすること自体が組織の平和を乱します。
あなたの中の怒りが収まらないこと自体が、
平和を乱す原因となっているのです」


と、
正義を装ったカウンターパンチを浴びせられてしまう可能性があります。

これを

「事なかれ主義」


と言います。

上の立場の人達の精神構造を見極めることが重要となってきます。

私自身は、今から述べる戦術が基本になると思っております。

そのいじめっこを避け、

何も事情を知らない周りの人達にこっそりと事情を打ち明ける、
という戦術です。これを

「陰口」


と言います。

孫子の兵法でいうところの


・戦争とは相手を欺く行為である
・戦争は失うものが大きいので、戦わずして勝つのが良い
・智将は出来るだけ敵の食糧を奪って食べるようにする
・およそ戦争の原則としては、敵国を傷つけずにそのままで降伏させるのが上策で、敵国を打ち破って屈服させるのはそれに劣る
・敵情を知って味方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がない
・攻撃したからには必ず奪取するというのは、敵の守備していない所を攻撃するからである



といったところですね。

ただ、

「陰口をたたくあなたには賛同できない」と平然と言い放つ

正義を装った傍観者・裏切り者

が潜んでいる場合があるので注意が必要です。

組織外に陰口を流す、という戦略もありえます。

具体的には


「内部告発」や「SNSで拡散・炎上を狙う」

といった戦術になります。

或いは、現実の裁判所・児童相談所に訴える、
ということも戦略の一つになります。

ただ、現実の裁判はお金がかかりますし、
法律という複雑怪奇な(人間精神の構造からズレている)土俵の上で
相撲をとらないといけないので、
その土俵に対してある程度精通しておかないといけません。

大変な労力と時間がかかります。


他人のアドバイスに聞き耳を立てても良いですが、
おかれている状況(戦況)は唯一無二で、

自身に起きている有事は他人には置き換え不可能ですので、
結局は自身で決断するしかない
というのが赤裸々な現実だと思います。

念のため、
ここで洞察している組織に親子関係や学校も例外なく含まれます。

親や先生という『肩書き』だけで

「親や先生なら、
きちんと公平に罪のある人を適切にさばいてくれるに違いない」

と無批判に思い込みがちですが、
決してそうではないことは何度も強調します。


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