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アルベルト・マンゲル氏の『図書館 愛書家の楽園』を読む

▼アルベルト・マンゲル氏の『図書館 愛書家の楽園』(白水社)は、「私は本が好きだ」という人には強くオススメしたい一冊だ。3700円+税。高額だが、筆者は去年(2018年)の冬、この本を本屋で手にとって、その時は買う気はなかったのだが、パラパラとめくったら、ある頁が開き、その頁を読んで、そのままレジに向かった。

▼本をめぐって、自由闊達(かったつ)に、のびのびと筆を走らせたエッセイである。古今東西の名作からの引用に満ちて、好きなように展開する構成。「すぐに役に立つ」情報は一つもない。

だから、読書に「生産性の高さ」や「効率」や「金儲けのヒント」を求める人のなかには、本書を「教養」の無駄遣いととらえる人もいるだろうし、無駄な知識の羅列と感じる人もいるだろうし、こんな本を読むのは時間の無駄と思う人もいるだろう。

▼ここでは、「生き延びた本」と題された章を紹介しておきたい。

マンデル氏はある日、〈ベルリンの蚤の市の屋台で、黒表紙の薄い本を見つけた。布張りの表紙には何の文字もない。扉ページには装飾的な筆記体の活字でこう記されている。「ベルリン地区ユダヤ協会 青少年のための祈禱の手引(安息日の夕べ)」(中略)

 第8版となっているこの本は、1908年にベルリンのユリウス・ギッテンフェルトによって出版され、何者かがC・ボアス書店で購入したものである。〉(215-216頁)

マンデル氏は、この本のかつての持ち主について想像する。もしも持ち主が、1908年時点で13歳だったとしたら。〈ユダヤの成人式バルミツバ―を迎えたあと、シナゴーグでの礼拝に参加することが許され、この本を買ったか、または贈られたかしたのだろう。〉(216頁)

第一次世界大戦を生き延びていれば、1933年にナチス第三帝国が生まれたころには38歳になっていたはずだ。ずっとベルリンに住んでいたなら、ベルリン在住の大勢のユダヤ人と同じようにポーランドへ強制送還された可能性が高い。連行される前に、時間を見つけてこの祈禱の手引を人に預けたのかもしれない。あるいはどこかへ隠したか、ほかの蔵書と一緒にそのまま置いていったのか。〉(217頁)

▼ハイネはかつて「本を燃やす人間は、やがて人間を燃やすようになる」と訴えた。そしてそのとおりになった。ナチスの時代、ヨーロッパにあるユダヤ人の図書館は、徹底的に壊され、本は焼かれた。それは序章に過ぎなかった。

以下は、ポーランドのルブリンという町にあったタルムード学院の図書館が壊された時の、ナチス党員の喜びの報告。

〈とりわけ誇らしいのは、ポーランド最大として知られるこのタルムード学院を破壊したことだ‥‥‥われわれは膨大な量にのぼるユダヤの聖典を建物の外に放りだし、市場へ運んで火を放った。火は20時間燃えつづけた。ルブリン在住のユダヤ人が集ってきて、身も世もなく泣き叫び、われわれの声をかき消さんばかりだった。そこで軍楽団を呼びだし、兵隊たちが陽気に騒いで、ユダヤ人の泣き声を聞こえないようにした〉(218頁)

だから、〈私が買った祈禱の手引がこんな時代をくぐり抜けたのはまさに奇跡だった〉(219頁)

▼マンデル氏は、〈読書と、読書にともなう儀式は、いわば一つの抵抗だった〉時代のさまざまな事実の断片を紹介し、章のラスト近くに、ひとつの問いを立てた。

本質的に書物のなかには包括できない何かを一冊の本のなかに包括することはできるのだろうか?〉(228頁)

そして、この問いに応じる答えの一つとして、ある挿話を紹介し、「生き延びた本」の章を締めくくっている。

その挿話を読み、筆者は「読む」ということの意味について強く考えさせられ、そのままレジに向かった。適宜改行。

1944年6月のある日、ビルケナウの強制収容所に送られたかつてのテレジエンシュタット・ゲットーの長老ヤーコプ・エデルシュタインは、棟内で祈禱用のショールにくるまり、遠い昔に本で学んだ朝の祈りを唱えていた。その本は、私の「祈禱の手引」と同じようなものだったにちがいない。

唱えはじめたところでSS将校のフランツ・へスラーがあらわれ、エデルシュタインを連行しようとした。同じ棟に収容されていたヨスル・ローゼンザフトは、1年後にそのときのことを回想している。

 ーーふいに扉が勢いよく開き、SS隊員3人を引き連れたへスラーが、気取った足どりで入ってきた。そして、ヤーコプの名前を呼んだ。

ヤーコプは微動だにしなかった。へスラーは金切り声をあげた。

「待たせるな、早くしろ!」

ヤーコプはひどくゆっくりとふりむき、へスラーを正面から見てこういった。

「全能の神によって私に定められた、地上にいられる最後の瞬間には、あなたではなく私こそが主人なのです」。

そして、すぐ壁に向きなおり、祈りの言葉を最後まで唱えた。それから急ぐことなく祈禱用のショールをたたみ、囚人の一人に手渡してからへスラーにいった。

「さあ、参りましょう」〉(229頁)

▼この文章を読んでいるあなたは、ヤーコプ・エデルシュタインが人生の最期に、極限の状況下で、読んだような本を、持っているだろうか。

そんな本は、2019年の人生を生きる人には必要ないだろうか。

本とは何だろうか。

この頁の右上には、ヤーコプ・エデルシュタインの顔写真が載っている。

(2019年2月28日)

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