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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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2023年8月の記事一覧

おじいさんになっても、また千駄ヶ谷で一緒にサッカーを観ようぜ

おじいさんになっても、また千駄ヶ谷で一緒にサッカーを観ようぜ

小さい頃の家族との思い出、10代の思い出が詰まっている場所と言えば、国立競技場が頭に浮かぶ。
東京でサッカー少年として育った人の中には、そんな人が多いのではないだろうか。
少なくとも自分は、また一緒に過ごしていた同級生たちはそうだったと思う。

小学生の頃は、家族でJリーグを観に行くことが多かった。応援し始めたマリノスが国立でホームゲームを開催する機会、はたまたアウェイチームとして戦う機会があった

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浅草にある橋のたもとのお寿司屋さん

浅草にある橋のたもとのお寿司屋さん

幼少期の記憶は「前世の記憶か?」と思ってしまうほどに薄い。しかし小学生になる前、父と浅草にあるお寿司屋さんで食べたマグロの握りのことだけは覚えている。橋のたもとにある数段の階段を降りて、左にくるりと回ると引き戸に紺色の暖簾がかかっていたお店だった。

店内は白っぽい電気で、白い服を着たすし職人がいたと思う。すごく活気があるわけでもなんでもなく、和食屋やそば屋的な馴染みやすい雰囲気だった記憶がある。

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目黒駅のホームから見た満天の空

目黒駅のホームから見た満天の空

中学3年生の春頃、家から自転車で通える距離にあった、全国展開している学習塾に通いはじめた。
その学習塾では、夏休みが明けて二学期が始まってしばらくすると、同じレベルの志望校を目指す生徒をさまざまな地域の校舎から集めて、特訓クラスが開催された。
特訓クラスが開かれる校舎は目黒で、隔週日曜日に僕は地元を離れて電車で通うことになった。

目黒での授業は、昼過ぎからだった。
顔馴染みのいない教室で僕は人見

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紀尾井町に一人だけ味方がいた

紀尾井町に一人だけ味方がいた

就活をしていて、周りの全員が敵に見えたことは一度や二度ではない。特に出版社の選考を受けていたときは、あまりの倍率の高さに、周りが敵に見える確率がかなり高かった。しかし、紀尾井町にある出版社を受けたときに一人だけ味方がいた。三橋くんだ。

三橋くんと会ったのは、二次面接のグループワークの時だった。線が細く、メガネをかけた三橋くんからは賢さが漂っていた。自己紹介をする声も低く落ち着いていて、「こういう

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