見出し画像

祖母をおくり、冠婚葬祭の本質に気づく。

日本へ一時帰国して、祖母をおくってきた。
90歳超えの大往生と言える年齢で亡くなったことと、江戸っ子気質の強い一族というのもあってか、延々と泣く人もおらず、どこかこざっぱりとした葬儀だった。


3年前、先に亡くなった祖父の葬儀には、参列することができなかった。当時は若者の世代を中心にコロナが広がっていて、何かと若年層を批判するような風潮があった時期だった。
祖母は感染を恐れて孫世代の参列を拒んだ。なんなら同世代の祖父の兄弟すら参列を拒もうとしたくらいで、実際に感染してもしものことがあってはいけないという判断で、一族としては若年層にあたる孫世代の参列はさせないことになった。


その時はご時世がご時世だし、仕方がないことだと思っていたし、その判断を今も間違っていたとは思わない。けれど、それだと問題があることに後々気付いた。




自分の心の中で、祖父が死なないのだ。

遺影を見ても、戒名の書かれた御位牌を見ても、法事に参加しても。
祖父はまだどこかで生きているんじゃないかという感覚が、いつまでも心のどこかにあってしまう。どこかの小説や映画のように、死んだことにして実はどこかで生きているんじゃないか、みたいな。
法事などのあとに「終わった?」と見えないところから見ていた祖父が出てくるんじゃないか、みたいな。

コロナ禍で住んでいた老人ホームに行くことができなくなり、亡くなる数か月前から会うことができなくなっていたというのもあるのかもしれない。
3年たっても、正直あまり実感がなかった。


どちらかと言うと今までの私は、冠婚葬祭をあまり大切にしてこなかった方の人間で、熱心な仏教徒でももちろんない。ただ仏や神はいないとか宗教を強く批判するような考えは持っていないし、観光で寺社仏閣へ行くのは好き。そんな日本人に少なくはない宗教観の持ち主だと思っている。
だからそんな自分にこんな気持ちが残るなんて、思ってもみなかった。

心の中に亡くなった人がいること自体は悪いことじゃない。
「人間は二度死ぬ」とか「人の本当の死は、誰からも忘れられたとき」みたいな言葉もあって、死後も誰かに思われている、誰かが覚えてくれているということはむしろ良いことのような風潮が、日本だけでなく世界的にある。
ディズニー・アニメーションの「リメンバー・ミー」はまさにその部分に触れるようなお話だった。


けれど「その人の死んだと思えない」のと「死を受け止めたうえで思い続ける」のは、少しニュアンスが違ってくる。
別に死を受け入れたくないわけではない。けれど、祖父の話題に「死」という言葉がなんかしっくりこない、という感覚が正しい。
祖父を好きだったからこそ、本当に亡くなったという証拠がほしい。
そういう意味では、死を受け入れたくない気持ちが少なからずあるのかもしれない。テレビの料理番組で時短のために「30分煮込んだものがこちらです」と急に出てきた鍋に「本当にこうなるの?」とやや疑問を抱くのと同じような、きっとそうなるんだろうけど、なんか心の底からは納得できていないような感覚がずっと残っていた。


普段誰かと人の「死」やその受け止め方についてについて議論することはない。だからこんな話をする機会もなく、家族にすら話たことがなかったけれど、そんな感覚がずっと私の心にあった。

だから祖母が亡くなったと聞いたとき迷わず一時帰国を決めたのは、祖母でも同じような気持ちを抱きたくない、というのが大きかったかもしれない。死者をおくる儀式に参加し、人の死をしっかり目で見ることによって、自分の中で人の死をちゃんと認識できるんじゃないかと思ったのだ。

そして先にいなくなって未だに確証が持てないでいる祖父のことも、同じようにみおくれるんじゃないかと。いつも祖母に振り回されながらも、いざというときは強引にでも舵を取る祖父を見てきたから、葬儀の場まで迎えに来るような気もしていた。
私は霊感があるわけではないけれど、そういう感覚みたいなものをどこかで感じられたら、祖父のことも一緒にちゃんとおくれるのではないかと思った。


90歳を超えると親族以外の弔問もあまりないので、参列者は親族のみ。1日でお通夜と告別式を行うスタイルでお葬式が執り行われた。
お葬式が始まる前に、会場の係の方から「お顔を見てあげてください」と言われて、私は祖母の顔を見に行った。


祖母は祭壇の前に置かれた箱の中で寝ていた。
白い死装束をまとい、化粧をしている。

私は祖母が着物を着ている姿を見たことがなく、化粧をしているところもあまり見たことがない。それだけでも少し違和感だったのだけれど、それ以上に亡くなった人独特の蝋人形のような、無機質な物体になりかけた顔に更に違和感を覚えた。


蝋人形といえば、私の中ではマダム・タッソーだ。
あそこの人形たちのいきいきとした感じはすごい。写真で撮るとほとんど生身かわからないくらいの仕上がりになっている。
当たり前だけれど、祖母の遺体はそんな蝋人形の完成度からは程遠い。顔色を整えられ口紅をした祖母からは、私が知っている祖母のなかでかなり着飾っている方だったけれど、どこからも生気を感じなかった。
死化粧の目的はそこにはないし、生気がないのは当たり前のことなのだけれど。
でも私の中でこの目の前にいる人は本当に祖母なのか、死を受け止めてしまっていいのか?と戸惑った。


でもこの目の前で眠っている、物体になりかけた祖母に似た人が「 祖母 」である。
でなければこんなに人は集まらないし、小規模とはいえ斎場で何人もの人に手伝ってもらいながらこの儀式をする意味がない。大金を渡して戒名をいただいたりお経をあげていただく必要もない。
信心深くない私のような人間が育っている一族ですら、この儀式をきっちりやろうとしていることが、祖母の死を確かにしていくような気がした。
お金が無いわけでもケチなわけでもないのだが、冠婚葬祭いずれにせよ不要うなものにお金をつぎ込む一族ではないのだ。誰もがいたずら好きでも、サプライズが好きなわけでもないから、「ドッキリでした~!」と言われる可能性も皆無だった。



祖母の宗派は参列者も一部のお経を唱えることになっていた。
祖父母の一族の葬儀に参列するのが初めてだったから、慣れないお題目を唱えることになった。
お経の言葉や内容は、正直なにがなんだかわからない。
けれど何度もそれを唱えていると、自然と「人をおくっているんだな」と感じられた。皆で唱える理由などはよくわからないままだったけれど、自然と自分の心が人の死を受け止める準備を整えていく感じがあった。


火葬場で祖母は骨になった。
この御年齢にしてはよく残っていると、祖母は骨を担当係員に褒められていた。
私は指示に従って従兄弟と骨を拾い、ほかの親族もペアになって骨を拾い、祖母は骨壺に収められていった。
係員の方はどれがどこの骨かを理解していて、避けておいた頭蓋骨と喉仏の骨を見せてくれながら、ほかの骨の上に乗せて蓋を閉めた。


祖母の骨壺はお坊さんに四十九日まで預けることになっていた。
乗ってきていた車の後部座席に大切に置かれ、お坊さんとともに祖母は出発した。


一通りの儀式が終わって、私は色々とホッとしていた。
冠婚葬祭の儀式に不慣れな自分が無事に葬儀を終えられたことへの安堵と、人がこの世からいなくなる流れをしっかりと見届けたことで「死」を自然と受け止められたことへの安堵だった。
そして祖父も祖母と同じ流れをたどって、この世から去っていったのだなと思えた。長い間ずっと半信半疑だった祖父の死も前よりも受け止められた気がした。

けれど「大切な人」という認識は変わらないし、今も変わらず祖父母は私の心の中にいる。
私も迷惑をかけたし、逆にかけられることもあった。祖母の自分を棚に上げたような一方的な言葉に傷ついて、距離を置いた時期もあった。そういうのもひっくるめて、祖父も含めて面白い人達だったなと思えた。
今までで一番、清々しかった。




そんなスッキリとした気持ちは集まった皆も同じだったようで、終わったあとの会食で、喪主だった伯父が「葬式の前、お坊さんに『どんな人でしたか?』と聞かれたけど、どう言えばいいか困ったよ」なんていう話で場を盛り上げていた。
亡くなった人を悪く言いたくないし、ましてやこれからお経をあげてもらうお坊さんにひどいことを言うわけにはいかないが、今まで(特にこの10年ほどは)家族全員が多かれ少なかれ祖母のわがままに苦労していたので、そんな祖母の人柄を説明するような、いい言葉が見つからないという話だ。

お葬式の後にそんな話で盛り上がるのは、よそからみたらなかなか衝撃的だと思う。けれど、こういう「粋」と「張り」の詰まった会話こそが、この一族の「江戸っ子」たらしめる部分だったりもする。
この江戸っ子な気質は祖父の影響で、祖父は東京の中心部出身の人間ではなかったが、口調や気質が江戸っ子のそれだった。私はそれに気づいていなくて、関西出身の夫に指摘されて気づいたのだけれど、「粋」と「張り」を大切にしていた人だった。


だからこの一族が祖母を笑っておくるというのは、この家らしさであり、ある種の「意地」だ。
そこに集まった人たちはそれぞれ多かれ少なかれ苦労させられた人ばかりなので、こんな話で盛り上がれてしまうというのもある。しかし人が去ることは悲しい。母や伯父のように、ひとつ屋根の下で共に生きてきたなら、いろいろな思い出もあるだろう。

けれど、泣いて悲しむよりも「苦労させられたぜまったく」と笑う。
それは強がりでもありるが「あなたがいなくてもこっちはこっちで楽しくやっていける、大丈夫だ」とおくる人を安心させる意味を込められている気もする。
そういう意味で、皆が意地を張り通した葬儀と会食だったようにも見えた。

そんな意地の中で行われた議論の結果、「お姫様のような人だった」とか「素直な人だった」という言葉が収まりがいいのではないか、みたいな話で落ち着いた。ほとんど酒も入っていないなか、終わった頃には皆でゲラゲラと笑っていた。



死との向き合い方と、心の整理の仕方は人それぞれ方法があると思う。
私は今回のことで、私が大切な人をみおくるには、自分の目で「死」を確認すること、葬儀に参加することが心の整理に必要だということがわかった気がする。

最近では冠婚葬祭というと、風習やマナー、費用(お金)のトラブルなども増えているのを聞いていて、それらに関わることに対してハードルの高さを感じていた。はっきり言うと、深く関わると面倒なことになるような感覚があった。


けれど今回のことを通じて、私は葬儀の意味と本質的な価値をやっと理解できた気がする。冠婚葬祭の根底には「心の整理」があるのではないかと、身を持って知ることができたのだ。

地位やライフステージが変わって気持ちを新たにすること、祖先や故人を思いを馳せて自分の日頃の行いや心を整えること。
新たな門出を皆に見守ってもらうという側面もあるけれど、行う側としてはそういう節目に心を整理し切り替えていくことも、目的のひとつだったのではないかと感じている。

その観点から言えば、それぞれの儀式のルールをある程度知って守る必要はあるけれど、正確さだけが大事というわけではないし、そこにかかる金額の大小はなおのこと重要じゃない。
葬儀であれば、そこに関わる人の心が整理できることが特に大切であって、費用や御霊前などの金銭的な部分や、地域や宗派で異なるマナーなどばかりを気にする必要はないのだ。


けれど今、そう思える環境が少ない。
少なくとも私は、そう思えたことは今までなかった。
冠婚葬祭の周りに漂うきな臭い情報にばかり飛びついて、執り行う意義や本質について考えたことなかった。そういう話を他者にされても「そういって大事なものに見せて『お気持ち』と言いながら、たくさんお金をとろうとするんでしょ?」とすら思っていた。
斜に構えすぎている部分は否めないけれど、そうなってしまう要因が今は色々とある。


そんな見方や考え方から抜け出せたのは、国外にいたからこそだと思う。
今日本に住んでいないがゆえに、流れでなんとなく参列できる状態じゃなかったのも良かった。
ドイツからは、行くだけで半日以上飛行機に乗ることになり、数十万の飛行機代がかかる。そして短期間で行き来すれば、時差ボケのみならず健康にも多かれ少なかれ支障が出る。

そんなさまざまなリスクを抱えてでも行くべきか。
自分は行きたいと思うのか。
日本にいるより簡単に行くことができなかったからこそ、葬儀への参列が自分の心の整理に必要なのかもしれないと改めた考えることになった。冠婚葬祭の必要性と本質についても、改めて考えることができたと思う。


この手のイベントはその意味と価値を感じられなければ、ただただ無意味な出費に見える。価値を感じられないものにお金と時間を使うのは、現代人にとってはただの苦行だ。

冠婚葬祭となるとすべきものとして思考が停止してしまいがちだけれど、「なぜそれをするのか」を一度考えてみると、改めてその価値に気づいたり面白い発見ができたりするのかもしれない。

サポートしていただくと、たぶん食べ物の記事が増えます。もぐもぐ。