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「セールスマンの死」の世界と今は、とてもよく似ている。

「セールスマンの死」という作品を知っているだろうか?
アメリカの劇作家アーサー・ミラーの戯曲(脚本)で、ピューリッツァー賞やトニー賞も受賞している。おそらく演劇が好きな方は知っている方が多いと思う。


アーサー・ミラーは1930年代から舞台のための脚本を書き始め、1950年前後に有名な作品が多い。「るつぼ」「橋からの眺め」「みんな我が子」など日本でも度々上演されている。

戯曲のジャンルとしては「社会派」と呼ばれる、当時の社会とそこにあった問題に切り込んだやや重い作品が多い。というか大抵、激重だ。
でも、そんな当時のことに触れている作品のはずなのに、不思議と現代を生きる私にもすんなりと分かることが多くて、色々と考えさせられる。
だから、日本でも彼の作品がしきりに上演されているのだと思う。


話は変わるのだけれど、先日「 コテンラジオ 」というポッドキャストを聞いていた。

日本史・世界史に限らず色々なものの歴史について解説してくれるポッドキャスト番組だ。歴史に興味を持つきっかけになる、とても素敵な番組だと思う。Youtube、Spotify、ApplePodcastなど、色々なところで聞く事ができる。

コテンラジオは膨大な本数があって、私はたまたま聞かずにいた番外編「メンタルケア」についての回を聞きながらランニングをすることにした。


正直なところ、この回では私が想像していた、具体的なメンタルケアの方法はあまり語られていない。

ただ、どうしてメンタルケアが必要な状態になるのか、なってしまう人が増えているのか、それはどういう歴史や社会の変容があったのかについてが主な内容になっていて、それはそれで興味深く話を聞いていた。


社会は様々な事情で、そのシステムががらっと変わることがある。
産業革命で一気に資本主義の社会になることもそうだし、現代もそういう出来事があるだろう。
そういう変化に対して、そこで生きる人がうまく生きられるようシステムに徐々に順応していく。その過程で倫理、モラル、時には法律として社会に秩序ができていく。

ただ、現代は社会が変化するスピードが早い。
それは産業革命とまでは言わずとも、パソコンやスマホの登場と普及などもそうだし、最近ならテレワークの一般化なども変化のひとつだと思う。

そういう変化によって、働き方や自分できることが変わる。
以前は年長者に教われば大概正解できていたことが、聞いても今にしては非効率だったり的外れのようになってしまうことがある。
抽象的な「相手を思いやる」みたいなことは参考になっても、以前は通説とされていた社会で認められ、より評価されるための具体的な方法などは、あまりあてにならなくなってしまっているという。

だから、これから社会に出ていく人は変化の潮目を見ながら、自分で決断していかないといけないし、変化する前の社会で生きてきた人は以前よりも速いスピードでの、新しくなった「普通」の受け入れを求められる。
そういう急な不明瞭感、急な変化を求められるところが、メンタルヘルスに影響を及ぼす。


なんとなくぼんやり感じたり思っていたことを、明文化してもらえるとスッキリする。
そんなちょっとした爽快感のようなものに包まれながら、私はふと、さっき書いた「セールスマンの死」を思い出したのだ。

近所の公園。
土日はにぎやかでいいけれど、
平日の朝も静かで、それはそれでいい。

あの作品に出てくる主人公も、働いているうちに変わっていく社会と家庭状況の中で、取り残された一人と言ってもいいと思う。実際は少し違うし、主人公の周りの人々の状況も異なるのだけれど、私はかなり似たものを感じる。


社会システムから作り出された固定概念、役割、生き方。
時代と身の回りの状況が変わっていくなか、自分はどうしていくのか。


ネタバレたくないので細かい内容は控えるけれど、結末も含め本当に考えさせられる作品だ。これを悲劇と捉えるか、別のものと捉えるかも多分観ている人や演出家や役者の意図によってだいぶ違って見えると思う。

私も戯曲で読んだときと、舞台で観たときではちょっと印象が違って見えた。きっと、演出や演技以外にも、自分のその時の気持ちによって感じ方が変わりやすい作品なのかもしれない。

そこも、この作品の面白いところだ。
今は日本で上演していないようだけれど、映画や書籍もあるので、もし機会があったら、ぜひ「セールスマンの死」に触れてみてほしい。








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