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読書感想文を通した、おやこの対話
夏休みの宿題は、親子の対話だと思う。
先日、読書感想文を子どもと書いた。
まずは進める上での準備として、毎日少しずつ読み進めた本の内容から、「気になったこと、その理由」を書き出しておいてもらう。
素材あつめを終えて、書き出す前に構成を考えた。
・本を選んだ理由
・本の中で気になったことと、その理由
・本を読んで気づいたこと
・まとめ
簡単な枠ぐみだが、子どもがイメージを持って書き進められる
かき氷はエンタメである。
素材を活かした遊びには豊かさがある。
最近わが家では、かき氷がブームである。
暑くなったので出してみたところ、子どもたちは大喜び。
毎日せっせと削っている。
朝起きては、「かき氷食べる」と言い、家に帰ってきては「かき氷食べる」と言っている。
かき氷って、氷削っているだけなのだけど、子どもたちが簡単に自分たちで作れるところが良い。
自分が関わって、美味しいものが出来上がるプロセスを純粋に楽しんで
子どもとの遊びに、ただ居ること
子どもとの遊びを観察している。
子どもと遊ぶとき、子どもと遊ぶことを意識して遊び始めない。
子どもと遊ぶときに、意識しているのは、子どもの働きかけにスッと入っていること。
3才次男がおままごとの食べ物を運んできたら、そのまま客になる。客になって、「あ~おいし~。次は甘いもの食べたいなあ。」などと言っていると、甘いデザートらしきものをこしらえて持ってくる。食べたふりをする。満足そうに私の顔を捉えて
子どもは親の、親は子どもの。
子どもは、親の鏡なのではないかと思う。
最近、長男8才がよく質問してくる。
正確には以前から質問をしてくれていたのだが、分からないことだと「調べて教えて。」と適当に対応していた。
考えられないし、考えたいという欲求もなかった。
余裕がなかったのだ。余裕がないと相手の関心事に目を向ける余裕がなくなる。相手に目を向けないということは、相手の感情を無視してしまうのと同じになる。
とにかく余裕がなく
欲しいものを掘り起こす。
「動物園に行きたいんだよね。」と3歳の次男は言った。
「いいね。行こうね。」と話す。
別の日には、「魚のとこ、行きたいんだよねー。」と言う。
「いいね。魚好きだもんね。」と話す。
「ペンギンさんが見たんだよね。サメも見たい。」と具体的に話し始める。
「サメねー。ママはチンアナゴみたいな。知ってる?チンアナゴ。」と会話は進む。
そういえば最近、次男が自分の欲求を自ずと伝えてくれるようになった。
ママ、なんの映画観るの?
日曜日、コリスは友だちの家に遊びに行くという。ならば、「ママは映画を観にに行ってくるよ」と伝えた。すると、コリスが「なんの映画観に行くの?」と聞いてきた。
「関心領域」と答えたが「え?コナンじゃなくて?」「うん、コナンじゃない」で、会話を終わらせた。これから観る映画、自分でもよくわかっていない関心領域を、コリスにどう伝えたらいいのかわからなくて、うやむやにした。
夜お風呂に一緒にはいった。「映
ガイコツの服とはじめてのウンチ
さきほど次男3才が1人で、自宅のトイレでウンチをした。
正確には3才8ヶ月で、一般的には4才くらいで1人でトイレで排便できるようになるようだ。
現在、昼間のオムツは外れているが、ウンチをしたくなると、わざわざオムツに履き替えてウンチをするスタイルだった。
ムズムズすると、「ちょっとしてくる」と言って、オムツに履き替えて、タブレットを片手にカーテンなど人目につかない所へ行き、排便している。
2ヶ
驚くべき、娘のあそびと学びの世界。そして、自己肯定感の在り方について
今朝、焼きすぎて硬くなったパンをかじりながら、「硬いねぇ」とパートナーが言う。「うん、硬いねぇ」と僕は答える。
2歳8ヵ月になる娘は、そんな夫婦の何気ない会話をいつもよく聞いていて、「かたくないときはなんて言うの?」と、会話に入ってくる。
ちょうど焼き芋があったので、こうだよ。と焼き芋を口に入れて「柔らかいねー」と伝えてみる。すると、娘も焼き芋をほおばって「やわらかいねー!」と言う。
そして
子供は無意識を見ている
人間は関心を持ち、注意を向けているのではなく、注意が向いてそれから関心が生まれているのだと考えています。その注意は無意識で向けられています。
つまり、私たちが注意を操っているのではなく、注意に私たちが操られている。
しかし、それでは自由意志が危ぶまれてしまうので、心情的に受け入れにくい。だからなぜそこに注意を向けたのかの物語を自ら創出します。
動物は皆周辺環境をキョロキョロしながら観察してい
子供達が社会で生きていけるようにするには、社会を体験するしかない
長文ファンの皆様おはようございます。
教育の目的は様々ですが、役割の一つに「社会で生きていけるようにすること」があります。
例えば目的を海で泳げることだとします。姿勢の作り方、水のかき方など、実際に泳ぐ際に必要なことを学ぶ機会も必要ですが、どこかのタイミングでは水の中に飛び込んで実際に泳いでみなければなりません。できるとわかるは違うからです。できるためにはやってみるしかありません。
これを教
与えすぎて奪わぬように
我が家には教育方針がないけれど、もし何か選ぶとしたら『与えすぎて奪わぬように』が方針だろうと思う。自分の人生の経験から、人生で最も重要で得難い力は後天的にもたらされるものではなく、全ての子供が内側に持って生まれてきていると思っている。だからそれを阻害しないことがまず大切だ。
教育のパラドックスは、子供好きや教育が好きな人はつい子供に関わりたくなってしまい、関わりすぎてしまうところだ。むしろ関わら