鈴木純

植物観察家/植物生態写真家|まち専門の植物ガイドです。代表作『そんなふうに生きていたの…

鈴木純

植物観察家/植物生態写真家|まち専門の植物ガイドです。代表作『そんなふうに生きていたのね まちの植物のせかい』(雷鳥社)ほか著書多数。

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育児と仕事と自分の人生と その優先順位のことなど

こどもが出来たら多くの方が悩むであろう育児と仕事のバランスのこと。もう何兆回も語られているテーマなので、特別に新鮮なことを書けるわけではないのだけど、いま自分が考えていることなどを書いておこうと思う。考えていることって、時が経つと忘れてしまうので。将来の自分のために書く。 34歳。年齢的にも経験的にも仕事盛り。やりたいことは山盛りだし、それに手を伸ばせるだけの実力だって得つつある。さらにスキルアップをしてもっともっと活躍したい。自己実現に向けてまっしぐら。 往々にして、そ

    • \植物を見る感覚をつかもう!/ まちの植物はともだち年間コース 第4期(こどもと関わる方向け)

      おかげさまで満席となりました。これ以降のお申込みはキャンセル待ちでの受付となります。(1月30日、17時30分追記) みなさまこんにちは。植物観察家の鈴木純です。 2021年から、こどもと関わる仕事をしている方(あるいは保護者)向けに、「植物の見方」と「植物への疑問の持ち方」を実際の観察を通してレクチャーしていく年間観察会を実施しています。 ありがたいことに、過去3年、多くの反響をいただきましたので、今年も同内容で企画を継続していくことにしました。今年のテーマも変わらず

      • 2024年の仕事の方針について

        皆様こんにちは。植物観察家の鈴木純です。 野山ではなく、都市環境をフィールドとした植物ガイドとして独立し、今年で7年目になりました。 いまは子どもがいる暮らしをしているため、1日の仕事時間は4~5時間ほどで、かつ週4日間だけ仕事をしています。ですので、この時間内でお引受けできるご依頼だけ承っています。新規のお仕事依頼に関しては、まず下記の内容をお読みいただければ幸いです。 かたくるしいことを書いていますが、下記のことはあくまでも目安です。この条件をクリアしていなくても、自

        • これまでに書いた本の紹介

          2019年に雷鳥社さんが『そんなふうに生きていたのね まちの植物のせかい』を作ってくれてから、本を書くことも僕の仕事のひとつになりました。 気付けば自著が6冊になっていたので、著者本人による本の紹介をまとめていくことにしました。全ての本に思い入れがあり、自信作です。どれを読んでいただいても嬉しいです。 そんなふうに生きていたのね まちの植物のせかい(雷鳥社)2019年9月9日僕がはじめて書いた本です。 都市環境をフィールドとした植物ガイドとして独立したのが2018年のこと

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        育児と仕事と自分の人生と その優先順位のことなど

          いまぼくは、遅い仕事がしたい

          いま話題のChatGPT等の生成系AIの話を耳にすると、その度にどうにも受け入れがたい拒否反応が起きる。 とはいえ、いまの時代を生きるひとりの人間として、一応知っておきたいという気持ちが無いわけではない。なので、ものが分かっていそうな人の解説動画を見たりはするのだけれど、その訳知り顔に途中から辟易としてきて見るのをやめてしまう。 いま起きているAI技術の進化は、ホワイトカラーの仕事の多くを奪うのではないかという。もしかしたらそれは、第四次産業革命といってもいいほどの出来事

          いまぼくは、遅い仕事がしたい

          人は、何かを作るために生まれてきたのではないかと思うほどに(娘3歳8ヵ月)

          娘が風邪をひいた。 …と言っても鼻水が出ているだけのちょっとした症状だ。でも、鼻がつまっていると、どうやら夜眠れないらしい。口呼吸では苦しくてすぐに起きてしまう。寝ては泣いて起き、寝ては泣いて起きを繰り返した。 夜中ずっと介抱していたパートナーが翌朝、「娘ちゃんはさ、口呼吸だと寝れないなんて、やっぱりまだ子どもなんだねぇ」と言っていて、本当にそうだねと思う。 娘は3歳8ヵ月になり、すっかりお姉ちゃんになった。もう身の回りのことはほとんど自分で出来るし、お友達ともよく遊ぶ

          人は、何かを作るために生まれてきたのではないかと思うほどに(娘3歳8ヵ月)

          人はそれぞれ、自分の星空を持っている

          人はそれぞれ、自分の星空を持っている(もちろん、比喩だ)。 臨床心理学者の河合隼雄先生が京大の最終講義で「コンステレーション」という世界の捉え方について話をしていた。それを聞いて、あぁなるほどなと思ったわたし。すごく色々なことが腑に落ちた。 グーグル翻訳で Constellation を調べると「星座」と出てくる。まさにその通りで間違いではないのだけど、ここでいうコンステレーションは微妙に意味合いが異なってくる。 (以下、門外漢の自分が勝手に理解・解釈したことを書くので

          人はそれぞれ、自分の星空を持っている

          共感を「シンパシー」と「エンパシー」にわけて整理したら、いろんなことが腑に落ちた話

          保育園のお迎えに行くと、円形のプラスチックを組み合わせて作った制作物を持って帰りたいと娘が言ってきた。 保育園のものは僕のものではないので、「お父さんじゃなくて、先生に聞いてごらん」と伝えてみる。 ちょっと下を向いてはにかみつつ、先生を探してとことこ歩いていく娘。タイミングわるく、そこには娘が普段あまり触れあっていない先生しかいなかった。 「これ、おうちにもって……」あたりまでなんとか聞こえたが、その先はほぼ聞き取れないゴニョゴニョ声に。先生が「なぁに?」と聞きかえすも

          共感を「シンパシー」と「エンパシー」にわけて整理したら、いろんなことが腑に落ちた話

          驚くべき、娘のあそびと学びの世界。そして、自己肯定感の在り方について

          今朝、焼きすぎて硬くなったパンをかじりながら、「硬いねぇ」とパートナーが言う。「うん、硬いねぇ」と僕は答える。 2歳8ヵ月になる娘は、そんな夫婦の何気ない会話をいつもよく聞いていて、「かたくないときはなんて言うの?」と、会話に入ってくる。 ちょうど焼き芋があったので、こうだよ。と焼き芋を口に入れて「柔らかいねー」と伝えてみる。すると、娘も焼き芋をほおばって「やわらかいねー!」と言う。 そしてもう一度、パンをかじって「かたいねー!」。焼き芋を口に入れて「やわらかいねー!」

          驚くべき、娘のあそびと学びの世界。そして、自己肯定感の在り方について

          ひとは、もしかしたら変われるのかもしれない

          今年の4月に、保育園のクラスがひとつ上がった娘。(現在2歳5か月) これまでの乳児クラスには問題なく通えていたのに、進級した途端、なかなか園に行けなくなってしまった。 新しい環境だもんね。そのうち慣れるかなぁと思い、しばらく何とか行ってもらっていたのだけど、8月になってもまだ行きたがらない。 さすがに4ヶ月も経ってくると、親としては心配になってくる。 朝、保育園に行くために自転車に乗ると、娘からは笑顔が消える。あからさまに落ち込んで、一生懸命気持ちを整理して堪えている

          ひとは、もしかしたら変われるのかもしれない

          目的地のない娘のあそび(1歳10ヵ月)

          パートナーが娘を保育園に迎えにいった時のこと。 帰り道で娘に「今日はたのしかった?」と尋ねたら、「うん」と相槌があったうえで、「おかあさんは、たのしかった?」とかえってきたという。 パートナーはこの会話になにか感じ入るものがあったようだけど、たしかに考えさせられるものがある。 ぼくも楽しかっただろうか、今日は。 *** 娘を見ていると、この人には「目的地」というものがないのだな。と思う。 ▲たとえば粘土あそび。親の気持ちとしては、娘がこうしてなにか作って遊ぶことを

          目的地のない娘のあそび(1歳10ヵ月)

          ねんねんぽうふー|娘の言葉のトレーニング(1歳8か月弱)

          今朝、パートナーに教えてもらった娘の新しい言葉。ねんねんぽうふー。 なにかの必殺技のような響きのこの言葉の正体は、「ねんねん(眠る)」+「ぽうふー(毛布)」=「眠る時に使う毛布」のこと。 夜中に起きた娘が、ねんねんぽうふーと言っていたらしい。かわいい。 こんな調子で、娘はいま次々と新しい言葉を開発している。 先月までは単語がやっと50語ほど出てくるくらいだったのに、いまはもうとてもじゃないけど数えきれないほどの単語を習得していて、それを娘なりに繋げることが出来るように

          ねんねんぽうふー|娘の言葉のトレーニング(1歳8か月弱)

          娘の絵、7か月の変化

          娘と過ごす時間はもともと楽しかったけど、先月あたりからその楽しさがさらに増している。娘が成長している様がよく分かるようになってきた。というのがその理由のひとつ。 たとえば、いま僕が夢中にさせられているのが娘の絵。まだ意識的になにかを描くことは出来ず、描ける行為が嬉しいから描くという段階なので、無意識の筆運び、予想外の線がそこには表れる。これがとっても良い。 娘がはじめてお絵描きをした時の作品がこれ。 ▲4月2日。娘1歳0ヵ月。 それぞれの線が短いのは、クレヨンを持つ力

          娘の絵、7か月の変化

          自分のために、育児をしているような (娘による水の研究を通して)

          ガラスのコップを床に投げつけて、割る。娘が生まれてからこれでいくつめだろうか。 割ろうとしているわけじゃないのは分かる。楽しくて投げてみたら割れてしまったのだ。ボールは投げつけても割れないけれど、コップやお椀は割れる。そんなことを繰り返し確かめていくのが娘の大事な仕事。 水道が目に入れば、手を出して水に触りたがる。「あわ、あわ」と言って石鹸を指さす。石鹸を渡すと、ちょんちょん触って、両手でゴシゴシ。水道から流れる水に手をやってまたゴシゴシ。それからまた石鹸をちょんちょん、

          自分のために、育児をしているような (娘による水の研究を通して)

          娘が生まれる前に知っててよかったこと① モンテッソーリ教育より

          これは、娘がバターにバターナイフを刺しているところ。 なんでこの写真撮ったの? という感じだと思うけど、僕にとってはおぉ~と唸った一場面。 1歳7か月の娘は、まだ50単語くらいしか話すことが出来ないけれど、 それは表出言語としての話であって、受容言語はもうすでに相当な量になっていると思う。その証拠が、さきほどのバターの写真。 *** 今朝、朝食のパンにバターを塗ろうとしたときに、娘が「それなに?」という顔をして近付いてきた。こうした時に娘の好きにさせると、まず間違い

          娘が生まれる前に知っててよかったこと① モンテッソーリ教育より

          娘のことば辞典(1歳7か月版)

          そろそろ1歳7か月になる娘は、最近ことばをよく話す。「ぺちょくちゃかなもこかな。」のような親でも理解できないことばも多いが、「ぱっぱい(おっぱいのこと)」、「あわ(石鹸のこと)」と言ったようにはっきりと分かる単語もよく話す。これがとっても面白い。 いま娘が扱える言葉は、大きくわけて「①名詞」と「②自分の要求や気持ちを伝える言葉」の2種類。そのなかで、ひとつの単語でひとつのものや気持ちを表現している言葉があれば、ひとつの単語が複数の意味を持つこともあるので、それを区分すると計

          娘のことば辞典(1歳7か月版)