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ねんねんぽうふー|娘の言葉のトレーニング(1歳8か月弱)

今朝、パートナーに教えてもらった娘の新しい言葉。ねんねんぽうふー。

なにかの必殺技のような響きのこの言葉の正体は、「ねんねん(眠る)」+「ぽうふー(毛布)」=「眠る時に使う毛布」のこと。

夜中に起きた娘が、ねんねんぽうふーと言っていたらしい。かわいい。

こんな調子で、娘はいま次々と新しい言葉を開発している。

先月までは単語がやっと50語ほど出てくるくらいだったのに、いまはもうとてもじゃないけど数えきれないほどの単語を習得していて、それを娘なりに繋げることが出来るようになってきた。

それに伴い、認知能力や表現力も飛躍的に向上中。この1か月で面白かった言葉と表現を順番にまとめておきたい。

▷11月2日:「おっしょ、おっしょ」

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娘が自分で履いている靴下と、僕が履いている靴下を交互に指さして言った「おっしょ、おっしょ」。これは「一緒」という意味で、2人とも靴下を履いているねぇという意味で言ったのだと思う。

これまでは自分が履く靴下と親が履く靴下は絶対に違うものだったのに、いまは足に履くものだから「おっしょ」と捉えらるようになった。これは、娘が感覚の世界から概念の世界に足を踏み入れていることを示しているのかもしれない。

たとえば色の違うペンは、同じ形をしていても娘にとっては赤いペンと黄色のペンで違うものだったわけだけど、ペンという概念を理解することが出来れば、あれもこれも「おっしょ」のペンということになる。「おっしょ」を集めれば自分で整理整頓も出来るようになるはず。

世の事物は必ずどこかに違いがあって、厳密に同じものはどこにも存在しないので、乳幼児の感覚オンリーの世界(一緒がない世界)の方が本当は正しいのだけど、それだと社会が成り立たない。だから人は、一緒という概念がある世界に入っていく。娘はいま、そこに立ったようだ。もしかしてここってヒトなるものへの入り口なのでは…? とさえ感じる。

11月9日:「なーいー?」

知りたいものを指さして「なーいー?(なに?)」と聞けるようになった。これで能動的に言葉を覚えていくことができる。いまの娘にとっては伝家の宝刀に近い言葉。

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すかさずこども用の図鑑を買ってきて、パラパラと一緒にめくる。次々指さしながら「なーいー? なーいー?」と聞いてくる。カンガルーだねぇ、と答えると、「あんあうー?」と嬉しそう。学ぶことは本来楽しいことなのだなぁと見ていて感じる。その調子でたくさん覚えてほしい。

こうして蓄積していった言葉が、少しずつ繋がっていく。

11月12日:「いたーい、どてー」

自分の膝を指差して「いたーい」と言い、その後で「どてー」と続ける。これは、「この前転んで膝をすりむいたところが痛い」という意味。全くもって文章ではないのだけど、なんとなく通じるのが面白い。

11月17日:「しゅいーんって しぇんしぇ」、口をパクパク

娘に、今日は保育園でなにしたの? と聞くと「しゅいーんって」とのお答えをいただく。ほかには? と聞くと「しぇんしぇ」と返ってくる。さらに、ほかには? と聞くと、何か言いたそうな表情をした後で口をパクパク動かす。

しゅいーんは滑り台のことなので、「滑り台で遊んで、先生と遊んで、ご飯を食べた」と教えてくれたのだと思われる。状況説明だって出来るようになってきた。

この状況説明が、結構いい。文章とはまだまだ言えないけれど、娘なりの工夫がそこに現れるのでとっても興味深い。

これもパートナーが教えてくれた娘の言葉で、「おいしょ おいしょ しゅいーんって」というのがある。

これは上記の滑り台の番外編で、滑り台を単体としてではなく、自分が滑り台を滑った情景ごと教えてくれる時のセリフ。おいしょ、おいしょと階段を上って、しゅいーんって滑り降りた。という意味。もう…めちゃくちゃ可愛い。

娘なりの表現方法は次々と開発されていき、自分の意思を日に日に上手に伝えられるようになってきている。これが文法に変わっていくのはいつなのか、それをいま楽しみにしている。

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娘の言葉のトレーニング方法は主に3つ。

① 絵本

乳児期から夫婦でひたすら絵本を読んできたので、絵本のなかの言葉を使うことがたまにある。

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11月2日に発した「いたーい、どてー」の「どてー」は、絵本「だるまさんが(かがくい ひろし/ブロンズ新社)」のなかから覚えている。

うちには、福音館書店さんの絵本が月に一度届くようになっていて(←先輩からの出産プレゼント。凄い嬉しかったし、かなり助かりました。)、これが届くとすぐに娘と読んでいる。

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11月6日に届いた「こどものとも」がこれ。「ころころ ころころ こーろころ」というリズムが楽しい絵本。

1回読むと「ぽったい!(もう一回!の意)」と娘が求めるので繰り返し読む。

5回目くらいでリズムが分かってきて、8回目で「こりょこりょ こーりょこりょ」と一緒に読めるようになる。9回目には、「はっぱっぱ!」と、ほかの部分の言葉もちょっと言えるようになって、それでひとまず満足したご様子。

大人が1回で満足するところ、娘は9回も連続で楽しめる。こういうところ、羨ましいなぁと思うし、これが娘の言葉のトレーニングにもなっている。

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その後日、公園にドングリを拾いにいったら、さっそく「こりょこりょ」と言っていた。すぐ応用できてえらい。

② 会話

これは家族の会話のなかでいつの間にか覚えていたものや、保育園で覚えてきた言葉たち。いつ覚えたのかこちらが気付かないことも多いので、なかなか記録が出来ないのだけど、本当はこれが一番多いはず。

たとえば今朝のことで言えば、娘は体温計を持ちながら「さんじゅおくど」と言った。これは毎朝の検温で「36度」とよく聞いているので、自分も言葉に出してみたのだと思われる。言葉の吸収量がほんとに凄い。

③ 自主トレ

このところ、娘はひとりでもよくしゃべっている。何を言っているのか聞き取れないことも多いのだけど、きっとなにか娘なりの言葉を話している。ぬいぐるみと話している時の娘の姿には思わずきゅーんとしてしまうが、これも娘なりの遊び兼トレーニングなのだと思う。なるべく邪魔しないで見守っていたい。

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そうそう、11月14日にはこんなこともあった。

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落花生を収穫して娘と一緒にカウント。「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお。」と数えていると、次第に娘も一緒に言えるようになる。

けれど、数の概念は多分まだ無くて、ただリズムとして、歌的に覚えている感じ。これもいつ、数を習得するのか気になっている。

まずは単語という道具を覚えて、その使い道をあとから知っていく。そんな順序で進んでいるように思う。娘の言葉のトレーニング、とってもおもしろい。

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ということで、今日書いておきたかったのはこんなところです。

いつも特にオチがあるわけでもなく、僕が自分のために書いている極めて個人的な記録をお読みいただきありがとうございます。

noteで娘の観察記録をつけはじめてからというもの、よく観察してるねー! と友人知人からも言われることが増えたのですが、僕としてはだって父親に出来ることってそれくらいしか無いもん…という気持ちを持っています。

パートナーと娘の絆はやっぱり深くて、なにか痛いことがあったり我慢していることがあれば、娘は必ずパートナーのもとへ駆けつけます。泣きながらパートナーに抱き着く娘を見ていると、自分の父親としての力の不十分さを痛感しますし、母と父の役割の違いなどを思って、そこに気持ちの逃げ道を作ってしまったりもします。

こんな時、どうもパートナーに見えていて、僕には見えていない娘のことがあるように思えてなりません。それはもちろん、パートナーの人としての素質が成せる業でもあるのですが、なんというかその身体のなかで小さな命を育み、生まれてからも母乳を与え、文字通り命を守っている母はすごくこう、感覚的なところで娘と繋がっているように見えるんです。外から邪魔することが出来ない一体感を2人には感じます。

けれど僕はといえば、正直な話、なかなか娘との一体感を感じることは少なくて、彼女が何を求めているのか、何を楽しみにしているのかを直観で感じることがいまだに難しいなと感じています。自分に出来ることは、娘の行動をよく見て、その前後のパターンや表情、動きから娘の気持ちを推測することくらいしかありません。

なので自分にとって娘を観察することは、それをしないと娘とコミュニケーションが取れないという、それなりに差し迫った行為でもあるのです(もちろん単純に娘は可愛いし、見ているのが楽しいというのは前提として)。

そんなわけで、僕がこうして呑気に観察記録を書けているのは、パートナーがしっかり娘と通じてくれているおかげです。ということだけちょっと触れておきたくなりました。しかも、僕が大げさに感動して記録していることは、大体その数日前にパートナーがすでに発見をしていたりするので、自分はいつも周回遅れ。がんばるぞ。。。

▲これ、よく読んでいただいているみたいです。ありがとうございます。モンテッソーリ本当おすすめです。

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