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いまぼくは、遅い仕事がしたい

いま話題のChatGPT等の生成系AIの話を耳にすると、その度にどうにも受け入れがたい拒否反応が起きる。

とはいえ、いまの時代を生きるひとりの人間として、一応知っておきたいという気持ちが無いわけではない。なので、ものが分かっていそうな人の解説動画を見たりはするのだけれど、その訳知り顔に途中から辟易としてきて見るのをやめてしまう。

いま起きているAI技術の進化は、ホワイトカラーの仕事の多くを奪うのではないかという。もしかしたらそれは、第四次産業革命といってもいいほどの出来事かもしれないらしい。

詳しい人がそう言うのだから、それ自体は本当にそうなのかもしれない。でも、僕のなかには、それ、勝手に進めないでくれない? という気持ちがある。この流れを、きっと僕は拒否できない。そう思うと、自分の人生を誰かにコントロールされているような、なんとも言えない嫌な気持ちになるのだ。

僕は、高校生の時にガラケーを持ち始めるような世代だったので(ぎりぎりポケベル世代にかぶらないくらい)、個人が携帯を持つようになった世界と、その前の世界の比較が出来る。それはもう、世界観がまるでちがう。変化が劇的すぎて、個人が携帯を持つ前の暮らしがどんなものだったのか、もう思い返すことさえ出来ないほどだ。ほんと、待ち合わせとかどうやってしてたんだっけって感じ。まぁとにかく、技術は人の暮らしを否応なしに変えていくということを、僕はすでに経験している。

大学を卒業したあたりから、急速にスマホが普及しだすようになった。その頃にはもう技術の進歩を手放しに喜べなくなっていた僕は、ガラケーからスマホに変えることをしばらく拒んでいた。

しかしこれも、SNSをよく使うようになってからスマホに切り替えることになった。そして、自分としては悲しいやら悔しいやら、もう僕はスマホを手放せなくなっている。あまつさえ、こうして田舎からnoteを書いて発信したり、最新情報を気軽に入手できたりして、あぁ、なんといい時代に生まれたのだろう!とさえ思っている。

いくら個人的に拒否感を覚えていようが、時代の変化を止めることは僕には出来ない。新しい技術が作る社会に、僕はあっという間に飲み込まれていき、なぜか順応し、頼り、そして、楽しんでしまうのだろう。

悔しいけれど、そんな自分の未来が分かるので、AI技術が社会を変えていくこの過渡期ともいえるタイミングでは、つい複雑な感情を覚えてしまうのだ。

***

2週間ほど前のこと。
4歳になったばかりの娘と一緒に園芸店に行くと、「これ欲しい!」と娘がタイツリソウを指さした。見ると、ピンク色のハート型の花が咲いていて、確かにいまの娘の好みを完璧に満たしているなと思った。

特にダメな理由もないので、買ってあげることにする。ただひとつ、「花が咲いてるのじゃなくて、こっちのつぼみのやつでもいい?」とだけ、娘にお願いした。「こっちだとさ、これから花が咲くから、長い間、花が楽しめるよ」と説明を付け加えてみる。

やっぱり、いま花が咲いてるものが欲しいかな?と思ったのだけど、娘は僕の提案を素直に受け入れてくれて、まだつぼみの状態の鉢植えを買わせてくれた。

それから毎日のように、僕たち家族はタイツリソウに水をあげて、つぼみを観察した。そして、タイツリソウを家に迎えてから2週間後。ついにつぼみが開花した。

僕は慌てて娘を呼びにいく。「タイツリソウ咲いたぞ!」そう言うと、娘は「え~~!!」と大喜び。「写真撮る!」と言って、自分のカメラで真剣にタイツリソウの花を撮った。

この時に娘が撮った写真がこれだ。

ピンこそ合ってはいないが、なぜだか娘の喜びは伝わってくる。

写真を撮り終えると、娘は開花したばかりの花をいくつか取り、家にはいっていく。そしてそれを、イヤリングパーツにノリでつけようとしている。娘がなにをしたいのか、それでよく分かったので、「ノリじゃさすがにつかないよ」と、僕はセロテープで花とイヤリングをくっつけてあげた。

そして、娘はタイツリソウを耳につけ、すごくうれしそうにした。

じつに娘らしい花の楽しみ方で、僕は思わず感心してしまう。そして心の中で、娘よ。その喜びが「待つ楽しみ」なんだぞ。と思う。

花が咲くまでには時間がかかる。いつ咲くかなぁと様子を見たり、水をあげたりした時間が積み重なると、それはタイツリソウへの愛着へとつながる。手にかけ、時間をかけて見守った花のつぼみがようやく咲いた時、そこに「待ったことの価値」が生まれるのだ。

僕には、これからの時代のことはなにも分からないけれど、娘には、こうした「遅いことの楽しみ」をたくさん経験させてあげたいなとだけは思う。

***

僕にはいま、いずれ家族で暮らしたいと思っている土地がある。先日、そこに八重桜の苗を植えてきた。当然だけど、この苗が大きくなるまでには時間がかかる。

これが花を咲かせ、愛でて楽しんだり、花のつぼみを塩漬けにして利用できるようになるまでに何年かかるだろうか。そもそも、ちゃんと育つ保証さえ無いのに、僕はこれから、この八重桜が花を咲かせるまで何年も待つのだ。

生成系AIの時代に、僕はそういう仕事をこそ、いま欲している。

こんな話を、いま僕はみんなとしたいのだけど、この感じって、誰かに伝わるものなのだろうか。

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(一晩経って追記)
自炊料理家の山口祐加さんが、こんな応答をしてくれました。うんうん。それも本当にそうだよね。と頷きながら読みました。とっても素敵だったので、山口さんのnoteもぜひお読みください!


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